よっぱらい (2)
2話でおさまりました。
酔っ払いは皆そう言うんだ!
兄弟の心の声がハモった。
彼らは速やかに卓を片付け、各自の酒器も遠ざける。
瀬名は相変わらず長兄の手にある酒瓶を奪おうと、一生懸命手を伸ばしていた。まだ〝立ち上がる〟という発想に向かわないらしい。
「おさけ~」
「もう駄目だ」
「なんで?」
「駄目だ。――ノクト、これは誰にもらった?」
「ローグ爺様です。前に別の方からお土産でいただいた時にとても美味しかったので、是非瀬名にも、と思ったんですが」
「鉱山族の酒か……」
《シェルロー。その酒、少し調べます》
「ああ、頼む」
飲んだら酔う。ごく普通のことだが、瀬名が酔うのは普通ではない。
青い小鳥が中身をちゃちゃっと調べた結果――。
《肝機能の働きを著しく低下させる成分が入っていますね》
「ええっ!?」
「何だと!?」
紛うことなき毒物である。
そんなものを瀬名と兄達に飲ませたと知り、末弟は愕然とした。
「待て、わたし達は何ともないが?」
《あなたがたには効かない成分だからですよ。ついでに鉱山族にもたいしたダメージにはならないでしょう。彼らにとっては、あくまで〝気持ちよく酔いやすい〟ぐらいの効果しかないものです》
「ということは……」
《血中のアルコール濃度がマスターには有り得ないほど上がっています。明らかに代謝能力が落ちていますね。摂取さえやめればマスターの回復力が勝りますから、一時間ほどで元通りになるでしょう。とはいえ、マスターでなければ既に致死量ですよ。他種族には飲ませるなと注意はなかったのですか?》
「それは……!!」
鉱山族が鉱山族のために造った酒は酒精が強過ぎて、好んで手を出す連中などほとんどいない。
ノクティスウェルはバルテスローグからこの酒をもらった時、酒精だけで「このぐらいなら瀬名も飲めるな」と判断してしまった。
確かめたわけではないが、ひょっとしたらバルテスローグも、瀬名なら飲めそうと思っていたかもしれない。
いや、実際に飲めてはいる。常人の致死量相当を「うまうま♪」と飲んで、いかにもご機嫌そうなほろ酔いになっている。その程度で済んでいるから、結論として――飲んだら酔っ払うという、当たり前の現象が起きた。
「すみません! まさかこんなことになるとは……!!」
「ノクトだけじゃない。わたしもこれを鉱山族に分けてもらったことがあるが、凄まじく強いためにほかの種族は飲まない、ぐらいの認識しかなかった。料理酒として使ったことはないが、郷の者にも使わぬよう言っておくべきだな」
「そうですね。鉱山族の方々にも、同じ成分の入った酒がないか確認しておいたほうがいいでしょうか」
「そうだな。銘柄を把握して注意喚起を……」
これを持ち込んだ当人として責任を感じている三男と、弟をなだめつつ「客人の料理に入れなくてよかった」と内心冷や汗の次男をよそに。
(ん~? ……ぬくい……)
美味しくてなんだかいい気分になったので、すっかりそのお酒がお気に入りになった某酔っ払い。
意地悪な手に何故か奪い取られて、取り戻そうと躍起になっているうちに、触れた部分から伝わるぬくぬくぽかぽかのほうが何だか気になってきた。
この時、室内の気温は15℃前後で安定している。外に比べればずっと暖かいが、この某酔っ払いにはそれでも肌寒い。
少なからず体温も上昇しているが、中途半端に「寒いのキライ」を憶えており、それもあって心がいっそう熱燗を求めていたのだが。
(これ、きもちいーかも?)
ぼんやり曖昧になった意識の向かう先が、届かない酒より、目先のぬくぬくぽかぽかにすっかり移った。
「瀬名?」
自分からぎゅう、と密着してみると、ますます気持ち良くなる。
それはどうしてか少し強張ったものの、拒むわけでもなく、酔っ払いはますますご機嫌になって、額をすりり、とこすりつけてみた。
ふわり、といい香りがする。花のような森林のような、どこかホッとする香りだ。
ぬくい。きもちいい。いいにおい……深く吸い込んで、心地よさのあまり溜め息をついた。
「……兄上? 何やってる?」
「わたしこれ、謝る必要ありました? 謝り損?」
「ああ……その……いや」
弟二人からジト目を向けられ、長兄が軽く咳ばらいをした。彼にしては珍しく赤面している。
さりげなく酒瓶を弟達に引き渡しても、酔っ払いは相変わらずぴったり貼りついたままだ。
奇声をあげたり暴力的になる悪質な酔い方ではない。むしろ可愛い。
可愛いが困る。
「まさか、酔いが回ったらこんなふうになるとは……」
「瀬名~? ほら、わたしのほうにも来てみませんか? こちらもあったかいですよ!」
「わたしも大歓迎だぞ? 菓子のおかわりもおまけにつけよう」
「んー?」
ほら! さあこっちにも! 次男と三男がにこやかに両腕を広げてスタンバイ。
が。
「あれ? うごかないよ?」
「……あ~に~う~え~?」
「心狭い! 幸せは弟とも分かち合いましょうよ!」
「うるさい」
「なんで? あれぇ? へんだな。からだ、うごかないよ? ん~?」
長兄の両腕にがっちり拘束されているからである。
普段の瀬名ならば、首から上が真っ赤に沸騰して逃亡を試みる場面だが、酔っ払いは舌足らずな声でひたすらハテナマークを飛ばすのみだ。
「うわぁ……危ないですね、これ……」
「危ないな……。兄上、理性のほうは保ちそうか?」
「いくらなんでもおまえ達の前で飛ばしはせんよ。だが今後、瀬名に鉱山族の酒は禁止だな……一部銘柄とはいえ、瀬名に禁酒を言い渡す日が来るとは」
《これが原因でマスターの記憶まで飛ぶことはありませんから、素面になればご自身でも律してくださるでしょう》
「記憶か。確かにそれは残っていそうだが」
「わたし達、酒が原因で記憶なくした経験ありませんし、よくわかりませんね。二日酔いもどんなものなのか」
「グレンいわく、『酒の失敗は後々まで響く。知人がへべれけになっているのを見かけたら、傷が浅いうちにできれば止めてやれ』だそうだ。――だから瀬名、そろそろ兄上から離れてこっちへ来ないか?」
「そうですねぇ。絶対に後で悶えまくる羽目になりますよ。そこの獣な兄様にパクッと食べられちゃってもいいんですか~?」
そこの獣呼ばわりされ、顔をしかめた長兄の腕の中で、酔っ払いは「う?」と首をかしげた。
ぬくぬくにこすりつけ、うずめていた顔をもそりと上げる。
飴細工のようにとろりと潤んだ黒曜石の瞳が、邪気の欠片もなくジ、と見上げ、見おろす翡翠の瞳がひるんだ。
ぱらりと額にこぼれた黒髪。
赤みの増した唇。
ふう、と熱い吐息がすぐ近くに……。
「…………たべるの?」
「――――――」
「駄目だ兄上早まるなぁッ!!」
「正気に戻ってくださいっっ!!」
「はっ!?」
――我に返った。
頭の中で何かがぶちぶちぶち、とちぎれ飛ぶ感覚とともに意識が彼方へ押し流され、その後の数秒間の記憶が飛んでいる。
記憶がどこかへ消失する感覚を久々に味わった。
なんだこの危険物。
「あ、危なかった……」
「ヒヤリとしたぞ……」
「ほんと、やばかったですね……瀬名の逆鱗項目ですよ、これ」
瀬名の逆鱗項目とは。
それに抵触したが最後、瀬名による瀬名のための〈いつか地獄を見せて滅ぼすブラックリスト〉に名が刻まれる項目のことである。
その極秘リストは小鳥にも共有されているので、どこにも逃げ場はない恐ろしいリストである。
そして逆鱗項目の上位には、〝酔って前後不覚になった者を襲う行為〟も入っていた。適用しないケースとして「一、相手が敵であった場合」「二、襲った側にも薬物が盛られていた等やむをえない理由での心神喪失などが認められる場合」など幾つかあるのだが、今回のこれはレアケースだった。
「実際、もし兄上が踏みとどまらなかったら有罪はどちらという話になると思う?」
「そりゃ男のほうでしょうよ」
「……なんて理不尽な酔っ払いだ」
そもそも酔っ払いだからとしか言えない。
仮に瀬名が潔く己の過失と向き合い、そこまでは怒らなかったとしても、確実にこの小鳥がブラックリストにぶちこむ。この小鳥はやる。
(つまり襲うなら素面の時に襲えと)
(酔いの勢いが使えませんし、余計に恥ずかしいんじゃないかと思いますけどね)
(前よりも表情が豊かになって、恥ずかしがる顔はむしろ悪くないのだが。すぐに逃亡をはかろうとするのが難点だな)
(追うのも愉しいくせに)
(追い詰めるのも好きなくせに)
(否定はせん)
(完全に囲ったらどこを破壊して逃げるかわかりませんし、誘導する位置に柵を立てるのがいいでしょうね)
(塞ぐよりも逃亡経路に罠を仕掛けるほうがいいと思うぞ)
(おそらく間違いなく衝動的に旅立ちたくなるだろうが、本格的な雪の時期に入れば、どこへでも行き放題とはならんはずだ。行き先も経路もそれなりに限定されるはず……)
自分の頭上で交わされる男達の視線の意味を知る由もなく、いい香りのするぬくぬくに包まれた幸せな酔っ払いは、くふふと嬉しそうに笑っていた。
「きもちいー」と舌足らずな声ですりすり、と頬をこすりつけている。
「んー♪」
「……瀬名」
「なぁに~?」
「少し離……いや、何でもない」
「んふふ……ぅん……いーにおい…………さいこう……ぎゅってして……」
「――ARK、何分経った?」
「瀬名のお酒、あとどのぐらいで抜けそうです?」
「もうだいぶ経ったろ?」
《十分も経っていませんよ。素面に戻られるのが早いか、寝落ちされるのが早いか、第三の何かに突き進むか、どれが早いでしょうね》
「…………」
「…………」
「…………」
悪魔が囁き、三兄弟は沈黙した。
この危険物を抱えて、あと五十分?
一時間て、こんなに長かったのか……?
◆ ◆ ◆
さて。
その後、迷惑なようなそうでないような酔っ払いとの戦いは、一時間ぽっきりで寝落ちという結末を迎えた。
何も知らぬ危険物はすやすや気持ちよく客間で過ごし、翌朝。
「……………………」
何故か三匹の精霊族が雑魚寝する中央で目覚めた黒髪の人は、しばし〝考える人〟となる。
しばらく考えに考えて、真っ赤になって真っ青になって真っ白になって、やがて無になった。
憶えていたらしい。
そして何もかもを悟りきった笑みを浮かべ、「フ……」と虚空を見上げた。
よし、旅に出よう。
果たして成功するか否かは、青い小鳥のみぞ知る。
三兄弟「……やはりな」




