とある勇者+S氏の里帰り冒険 (11)
陽が昇るにはまだ早い時間、アスファの瞼は自然にパカリと開いた。
身に染みついた生活習慣に則って、身体が勝手に覚醒してくれたようだ。短時間でもしっかり熟睡したおかげか、寝不足時特有の怠さや重苦しさはない。
少しでも眠れたらいいな、なんて心配をした己が滑稽なほど、爽快な目覚めである。
枕もとの陽輝石に軽く息を吹きかけ、ぼんやり浮かびあがる床の人影を踏む直前で回避した。
(――ああそうだった、こいつもいたんだ)
悪意や敵意のない者は、意識しなければ気付きにくい。
声をかけるか迷い、結局小さく溜め息をついた。
(寝かしといてやるか。こいつこそ寝付けなかったはずだし)
厚手の毛布にくるまった障害物を避けながら、音を立てないようにすばやく着替えを済ませる。灯りを持ち、シモンを伴って部屋を出る時も、ロッシュが起きる気配はまったくなかった。
「あ、アスファ。おはよう」
「はよ」
同じタイミングで廊下に出てきたエルダ、リュシーと居間に向かう。
レイシャの部屋に泊まっているフアナも、おそらくまだ夢の中だろう。レイシャが程よい頃合いに起こし、朝食の準備を手伝ってもらうことになるはずだ。
「…………」
暖炉近くの長椅子で、淡い金髪の青年が仰向けになっていた。
その上に黒髪の人物がうつ伏せになり、ぴったりくっついて一枚の毛布にくるまっている。
黒髪にもふりと埋もれた青い羽根。
毛布から覗いている肩や腕は――
(服、着てるな。よし!!)
何が「よし」なのか。
いったいこの二人は何をやっているのか。
イチャイチャなのか譲れぬ闘いなのか知らないが、言っていいだろうか。
(余所でやってくれよ――――ッ!!)
青少年の心の絶叫が聴こえたか、金髪の中から伸びた耳がピクリと動いた。
うっすら片方の瞼が開く。
青年は凝視するアスファに、唇の端を少し上げた。
白く優美でいて、節のはっきりした指が暖炉を示す。
暖炉は煌々と燃えていた。よく見れば薪ではなく、幼児のこぶし大の石が灰の中で輝いている。
魔石だ。レイシャの家の燃料を消費しないよう気遣ってくれているらしい。
唐突に押しかけた客人としての気遣いは素直に嬉しいが、若者達の精神衛生にもいくらか回してくれないだろうか。
かまどには小鍋がかけられ、蓋の穴からしゅんしゅん湯気が噴き出ている。
早朝、見回りに向かう前、熱い一杯で身体を温めるのがアスファの習慣だった。
準備の手間を省いてくれたわけで、これも素直に感謝せねばなるまい。微妙な顔になりつつ極細の声で礼を告げ、危険な領域をなるべく目に入れないよう手早くカップへ湯をそそぎ、仲間達に渡してそそくさとその場を退散した。
本来ならゆっくり飲み干して向かうのだが、誰からも異論は出なかった。
◇
レイシャの家の周辺にかかる雪渡り橋。それを見回って橋や雪の状態、時には畑の様子をチェックするのが、一日の内で最初の仕事だ。
家のすぐ前、わずかな時間とはいえ、外に出る際は武器の準備を欠かさない。アスファとリュシーはいつもの剣。シモンは短弓。そして四人全員がメイン武器以外に短剣も忍ばせている。
レイシャからはいつも呆れられ、村人からも擦れ違うたびにうろんな視線を向けられる。こんな小さな村でも神殿があり、守護結界がある。危険な魔物は入って来られないし、今まで大した事件もなかったのだから。
だが、魔物は来なくとも凶悪犯罪者が身を隠すべく、わざわざ僻地を選んでやってくる可能性もゼロではなかった。実際、ギルドにはそういう討伐依頼もあるのだ。
夜明け前の静寂の中、四人が橋を渡る音。
どこかの家でも同じように、早朝の作業を行う音がかすかに空へ昇っていた。
「にしても、朝から心臓に悪いよね……」
「ああ、起き抜けにあれはきつい。どういう展開でああなったんだろな?」
なんだか、姉か母親の見てはいけない現場に遭遇してしまった気分だ。
隣家へ響かない程度の小声でぼやく男達に対し、リュシーとエルダはさりげなく沈黙を選んだ。
彼女達も気まずくはあったが、男二人に比べて立ち直るのが早い。
もっと本音を言えば、興味のほうが勝った。
だいぶ庶民生活に馴染んだとはいえ、人生の大半を貴族令嬢とその使用人として過ごしたエルダとリュシー。彼女達は根本的に、お上品な箱入り育ちなのである。
そしてエルダは苛烈な気性から、リュシーは当時の身分が奴隷・長身・他者を拒絶する性格から、どちらも恋愛事や縁談とは無縁であった。
――無縁だったからといって、興味がなかったわけではない。
そんな女性二人は、ほんのり頬を染めてちらちら視線を交わしている。
やがて口火を切ったのはエルダだ。
「ねえ、やはりあのお二方って…………ですわよね?」
「…………だと思い、ます。ご兄弟とも、よくジャレておられますけど……シェルロー様がお相手の時だけ、師匠が本気で逃げを打っていますから」
どうでもいい相手ならば「夜空のお星様にしました。完」である。
弟子達はよく知っている。
「師匠はそういう雰囲気になるのを徹底的に避けていらしたようですし、その手の対話を目的として二人きりになられたのは、あの一回だけではないでしょうか?」
「宴の夜ですわね。グレン様が『話し合え』ってピシャリと仰られた。……あの時のお話、結局どうなったのかしら? その、根掘り葉掘り聞きたがるのははしたないと思ってしまって、どなたにも訊けていないのですわ」
「わ、私も……薮蛇というか、こちらに飛び火しそうで訊けなくて。どうなったんでしょう……」
照れ照れ、もじもじ、内緒話を続ける女性陣の横で、今度はアスファとシモンが静かになっていた。
聞き耳を立てるまでもなく、こんな間近で喋っていれば聞こえてしまうのである。
「……どうもこうも、一貫して押せ押せのシェルローさんに師匠が怯んでるだけだろ。師匠が鬼教官でも暗黒魔女でも魔王でもシェルローさんの態度変わりゃしねえんだから、あとは師匠の心次第だってのにまだ決断に踏み切れねえってやつ?」
「でもってシェルローさんはセナ様に甘々だから、セナ様の望みをくんで現状維持、だけど何もしないのもつまらないから時々ちょっかいはかける、ってやつだよね」
「グレンに腹くくれって言われてんのに、じれじれなんだよな~」
「いつもみたいに即断即決、すぱっと決めちゃえばいいのにね」
さらに小さな声で男二人がヒソヒソ交わすのを拾い、女性陣がちょっとムッとして口を噤む。
彼女達が知りたいのはそういうことではないのだ。そこへ至るまでの具体的な、甘酸っぱそうな香り漂うアレコレを知りたいけれど、それを言ったらはしたないから誰にも訊けないと言っているのだ。
女性陣から不満がたちのぼるのを敏感に察し――これを察することができなければ彼らに待っているのは破滅である――アスファとシモンは焦った。
「ええーと、さ、昨夜何があったんだろうな~?」
「だ、だよね~」
そこまで際どい何かはなかっただろう、多分。そうに違いない。
戻したくない話題へ敢えて戻した。
《お答えいたしましょう》
「おわっ!? あああアーク!?」
《はい。いつでもどこでもあなたの隣のアークです》
「怖ッ!?」
すい、と肩にとまった青い小鳥が抑揚のない声で囀り、アスファは沼に沈められそうな恐怖を覚えた。
リュシーの手が剣の柄へ、シモンの手は弓矢へ伸びかけている。
エルダも無意識に魔力を練り始めていた。
反射的に戦闘態勢へ入りかけていた三人。小鳥氏の日頃の人徳(?)が窺い知れる一瞬であった。
《ひどい……アーク傷ついちゃう……くすん》
「うひぃぃぃッ!? みみみ耳元でそそその幼女声はヤメロぉぉぉっっ!!」
「とと鳥肌ががっ……!?」
「きゃううぅ~っ……!!」
「…………ッッ!!」
幼い少女の可愛らしい涙声を合成し、四人まとめて一気に恐慌状態へ突き落とした小鳥。今襲撃があったら間違いなく全滅する。
幸いなのは恐怖のあまり喉がひきつれて小声の絶叫になり、隣近所からなんだどうしたと人が集まる事態にはならなかったことだけだ。
《では先ほどの続きですが》
「たすけておれのかたにこわいのがいる」
「ご、ごめんなさいアスファ……っ」
「ぼくらには何もできないよっ……」
「す、すみません……っ」
無力感に打ちひしがれる仲間達をよそに、邪悪な何かは平然と続けた。
神官はどこだ。
《冗談はさておき、それほどお聞きになりたいのでしたら、昨夜の顛末についてお話しいたしましょう》
「いや無理に喋らなくともっ?」
《最近のマスターとシェルローには少なくない頻度で発生する展開です。まずシェルローが『どのタイミングでどこまでなら攻めてよいか』をギリギリまで見極め限界まで攻め》
「結局ぶっちゃけるんかい!」
《マスターの限界が近いと見るや『今日はここまで、また次回』と苦笑しつつ一時中断。しかし『こちらは妥協して中断したのだから』とマスターの物慣れなさに起因する罪悪感につけ込み、ちゃっかり言質を取って軽い接触を継続。具体的には抱擁や目尻への口づけなど》
「いやあああ!」
「やめてええええ!」
アスファとシモンは身をよじらせ全力で耳を塞ぎ、砂を吐くムンクの〈叫び〉と化した。
エルダとリュシーは真っ赤になって恥じらいつつ、目が輝いている……。
《以降は全面拒否の口実を与えぬよう、羞恥心を刺激しにくい当たり障りのない世間話に終始。しかし低音の美声で耳元に囁き続けるワザは完全にマスターの弱点を突いており、さらに自身の周辺のみ冷気を遮断して快適ぬくもり空間を演出。至福の心地良さを印象付ける手口にマスターはなすすべもなく眠気を誘われ、とうとう添い寝と呼ぶには密着度の高い抱き枕状態を許してしまわれました。――あの男はおそらく、回数をこなしてマスターが自分との密接距離に慣れるのを狙っているでしょう。以上です》
「…………」
全部聞いてしまった。
アスファとシモンはがっくり膝を突きそうになり、気力を振り絞って踏みとどまった。
足もとには薄く雪が積もっている。服越しだろうが、膝をつけたら無駄に体温が奪われてしまうこと請け合いだ。
エルダとリュシーは恥じらう素振りを見せつつ、キラキラしている。
「おさすがですわ、シェルロー様」
「あの師匠相手にお見事と言わざるを得ません」
他人様の秘め事に興味津々なお年頃のようだ。男二人とは実に対照的であった。
「アークよお……おまえ、ソレの一部始終を黙って見てたんか……?」
《その場におりましたからね》
「おりましたからね、じゃねーよ。いつものお前なら、途中で割り込んで強制終了させそうなもんなのに」
あ、そういえば? アスファの指摘に仲間達は目を瞬かせた。
《仕方ありません。マスターが私に救けを求められませんでしたから》
「別に呼ばれなきゃ救けねえわけじゃねーだろ? だって今までだって」
《仕方ないのです。――アレの抹殺や暗殺や謀殺は禁止だとマスターに厳命されてしまいましたので》
「……」
「たすけてアークさん」があの男に発動すればそうなるようだ。
どことなく小鳥の台詞に「チッ」というニュアンスが含まれている気がする。
「アーク。おまえ、もしかして拗ねてんの?」
アスファはつい、要らぬひとことを口にしてしまった。
《……あーく拗ねてないもん。くすん》
「っっっひぃぃィィッ!?」
ゼロ距離で攻撃をくらったアスファが再びゾワワワ! と震えあがり、仲間達が瞬時に戦闘態勢に入った。
彼らが涙目で謝るまで小鳥の細かいイヤガラセは続き、アスファは仲間達から「余計なこと言いやがって」としこたま怒られるのだった。
◇
星明かりの下、雪原は青く染まっている。
ただ歩くだけなら、さほど視界は悪くはない。ただし、些細な異変の発見には、光源はあったほうが良い。
橋は慣れていなければ危険だ。単純に転びやすく、うっかり雪の上に落ちたら自力では這い上がれない。そうなれば仲間に引っ張り上げてもらうしかなく、そのための縄が柱に巻きつけられており、縄の先は身体をくぐらせる輪になっていた。
木材を加工する段階で、表面には融雪剤が塗られている。ただし融ける速さより積もる速さのほうが上回っていれば、当然ながら除雪作業も必要になる。このぐらいの雪の厚みなら、日の出とともに消えてくれるだろう。
等間隔で橋を支える柱に、小指の先程度の小さな陽輝石が吊るされていた。
遠目には蛍火のように綺麗で、これを初めて目にした仲間達の感激ぶりを、アスファは不思議な気持ちで眺めていたものだ。
「なあ。この石って全部、領主様の……」
《そうですね。村が石の使用を申請し、必要性が認められれば追加で配られることもあります。たとえば自分の家を村で一番目立たせたいといった厚かましい要望でもない限り、常識の範囲内でしたら却下はされていません》
「んな要望出した奴がいたんかい」
《領主館の記録に残っています》
「僕の生まれた村の灯りは蝋燭か松明だったよ。偉い人の家に光る石があるのは知ってたけど、それを陽輝石っていうのは村を出てから知ったんだよね」
《通常の村や寂れた町には設置されていない場所の割合が多いでしょう。盗まれますので》
「あ~……」
「なるほど……」
領主の心配りと治安の良さの証明。それが村中を照らす、星々よりもあたたかい蛍火の正体だった。
《この村はとても興味深いです。このように雪で作物を育てるなど滅多にありませんよ》
「それ僕も思った! 面白いよね」
「これなど、わたくし実家で食べたことがありますわ。常温ではトロリとしていますのに、火を通せばプリッとした食感になるのがもうたまらなくって♪ ……高級食材ですわよね」
「……近所のおばちゃんにお裾分けもらって食うもんだと……」
「贅沢者がいる」
「贅沢者がいますわ」
「公爵邸の晩餐に出る食材をお裾分けって、アスファ……」
「ち、違うもん! 知らなかったんだもん!」
「アスファがどんな食材でもすんなり料理できてしまう謎の一端が解明できた気がしますわ」
「え? いやそれとこれは無関け」
「お黙りなさい」
「はい」
「……アスファの美食家疑惑は、この際忘れるといたしましょう。――てっきり秋の作物と思っていたのですけれど、まさか真冬に育てていたなんて驚きましたわ」
「しかも、土のない雪原に種を蒔いていましたしね。あれには目を疑いましたけど、本当に育ちましたね。しかも成長が早い」
「おい、あんまし身ィ乗り出すなよ? いざって時にゃエルダの魔術があるっつってもさ」
あの作物の根もとに地面はないのだ。
収穫時には格子状に板が渡されるものの、現在は設置されていない。
人の体重がかかれば茎が折れるし、作物を駄目にしたら怒られてしまう。
まあほとんどの村人は、「無事でよかったな」「ほんとにねえ」「今度からは気をつけろよ」的な怒り方をするだろうが……。
離れてみて初めてわかる、余所から見た地元の変な所。そして人々の善良さ。
残念ながら村長周辺の一部は、外の毒に染まってしまったようだが。
(……そうか。外の)
商人だ。商人が〝毒〟を持ち込んだ。
原因を何もかも外に押しつけるつもりはない。けれど、持ち込まれた〝悪意〟に触れ、長い年月をかけて密かに汚染されていった一部が村長達なのだ。
怒りながらも無事を喜んでくれそうな村人達と、村長達は異質な臭いがする。
いきなり娘達を集め、「さあ選べ」とやった時もそう。もしあの場に別の村人がいたならば、「ちょっとそいつぁやりすぎなんじゃねえか?」と止めてくれそうな顔がいくつも浮かぶ。
アスファの悪童時代を知っていて、その上で庇ってくれそうな人々が。
(あそこの騎士様達。ここの人達と仲良くできねえかな…?)
前は「陰険でヤな感じ」という印象しかなかった。だが帰郷にあたり、当時をいろいろ思い返してみて、村人の態度も結構アレだったなと気付いた。
本当は、そんなに「ヤな感じ」な連中ではないのかも――いや、希望的観測は危険だとさんざん教えられたではないか。こちらに非があったとしても、だからあちらには非がないという結論に至るのは短絡的だ。
ただ、確実に言えるのは。
どちらなのかを判断できるほど、自分はあの砦の騎士達を知らない。
「アスファ? どうしました?」
「どうなさったの? ぼんやりして」
「あ、いや。なんでもない」
まずは仕事を片付けて、朝食時に瀬名やシェルローヴェンに訊くとしよう。
「――ん? ここ、腐食してやがるな」
「どこ?」
「ここだよ。変色してるだろ」
「あっ、ほんとだ」
「よく見つけましたわね」
「昨日はなかった気もしますが……」
リュシーが首を傾げるのに、アスファも首を傾げた。
彼女の言う通り、昨日の見回り時点で異常はなかった。
(腐食の範囲が俺の手の平ぐらいある。これを見落とすとは思えねーんだけど)
一晩で傷むには広い。
《アスファ。こちらにもあります》
「マジか」
「これも腐食ですか? 危ないですね、板が割れそうになっていますよ」
「結構多いんですのね。先日も二軒隣のお宅で橋の修繕をなさっていましたのに」
「雪って傷みやすいのかな?」
「…………」
いいや。
アスファは眉を顰めた。
雪に強い木材を使っている、はずだ。




