とある勇者+S氏の里帰り冒険 (9)
全員が無言になり、そこかしこで溜め息が漏れる。今日はよくよく微妙な空気の流れる日だった。
反抗心たっぷりなイキのいい芋虫だけが、床に転がされながらも頑張ってウゴウゴしている。
「『出まかせ言うな、なんでおまえにそんなことがわかるんだ!』とでも喚きたそうですね。実は不安の裏返しなのでしょうが」
ノクティスウェルが芋虫の言語を翻訳し、芋虫が真っ赤になって睨み上げつつ「ムグッ、ムゴゴォッ!!」と吼えた。
「ご自分の立場がまだわかっていないようですね」
「瀬名の胸ぐらを掴んで罵倒したそうな顔だ。解体しよう」
「ならば、片付けやすいよう先に氷漬けにしておこうか」
「キミ達、他人様のお宅で犯行計画を立てるのはよしたまえ。彼はきっと『てへ、バレちゃった。実は図星なんだ、ペロ♪』と主張したいだけなんだよ」
「ああ、図星で恥ずかしかったんですか」
「勘違いしてすまなかったな」
「そうか、本当は不安でいっぱいだったのだな」
「ウグむゴぉぉオッ!!」
「ロッシュやめろ、こいつらは反抗的な奴をいたぶるのが趣味なんだって!! 奴らに遊ばれないためにも、ここは大人しくしとこう!! なっ!?」
アスファの涙ぐましい説得により――とても実感がこもっていた――芋虫は少し静かになった。単に毒気を抜かれただけかもしれないが。
そんな微笑ましい光景を眺めつつ、瀬名は傍らに立つ青年から伝わるぬくぬくぽかぽかのせいで、軽く眠気を催していた。寒いと眠い、暖かくても眠い、困りものである。
半冬眠状態をひとまず脱してこの場にいるのだが、これでもまだいつもより反応が鈍かった。
「うーん。証拠を持って来いって言われたら困るけど、調べたらわかることなんだよ。出自不明な人々からいきなり『仲間に加えてください!』ってお願いされたところで、即座に『うんいいよ!』とはいかない。領民や村を増やすには国の許可が要るんだ。申請を出しては突き返され、指摘された問題点をクリアしてまた申請――そんなやりとりの記録が、公文書としてがっつり残ってるんだよ。どうやって調べたかは内緒だけど」
ARKの苦手分野は〝口伝〟だ。口頭でしか伝えられていない情報だけは、時間を遡るほど容易には辿れなくなる。
逆に、ひとたび文字にしてしまったら、ARKと瀬名の興味を引いたが最後、すべてごっそり拾い上げられてしまう。それこそ極秘の重要書類だけでなく、日記や恋文に至るまで。
大抵の知恵ある種族は、プライベートを暴かれるのを嫌う。円滑な近所付き合いに確実に影を落とすであろうから、精霊族以外には秘密にしておいたほうがいいと三兄弟から忠告され、瀬名やARKもそれには同感だったので、詳細は秘密で通していた。
小鳥の潜入スキルの高さを知る者は増えたが、実は鍵付きの机の中身だろうが、建物の外からだろうがスキャン可能とまで触れ回る必要はない。
「それから、当時の領主一家の手記。最大の難関は、その山奥の人々が、もとからそこに住んでいた先住民じゃないことだった。貴族間には領民の引き渡し協定があって、飢饉や重税なんかで領民が逃げた場合、逃亡先の領主に引き渡しを要求する権利があり、要求された領主はそれに応じなきゃいけない。これは悪質な領主が、他領から誘拐まがいに職人や労働者を引っこ抜くのを防ぐ目的も含まれるから、決して民の側だけに一方的に不利な取り決めじゃないんだ」
その人々はまず、余所から逃げて来たのではないかと疑われた。領主はこれについて、『彼らは先住民であり、最近になって偶然お互いに存在を知った』と言い張った。そして、彼らが〝昔からそこに住んでいた住民である証拠〟をいくつかでっちあげた。――かなり危ない橋を渡ったと思われる。
数年後、彼らはようやくスベール領の新たな民として認められ、一部はほかの村に移住したが、大部分は山奥の村に留まった。
当時この村には食べ物を得る手段がなく、しばらくは食糧の配給によって凌いでいた。
今では毎年採れて当然のように思われている山の幸は、実は領主一家が過酷な環境下でも育つ種や株を大量に買い付けてきて、植え方や育て方を指示したもの。
村で栽培されている薬草類も、領主一家が試行錯誤を重ね、何年もかけて軌道に乗せたものだった。
村人が誰も憶えていなくとも、領主館には事細かな栽培計画の記録その他が大量に残っている。
彼らをこの先もずっと食べさせるために、いくつもの試みが黒字に転じるまで、初期の負担は相当なものだったはずだが、領主一家が一度受け入れた民を見捨てることは決してなかった。
そして現在。
村人達はすっかり平穏に慣れ浸り、表向きの村の歴史を本物だと信じ込み、喉元過ぎて恩を忘れ果てている。
「…………」
睨む目つきから先ほどより力がなくなり、ロッシュはとうとう俯いた。子供のように「嘘だ嘘だ!」と繰り返す自分こそ、反論できるだけの根拠が何もないのだと気付き始めたらしい。
呆然としている友に、アスファはかつての己を重ねて不憫になったのか、ぼそりと苦言を漏らした。
「なあ師匠……ちょっと酷なんじゃねえ?」
「ん、何が?」
「いやいや、だってさ。こんなとこに法律詳しい奴なんていないんだぞ。それにロッシュは全然これに関わってねえじゃん。悪いのは村長のおっさん達でこいつには責任ねーのに、さすがに可哀想だぜ」
「責任なら、これから嫌ってほど増えるさ。次の村長は彼がなるんだから」
「――ムグ?」
「は? 次の村長って、ロッシュの親父――」
言いかけて、アスファは言葉を呑み込んだ。
(……そうか。村長とあのおっさん達は、もう終わってるんだ)
もはや改心だの挽回だのを語る余地のないところまで来てしまっている。
噛みしめた口の中に、何とも言えない苦さを覚えた。
《法に詳しくなかろうと、人が集まれば自然にルールは出来上がるものです。そして大勢の人々が暮らす国で混乱が生じないよう、ルールから曖昧さを極力除いたものが国法となり、土地の事情に合わせて領主法が定められる。ですので、大人が子に言い聞かせる〝やってはいけないこと〟だけでも、最低限重要なところは案外押さえているのです。隠れてやっていた以上、彼らには〝悪いこと〟という認識はあり、『学がないから知らなかった』は言い訳にもなりません》
小鳥の冷ややかな指摘が刺さり、瀬名が「そうそう」と頷いた。
「ちなみに、一定以上の利害が絡む商売を無断でやるなっていう領主法はね、まあ今回の件でよくわかるように、相場を知らない田舎者なんて悪徳商人にカモられるのが目に見えているからだよ。村人の被害を防ぐためであって、〝無能領主〟が適当に決めた意味不明な決まり事じゃあないの。さらに言えば〝共同体の共有財産〟ってのは、すなわち〝領主の財産〟なわけね。今回の件を例えるなら、商家の雇われ人が商品の数を少しずつ誤魔化し、密かに売却していた利益を自分の懐に入れていた状況に近いかな」
アスファは頭を抱え、テーブルにゴンと額を打ち付けた。
――故郷の田舎にのんびり里帰り。
母親に謝り倒して、仲間と好きな女の人を紹介して。
それだけだったのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
昔から頑固過ぎて辟易させられる連中ではあったけれど、恨みがあるかと訊かれればない。
なんだかんだで、生まれ育った村の、小さな頃から知っている人達なのだ。
「甘いぞ、アスファ。悪意なき者であれば悪党ではないと思うか? 奴らが商人と裏取引を始めたのは、おまえが生まれる前からだぞ」
「そんな前から!? なんでずっとバレなかったんだよ?」
「商人の入れ知恵だろうな。露見しにくいよう、ごくわずかな量から始め、期間も空けて慎重にふるまっていた。だが慣れてくると徐々に後ろめたさが薄れて大胆になり、頻度も量も増えてくる。そうして慎重さが失せ、油断が入った頃にバレるのだが、その時点では如何に寛容な領主でさえ目こぼし不可能なほどの大罪になっているわけだ。瀬名が絡んだ分、まだマシになっていると思え。少なくとも、瀬名の計画の中でおまえの幼馴染みが連座の刑に処される未来はない」
「師匠の計画……」
「昔のおまえならいざ知らず、今のおまえがここに戻った以上、奴らの〝悪事〟が明るみに出ない展開は恐らくなかった。そしておまえには、ここで起こっている出来事が手に負えない自覚はあるだろう」
「……うん。ロッシュを助ける方法とか、こっそり逃がす以外に全然思いつかねえ……」
「それだけではないのだ。おまえが暴いた罪によって、おまえの友までが罪人の一族として処刑される悲劇――それがおまえの想定している、おまえしかいなかった場合の〝最悪〟だろう。我々の想定する〝最悪〟は、スベール子爵領そのものの壊滅だ。この村など真っ先に消える」
「――へぁっ?」
「どういうことですか?」
つい妙な声を発したアスファに、リュシーの声が被った。
アスファの大切な故郷の村である。それにここの村人は、余計な世話を焼きたがる迷惑なお節介が多いけれど、陰湿な悪意を向けてくる者はいなかった。
アスファの母もリュシーに優しかった。自業自得な村長や顔役の男達には微塵の同情心も湧かないけれど、それ以外は基本的にみな善良で、普通の人々なのだ。
「【氷王蟻】を知っているか」
「【氷王蟻】? いえ、私は……アスファは?」
「俺も知らねえ。エルダとシモンは?」
「いえ、存じませんわ」
「僕も。聞いたことない」
「母さん知ってる?」
「ううん、知らないわ。……魔物なの?」
「僕も【蟻】系の魔物について学んだことがありますけれど、【氷王蟻】は初耳ですね」
知識だけなら、そこらの討伐者より魔物に詳しい神官アロイスでさえ知らないという。
アスファ達は眉を顰めた。それはつまり……。
「この辺りは強い魔物の生息地には向かん。それは知っているだろう?」
「うん。小型の【兎】とか【鳥】、たま~に強いのが出ても単独で倒せる大きさの【熊】くらいだ。……ヤバいやつなの?」
「肉食ではなく、基本的にこちらから何もしなければ襲って来ない。生息域は人里の近くにはなく、とりわけ魔力の豊富な土地を好む。【蟻】系の魔物の中における個体の強さは上の下、関わる可能性の低さで見れば無害とすら言えなくもない。――ただし、【蟻】は桁違いの群れを作る。【氷王蟻】は群れとしての脅威度が〝厄災種〟に指定されている魔物だ」
「…………」
「我々が着いた直後、近くで斥候の姿を見かけた。この村の様子を窺っているようだった」
「……おれ、たびにでようかな……」
どこかの誰かを彷彿とさせる、哀愁に満ちた呟きだった。
「何故アスファの村を? 普通は人を襲わないのでしょう?」
「そ、そうですわ。もし危害を加えた愚か者がいたとしても、群れなす蟲系の魔物はその場で報復に出ますでしょう?」
「実は好奇心で様子見に来ただけで、特に何もする気はない、とか……ないです、よね……」
リュシー、エルダ、シモンが次々に言い募るも、シェルローヴェンが事実と掛け離れたなぐさめを口にすることなどない。何の益にもならないからだ。
《村長親子、および顔役の方々の取引相手は、死の商人と呼ばれる者達です。彼らが荒稼ぎした後に考えるのは、証拠隠滅と口封じを兼ねた〝掃除〟です》




