とある勇者+S氏の里帰り冒険 (8)
ロッシュとフアナは目をまるくしたまま固まっている。
そもそも彼らは金貨を目にしたことがない。金貨だけでなく、銀貨すら手に取ったことがなかった。せいぜい、銅貨とは比較にならない貴重なものだと知っているぐらいだ。
村長宅に集まる貨幣はすべて銅貨であり、それを領主へ納めるにあたって銀貨に替えることもなければ、両替できる場所もない。銀行の役割を果たすギルドは、この土地にはなかった。
自分達の村は、軽く金貨数十枚以上の価値を生み出している。そこからして既に現実味がないのに、あろうことか一部が村の代表達によってくすねられ、はした金で売り飛ばされていたなんて――理解の範疇を超え過ぎてピンとこない。
瀬名はこの二人との対話を捨て、ひとり顔を険しくしているレイシャのみを話し相手に絞ることにした。
「レイシャさん。この村の人達って、算術できないよね? もちろん読み書きも」
「ごめんなさい、〝さんじゅつ〟って何かしら?」
「そこからか。――数を数えたり、足したり引いたり割ったり、っていうの」
「ああ、それね。できないわよ。アロイス様は皆に教えてくださろうとするんだけど、前の神官様は一切そういうの仰らなかったし、そんなの憶えて何の役に立つのかって、興味を持たない人ばかりだわね。読み書きなんて、少なくとも今までは必要なかったし、両手の指まで数えられたら充分に事足りてたから」
読み書きができて、二桁まで数えられるのは村長一家と顔役の男達の一部だけ。
ただし、彼らの読み書きのレベルがどのぐらいなのか、レイシャには判断がつかない。数についても〝数えられるだけ〟で、足したり引いたりの計算はできないはずだという。
「今まではずっとそれで問題なかった……ううん、ないと思ってたのよ」
苦々しそうな表情と声音は、瀬名へ好感を与えた。
彼女は現実を見て、現実を語っている。例えそれが容易には認め難いものであっても、嘘だ、そんなはずがないと頑なに目を逸らしたりはしない。
つまるところ過去のアスファの母親に対する反発は、夢しか見たくない少年が、賢明な母親の諭す現実に反発していただけなのだった。結果的にアスファは成功例になれたわけだが、それは彼の運が良かっただけであり、無知で短慮な十代半ばの少年が村を出奔した末路など、大概ろくなものにはならない。
瀬名はアスファをちらりと見やり、内心で微笑んだ。――母親とそっくりな、苦々しい表情がそこにあった。
「粉や粒状のものは領主から指定された器を使い、この袋にはすりきり十杯分、この箱には十回分と数えながら入れ、薬草類も十本を一束、十枚を一束として集める。小さく大量にある物をいちいち数えず、計量容器を使うのは効率的だし、十ごとに纏めるのは数えやすくて良いと思う。ただし、最終的にそれらがいくつ、どのぐらいの量集まったのか、総数を把握できている者はいない。見たところ、記録をつけている人もいなかった。だから、『三十五個用意したはずなのに実際は二十九個しか納められていなかった』としても、誰にもわからない」
「……そうね。ずっとうちに籠もってらしたお師匠さんが、どうしてそんな詳しくご存知なのかはおいとくとして……確かに、やろうと思えばあの連中にはできるわね。ちょろまかした上にまんまと騙されるなんて、どうしようもないアホどもとしか言えないけど。それとも足元でも見られたのかしら?」
「ロッシュ君達の反応を見るに、やっぱり単純に価値を知らなかっただけでしょ。値切られるにしても金貨十二枚はない」
「な、なあ! その――……金貨だろ? 普通そんなの手に入らないだろ? それが十二枚もって、すげえ大金じゃないか?」
たまらずといった風にロッシュが割り込み、瀬名は舌打ちしそうになる。
話について行けず頭の中が〝?〟マークだらけになり、とにかくパッと浮かんだ疑問を口にしてみた。そんな感じだったからだ。
(ようやく出てきた質問がそれか? 金額の多寡より重要なとこがあるだろうよ)
脱線して面倒だから、最後まで黙っていて欲しかった。
「金貨っていう字面に踊らされたら駄目だよ。金貨十二枚は、例えば健康的なドーミアの一般庶民なら、一人で稼ぐ年収より少ないぐらいだ」
「――は!?」
「給料はだいたい銅貨で支払われ、大部分は税や生活費その他で消えるから、自分の収入を金貨に換算する人は滅多にいないだろうけど。あんたぐらいの年頃で体力のある男が、例えば果樹園なんかで一年働けば、十五枚分ぐらいは稼げる」
「じゅ、じゅうごまい……!?」
アスファ達は気まずげに目をそらした。
彼らは高ランクパーティに片足を突っ込んでいる。経験不足を理由に昇格を見合わせているものの、彼らの受ける依頼の大半が既に〝討伐報酬:金貨〇枚と銀貨〇枚〟の世界だった。場合によっては素材の買取料も上乗せされる。
おまけに、稼げば稼いだぶん豪快に使ってしまう討伐者が多い中、四人全員が堅実な金銭感覚を叩き込まれた異色のパーティになっており、万一のための貯金は欠かさなかった。ゆえに、そのぐらいの額は順調に貯まり、それでも四人分としてはまだまだ心許ないな、とさえ彼らは思っていた。
「『わぁいきんいろのおかねをこんなにいっぱいもらえた!』と喜んでる無邪気なおじさん達相手の商売なんて、悪徳商人からすれば笑いが止まらないだろうね」
「ふ、……ふざけんな、嘘ばっかり言いやがって!! てめえの言うことなんざ信じられるか!! そんなことあるわけ――」
「シェルロー君や」
「【拘束せよ】」
いきり立ってつかみかかりそうな青年の全身に、ぼんやり輝く半透明の蔓草が絡みついた。
「うをっ!? なんっ……もがッ!?」
蔓草は口の部分にもぐるぐる巻きつき、獲物はジタバタ暴れるもむなしく、ボトリと床に落ちて静かになった。
「これでいいか」
「うむ。見事である」
「瀬名ってこういう拘束系の術、まだ苦手なんでしたっけ?」
《マスターのお力は拘束向きではありません。誤って五体をバラバラにする可能性があります。これ以上進行の邪魔をするようでしたら、バラすのも有りかと思われますが》
「もがッッ!? もがが~ッッッ!?」
「あー、ロッシュ? おまえの気持ちは痛いほどわかるけどよ、今は静かに、良い子にしとこうな? 愚痴なら後で聞くからよ……」
俺も通った道だからな――真っ青になってウゴウゴ蠢く芋虫を、アスファが同情をたっぷり込めてポンポン叩いてやっている。
(あ、フアナちゃんがロッシュ君と私を見比べてドン引きしている。うーん。……まいっか)
素朴で小柄な美少女にこんなに怯えられたら、新たな扉を開――いや、少々心が痛まなくもない。小動物のようにプルプル涙目で見つめられ、もうちょっと虐――いや、慰めてやりたい気にもなるが、受け身一辺倒の人間の世話を焼き始めたらキリがなくなる。
善良そうな少女だが、いかんせん自主性がまったく見受けられなかった。いかにも気の強いロッシュ青年にとって、控えめで穏やかなフアナ少女は合うのだろうと想像できるけれど、掛け違えたら暴君と奴隷の関係になりかねない危うさがある。とりわけ、この村の価値観はそれを促す危険性をはらんでいた。
それを肯定するようにアロイスが言った。
「僕は君に同情しませんよ、ロッシュ君。だって君の物の見方や考え方、アスファ君に再会するまでは、あの方々と似たり寄ったりだったんだから」
「ッ!!」
「え、そうなん……?」
溜め息とともに見おろす神官を、ロッシュはぎり、と睨み上げた。
「『神官のくせに自分を助けなくていいのか』とでも訊きたそうだね? そういうところだよ。君らはそもそも神殿を舐めてる。僕ら神官を、民に尽くすべき便利な奉公人と勘違いしていないかい? だが生憎、我々が仕えているのは神々であって、君らではないんだ」
「……っ?」
「我ら神官は神々を崇め、信仰によって神聖魔術の恩恵を得る。神々の教えと神託によって怪我や病、悪しき霊の脅威から人々を守り、善く導く一助となるのが役目だ。手取り足取り何でもやってやれという意味ではないし、この場合の〝人々〟とは、すなわち我々の話をきちんと聞いてくれる人々を指すのであって、まったく聞こうとしない連中まで助けなきゃいけない義務はないんだよ」
「っ!?」
ロッシュはぎょっと目を瞠った。フアナも驚いているが、こちらはいつも優しい印象だったアロイスの変貌に戸惑っているようだ。
「〝聞く耳持たない人々〟ってね、たった一人で数十人分ぐらいの時間と労力を使わせるんだ。そしてそんな権利なんて一切ないくせに、条件やら試験めいたものを一方的に押しつけてきたりする。で、無視したら『神官がそんなことでいいのか』と文句をつけてくるんだ。毎度アホかと思うよ。そんな連中にかかずらうのは本当に無駄でしかないし、最初から耳を傾けてくれる人々に時間を使ったほうが遥かに有益だ。何も一から十までこちらの言葉を妄信しろと言っているんじゃない。だがね、『話を聞いて欲しけりゃ自分達にお前の価値を認めさせてみろ』なんて、そんな見当違いで何様な台詞を吐く方々を、何故我々が頑張って助けて差し上げると思い込んでいるのか、埃かぶった頭をよく動かして考えてもらいたいものだね」
「――――……」
ロッシュは呆然としているが、瀬名は笑顔で苛立ちを吐き出すアロイスの怒りに共感を覚えた。
要するに、クレーマーに近い人種だ。
アロイスは最初から高位神官と名乗っているのに、その上で「おまえみたいな若造の立場がどれだけ偉いんだ」と暴言を吐かれたのだ。村に来てずっとこの調子だったのなら、相当にストレスを溜め込んでいるに違いない。
「ああすっきり。たまにはセナ様の真似をしてみるものだね♪」
「をい待て。私か!」
「はい♪ セナ様の〝丁寧なお話の仕方〟はとても参考になります♪」
「待ちたまえアロイス君。キミとはきちんと話し合う必要がありそうだね」
「いえいえセナ様、そこはそれ、あれですよ♪」
「……道理で既視感が」
「……うん、最近アロイスさんも微妙に似てきたっつうか」
「……朱に交われば」
「そこ。ヒソヒソするのはやめたまえ」
一部の間で平和な空気が流れるのと対照的に、反抗的な芋虫の顔には困惑と怯えの色が差していた。
アロイスの言い分に反省させられたというより、普段優しそうな人物がいきなり怖い雰囲気になってビビっているのだ。
(うんまあそれはわからないでもないよ。現に私の背後にそんな奴が)
「瀬名?」
(あいえ、なんでもないです。何でもないよ。気のせいだよ?)
瀬名はズズ……と茶をすすった。
ぬくぬくで美味しい。
「さて、悩めるロッシュ君の愚痴には後でアスファ君が付き合ってあげるとして。レイシャさん、以前アスファ君も話していたけれど、そもそも村長達が舐めていたのは神官に限ったことじゃなく、騎士もそうでしょ? 領主一家は?」
「……そうね、馬鹿にしてる人は多いわ。たいして実力のない形だけ騎士団とか、いてもいなくてもいい無能領主とか」
「それ、当の領主や騎士達には気付かれていないと思う?」
「……わからないわ。さすがにご本人様方の前で口にする人はいないはずだけど。だって、騎士様や貴族様の前で言ったら、大ごとになるでしょう?」
「旅商人の前でも口にしない?」
「…………する人、いるかもしれないわ。だけど待って、いくらなんでも、バレたらそれなりに何かあるでしょ?」
「まあ、普通ならあるね。小貴族でも貴族だし。――結論から言えば、悪意満載の噂なんてとっくの昔にバレてるよ。この地の領主一家は有能な上に寛容で、村人達は見逃してもらっているに過ぎない」
瀬名と情報を共有していた精霊族の三兄弟を除き、何とも言えない沈黙と驚愕がひっそりと満ちる。
最初に沈黙を破ったのはアスファだった。
「あのー、師匠? あいつ、有能なの?」
「ん? あいつ?」
「女好きのキザったらしいアホ」
「ああ、跡取りのアフォー=ルーセ=スベール君か。有能有能。彼が領主一家の中では一番仕事してる頑張り屋さんじゃないかな?」
「っっっええええ、あいつがあぁあ~っ!?」
絶叫するアスファ。
周囲からも「え、冗談とか皮肉じゃなくて!?」とどよめきが上がる。
「あの男が……?」
「リュシーに絡んできた挙句、捨て台詞吐いて逃げたお坊ちゃまですわよ……?」
「でも、ひねりあげて追い払った割に、なんにも仕返しされてないよね?」
「あ」
「あっ?」
「あぁ……?」
「そ、そういえば……」
そうなのだ。リュシーがナンパ野郎を撃退してから結構な日数が経つのに、何の報復もされていない。
実のところ、アスファ達は辺境伯親子と顔見知りで、神殿お墨付きの勇者、さらには高位貴族に顔が利く聖銀ランクの討伐者の弟子と、本人達に自覚はなくとも、彼らを一方的に不敬罪に処せる貴族など存在しなくなっている。
それを事前に調べたから何もしてこないのか、あるいは知らないけれど報復する気がないのか、どちらであってもアフォー氏が優秀である可能性が浮上してくるのだ。
「興味が湧いてちょっと調べてみたら、出てくる出てくる、いい意味で。アフォー君があちこち視察で行き来するおかげで悪路が放置されず、倒木で塞がれた道もすぐに復旧、大雨で流されたり雪の重みで落ちた橋も短期間で架け直される。貴族らしく討伐者を見下し気味なのが玉に瑕とはいえ、スベール家に関しては嫌うだけの理由もあってね。過去この領地に訪れた討伐者のほとんどが犯罪者まがいのチンピラばっかりで、アスファ君のお父さんみたいなまともな討伐者は数少ない例外だったらしい」
「へ、へえー……」
「そ、そうなんですのね……」
まあ、違う言葉を喋る国で、アフォー君という名前のもたらすとてつもない違和感を誰とも共有できないフラストレーションをどこかにぶつけたくなり、ARK氏に重箱の隅をつつく勢いで調べ尽くしてもらっただけだが、そんな本音は言わぬが花であろう。
「特にこういう秘境の村みたいな場所だと、街道の維持費だけで馬鹿にならないはずだよ。山崩れでもあった年は、金貨百枚でも足りないみたいだし」
「そ、そんなにかかるの……?」
「かかるんだ。道だけじゃない。領主一家には領民全体の暮らしを維持して食べさせる義務がある。ある村で不作が続けば、別の村の備蓄でまかなったりと、領全体を見渡して指示を出す。例の村長さん達だと、余所の村なんぞオレ達には関係ない、どうしてオレ達が養ってやらなきゃならんのだ、とか不満垂れそうだけど」
「言いそう」
「言いそうね……」
「ところが、だ。そもそも村の成り立ちまで遡ってみれば、愉快な事実が判明した。――この村のご先祖さん達は、もともとこの領地には属していなかったんだ。罪を犯したか、冤罪で追われたか、重税が払えず逃げて来たのか、いつの間にか隠れるように住みついていたらしい。けれど当時は食べ物を得る手段がろくになく、飢え苦しんでスベール領に加えて欲しいと当時の領主に泣きついた――それが始まりなんだ。つまり領主を貶してる奴らは、恥知らずにも先祖代々から続く恩を仇で返しまくってるんだよ」




