第6話:魔法陣の暴走
その日、馨は遅い夕食のあと、風呂で今までのことを思い返していた。祖母の力を欲しがるものは想像以上に多いみたいだ。
風呂から上がって、冷蔵庫からパックのジュースを取り出すと、馨は部屋に戻った。携帯が光っているのに気がついて、開いてみると、ファイからメールが着ていた。
「2件…なんで?」
一通目。
『大丈夫だよ。心配ありがとう。在羽』
「…え?」
馨はだんだんと自分の鼓動が高まっていくのを感じた。
まさか。
まさか。
二通目。
『ったく。どんなメールが入っているのか期待していたら、普通じゃないか。あんまり素直じゃないと可愛くないよ。在羽』
馨は全身が熱を帯びた気がした。
一体全体どうして、未送信メールは消したはずなのに。
「まさか…!」
ファイはメールを消す際に内容を見たのだ。見られたくなかった、ファイを心配するメールをよりによってあの女こましに…。
にやにや笑うファイの姿が想像できて、馨は頭に血が上っていくのがわかった。
馨は月に向かって叫んだ。
「あんなやつ、もう絶交や―!」
雨の降る木曜日の6時半。爽やかな笑顔で在羽ファイはバス停にいた。
「やあ。おはよう。馨ちゃん」
馨はむっと眉を吊り上げて言った。
「あんたとは絶交なんやけど」
すたすたと歩く馨の歩幅に軽い足取りでファイはついてきた。
「あれ?バス待たないの?」
「ほっとけ!ついて来るな。合宿行ったんやないんか?」
馨がほぼ小走りに走り始めた。
「そうそう。誰かさんのせいで合宿先から引き返さざるを得なくなったわけですが、どうやら僕の役目はまだ終わっていないみたいなんだ」
馨は立ち止まり振り返った。
ファイは言った。
「馨ちゃん、西の高校生魔術師になってみない?」
「…は…い?」
ファイはにっこり微笑んだ。
「ミス・クレアからの伝言があるんだけど、聞きたい?」
馨は叫んだ。
「聞きたくない!」
叫び終わると、馨は猛ダッシュで朝の通学路を走り出した。
朝のショートホームルームが終わると、澄が馨の席に飛んできた。
「なあなあなあ!昨日なんばウォークで何があったん?」
馨は目をぱちくりさせて聞き返した。
「何って…別にイベントなんかやってへんかったけど」
「違うやんか!在羽君と何があったか聞いてんねん」
澄が体を乗り出して聞いた。
「在羽」という名を聞いて馨は顔をしかめた。
「知らん、あんな女こまし」
馨は窓の外を向いた。
「また噂になってんで。あんたと在羽君」
「どうせわたしが在羽をたぶらかしてる…とか、そんなんやろ?」
澄はクイズの早押しのような手振りで言った。
「正解!」
馨はどうでもええわと呟いた。
「現場を目撃していた2組の生徒によるとですね―…」
澄が今度はリポーターのような口調で話し始めた。
馨「いやや、別れるなんて!」
在羽「何言ってるんだい。元々僕たちは付き合ってなんか…」
馨「いやや、聞きたくない!」
噴水に走り出す馨。そして、馨が濡れないよう自分の身を挺して馨を守る在羽君。
在羽「…ごめん。誤解させたのなら謝るよ」
慰めるかのように馨をそっと抱きしめる在羽君。
BY・なんばウォーク
「これが昨日の目撃情報。んで、今日の目撃情報が…」
昨日のことが気になり、わざわざ馨のことを朝早くからバス停で待つ在羽君。
在羽「おはよう。馨ちゃん」
馨「在羽君、わたし…」
在羽「いいんだ。君の好意はとてもうれしい。けど、僕は…」
馨「いや!聞きたくない!」
学校へ向けて走り出す馨。
馨は澄の話に目が点になった。どうやったらそうなるんだ、と目撃者の想像力を心の底から呪った。しかも、会話や行動が一部分、本当のところもあって気持ちは複雑だ。
「めちゃくちゃ在羽寄りな情報やな」
「で、本当のところはどうなん?」
澄の言葉に馨は顔を上げた。
「違うんやろ?」
澄は噂を信じていない。それが馨は嬉しかった。
「ありがとうな。信じてくれて」
「ふふ。んで、どうなんよホンマは?」
澄はいいやつだ。…詮索好きなところを除いて。
「ふふ。教えん」
馨が不敵に笑うと澄がけちと言ってむくれた。
その時、教室の外から悲鳴が聞こえた。教室にいた生徒たちがざわめきだし、廊下にいた生徒たちが職員室のほうへ走り出した。
「何なになにー?」
澄が面白そうに廊下をのぞいた。
「さあ。何やろな」
馨は一限目の数学の教科書を鞄の中から取り出した。
「ちょっと見てくる!」
澄は馨にウィンクすると野次馬のほうへ駆けていった。
「ったく。知らんぞ。今日、小テストあんのに」
馨はざわめく教室の中、静かにテスト勉強を始めた。そのとき、野次馬から戻ったクラスの生徒が言った言葉に馨はその手を止めた。
「トイレが水びだしになってんねんて。急に蛇口が壊れたらしくて」
数学の教師が教室に現れ、席に戻るように促した。
「おい、由木。何を立っとる。早く座れ」
馨の耳に教師の言葉は届かなかった。馨は思い立ったように走り出した。
まさか!
「ちょっと退いて!」
「馨?」
教室へ戻りかけていた澄は全速力で野次馬のほうへ向かう友人を見て振り返った。友人は一瞬にして野次馬の中へ溶け込んでいった。
トイレの前の廊下は大きな水溜りになっていた。
ふいに馨は奇妙な感じがした。なぜか体が熱い。馨は大きく息を吸ってトイレの中に入った。
魔法陣?
馨は魔法の文字が浮かび上がり、窓からさらさらと消えていくのを目撃した。
「はいみんな!教室へ戻るように!」
教師の登場に生徒が次々と教室へ戻っていった。
「ほら。由木もはやく教室へ戻りなさい!」
腕を掴まれてはじめて馨は現実に戻った。
また、あの男が魔法陣を仕掛けているのだろうか。馨はその日の帰り、バス停で考え込んでいた。
在羽ファイに相談するべきか、しないべきか?
「…絶交したしな…」
馨は携帯を閉じた。
「けど、ほっといたら関係ない人らに危害が及ぶかも…!」
馨は再び携帯を開いた。
『ほーうら。やっぱり僕の助けが必要でしょ?馨ちゃん?』
馨は勝ち誇ったように腕を組み、上から偉そうに謎のきらめきを背負って登場するファイを想像して怒りがこみ上げてきた。
「誰が頼るか!あんなやつ!」
言って携帯を再び閉じた。
「あの男を探そう!」
「どうやって?」
ベンチから勢いよく立ち上がった馨の耳元で聞き覚えのある声がした。
「あ、在羽!」
そこにはにこやかに微笑んだファイが立っていた。
「やあ。馨ちゃん」
「あ、あんたいつからそこに…!?」
馨が驚き混じりで聞くと、ファイは謎のきらめきを伴って答えた。
「馨ちゃんがカスタネットのように携帯と遊んでるときくらいからかな」
馨は少し赤くなって顔をしかめた。
くそ。こいつ、見てたんか。
「何の用や?」
馨がファイに背中を向けて言った。
「それはこっちの台詞さ。用があったんだろ?僕に」
「べ、別にないわ!」
馨が言うと、ファイが後ろを向いた馨の肩に手を乗せて言った。
「その携帯には僕のアドレスしか入ってないだろ?僕以外の誰に用があるっていうんだい?」
ファイが不敵ににやりと笑った。
馨はますます顔をしかめた。
「だれがあんたの助けなんか…!」
「ストップ」
ファイがいきなり馨の前に片手を出して言葉を止めた。
「今は喧嘩している場合じゃない」
馨が口を開きかけたとき、ファイが真剣な顔で馨に聞いた。
「ミス・クレアからの伝言、聞く気になったかい?」
馨はしばらく黙って、やがて静かに言った。
「それが、あんたの役目なんやろ」
認めたくはないが、目の前にいる相手は祖母が認めた自分のボディーガードだ。
ファイは空を向いて言った。
「君の周りで水の魔法陣が姿を現しているだろう?あれは僕らを海で襲ったあの男の放ったものだ。だが、今、その魔法陣は新しい主を探して暴走しているのさ」
馨が聞いた。
「新しい主?」
ファイがそうと言って話を続けた。
「あの男もミス・クレアの弟子だ。当然魔法はミス・クレアから教えられたもの…つまり、その魔法は元々ミス・クレアのものだったわけだ」
ファイが馨の顔を真っ直ぐにとらえた。
「魔法陣は元の主のもとへ戻ろうとしている。ミス・クレア―つまり、今は彼女の力を受け継いだ君のことだ」
馨はつばを飲んだ。
「在羽…まさか…!」
「そう。じゃあ改めて聞くよ。馨ちゃん、西の高校生魔術師になってみない?」
にやりと笑ってファイは言った。
「ほんまに在羽のやつ!あんな少ない手がかりでどうやってそないなガリ痩せな男探せっちゅーんじゃ!」
大輔は千日前の大型電気店を出て言った。携帯のバイブで大輔は着信を受けた。
「もしもし」
「大輔、見つかった?」
南野有からだった。大輔は千日前の交差点とは逆の道路側へ場所を移した。
「いや。こんな人だかりで会ったこともない人間見つけられるわけないやんか!」
「空からはだめ。もう暗くて探せないわ」
飛行の魔法が得意な有は空からの捜索を試みていた。
「なあ。何で俺たちが在羽なんかの言うことを聞かなあかんねや?」
大輔が有にだるそうに言った。
「ばかね。この私がなんの見返りもなしに在羽君の頼みを聞くと思う?」
大輔は携帯にどういう意味か向かって尋ねた。
「いい?魔法陣が暴れているってことは持ち主がそれを制御しきれないってこと。つまり、魔法陣には新たな主が必要ってことよ」
大輔はようやく有の言いたいことがわかった。
「なるほど。在羽より先にその男見つけて、その魔法陣の源話を聞きだして俺らのもんにしよっちゅうわけやな!」
「そういうこと!」
「在羽のええかっこしいに先なんて越されてたまるか!」
大輔は目をきらめかせて商店街へ引き返した。