平成7年1月17日
題名で
「ああ」
と思う人もいるだろう。
私は高校1年で、遅刻ギリギリまで寝て、着替えた瞬間に家を飛び出すような生活だったので、朝のニュースが何を報じたかはわからない。
そして放課後、何となく母校の中学校に足を向けた。用事があった訳ではない。
挨拶をしに職員室に向かうと、何となく異様な雰囲気…多分、在校時のような賑やかさがなかったからだろう。
職員室にはテレビが据え付けられていて、普段は点いていたり消えてたり、余り存在感のないものだったが、その時は違った。
大火事、いや大火事と呼ぶにも範囲や火の手が強すぎる火災が映し出されていた。
炎、というよりは、家の一軒一軒が火柱になって燃え盛り、それが遠目に見るとやっとまとまって見えるような。
山火事や火山の噴火は見慣れた、というよりは自然の発するものとして何とはなしに心が受容したが、これは異様も異様な火災だった。
誰が教えてくれたという記憶もないので、多分TVから流れる音声だろう。
その日の朝、神戸を中心とした震度7の地震があり、それが各地に様々な被害をもたらしていると知った。
ぼんやりずっと中継を見ていたらば、理科教師が
「これ、給食で余ったけど食べるか?」
と食パンを差し出され、断るのも悪いと思い、受け取って袋を開け、ジャムも飲み物もないまま頬ばった。
当日から少し経過した時、今まで震度は7が上限だったのを、この地震で8に引き上げると発表があった。
そしてこの地震と災害は「阪神大震災」と名付けられるが、淡路島も壊滅的な打撃を受けたということで、改めて
「阪神淡路大震災」
と呼ばれることとなる。