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平成初期のTVのこと、その2〜トレンディドラマとドリフが去りし後

ドラマ全盛期でもあったように思う。

「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「高校教師」「家なき子」「ずっとあなたが好きだった」

とか、パッと羅列しただけでもこれだけ出てくるし、それぞれがフジテレビ月曜9時・TBS木曜10時と金曜9時・日テレ9時と、時間枠と、上記に挙げた作品のテーマソングのサビの部分は今でも歌える。

私は特にドラマ好きではなく、むしろこの時期の夜半は自室にこもり、好きな音楽を聴きながら読書をしていた筈なので、むしろ見ていない部類に入る。

しかしそれでも大体のキャストやあらすじが記憶にあるのは、メディアがそれだけ繰り返し名場面を放送していたり、インパクトのある役や場面が多かったからだ。

武田鉄矢が恋人役の浅野温子の過去をふっきるため、自分が死なないことを証明しようと4tトラックの目の前に飛び出すとか、ちょっと常軌を逸しているが、当時は名場面として繰り返し放送され、ウッチャンナンチャンを代表とした様々な芸能人によってパロディになったのだ。


更にあの頃、土曜日曜のバラエティはドリフやタケチャンマンは既に終了していて

「ウンナンのやるならやらねば!」「ダウンタウンのごっつええ感じ」「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」「進め!電波少年」

なんかが放送されていて、内村光良はマモーと言う名の宇宙人として顔を緑に塗ったメイクをしたり、ダウンタウンが紅白歌合戦でどちらが勝つかを賭け、負けた方…どちらも松ちゃんが、放送終了後のカラーバーになったり、放送開始に登場するアニメの鳩に扮して歌いながら舞ったりしていた。

電波少年では松村邦洋がその世界の大物に突然声をかけて無茶振りを頼むのが名物コーナーになり、その行為は業界用語で「アポなし」と呼ばれていて、お茶の間にも広まった。


メディア媒体というのがそれほど多くなく、また、TVがお茶の間の娯楽として機能していた時期で、ローティーンたちにとっては、TVから発せられる様々な番組に強力な影響を受けていた。

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