戦う
俺はナタリアを守るために前に出る。そして、ナタリアは俺の背中越しに攻撃魔法を準備する。それが俺達のいつものやり方だ。
ナタリアが剣になってからは久方ぶりだが、その呼吸を忘れるはずがない。
『我は願う。炳炳たる貙虎は澱み焄べる。其は豪挙にして婬を孕み、淑やかにして――」
ナタリアの凛とした詠唱を耳にしつつ、相手の出方を伺っていた。俺の手には小さなナイフ。相手を迎撃するには頼りない武器。いや、武器じゃねーよな。
姉ちゃんの姿となった影、あれは、ただ単に女と呼ぼう。姉ちゃんに失礼だ。
女は両手を左右に広げて、咆哮した。
炸裂する魔力が、暴風と共に女を中心に猛烈な勢いで俺達を襲う。僅かにあった床上の埃が巻き上げられて、向かってくるのが視認された。
これは今朝も喰らったばかりだ。強い女は叫んでから戦うのが常なのか。
場違いにバカな事を考えつつも、俺は身構えて備える。
物理的な風は足を踏ん張ることで耐えられる。しかし、魔力はそうじゃない。俺の皮膚を透過し、体内から何らかの作用をしてくる。姉ちゃんの時は思い出したくもない惨状になったし、カレンの時だって、足が震えた。
「だぁーーー!」
俺は子供の様に大声を上げる。相手に負けないように気合いを込めて出した割には、情けない物だっただろう。
しかし、それもあってか、今回は体の自由を失う事はなかった。もしかしたら、挙げた2人が強過ぎるのかもしれない。ただの大声で、剣士が倒れるのは理不尽過ぎるものな。
「――迎えるは我が矰の聖唱なり!」
ナタリアの詠唱が完了し、巨大な火球が俺の頭上から女へと飛び立つ。それは非常に大きくて、人間なら10人居ても、その全てを一飲みにされそうなくらいのサイズだった。
剣になったナタリアは日々魔法が強力になっていた。暇だから魔法の練習をしているとか言っていたかな。その賜物で、俺の予想を遥かに超えた威力へ成長していることを実感した。
しかし、敵である女は倒れなかった。
そのナタリアが出した特大の火球を突っ切り、俺達へと突進する。女の服に燃え移った炎が、走る勢いに負けて煙を上げて消えていく。
確かに速いが、しかし、目で追える!
かなり前で女は跳ね、俺へ右腕を大きく振りかぶっていた。狙いは俺の頭だったみたいで、体をずらして避ける。頬を拳が擦っていく。
一瞬で接近戦となり、手を回して女の背にナイフを入れようとしたものの、勢いを殺さなかった女の体が俺の半身に激突した。
膝を入れられたらしく、胸に強い衝撃を受け、息が止まる。
女の目的が分かった。このコースは背後のナタリア。
魔法は止めたいだろう。
遠距離攻撃を潰すのは、戦闘の基本中の基本だからな。
女は俺を体当たりで吹き飛ばす意図だったのだろう。
俺も必死に堪える。後方に仰け反りそうになるのを、足腰に全力を入れて耐えきる。
「しぶとい、倒れなさいっ!!」
尚も後ろへ行こうとする女は、姉ちゃんの口調と声で叫ぶ。地に足もついていないのに加速しようとするのは飛行魔法でも行使しているのだろうか。
「舐めんなよっ!」
負けじと俺も返す。
それから、若干タイミングが遅れたが、ナイフの一刺しを背に入れ、もう片方の手を女の下から回す。で、そのまま、後方へ掬い投げた。距離は要らない。最小限の軌道で後頭部から落とせば良い。
ナタリアに当たらないように場所だけ気にする。
女から手を離さずに背を反り、足が離れ、頭も逆さまになって宙に浮く。女の頭は俺よりも先行して床に激突するはずだ。頭蓋骨を砕くことは出来なくとも、失神程度はして欲しいものだ。
だが、女はギリギリで空いていた手を頭より先に付き、それをバネのように曲げて衝撃を吸収させた。その手で跳ねる力に負けて、俺は女を取り逃す。自分の投げ技でダメージを喰らわないように、俺が体を捻って受け身を取ったことも女を逃がした原因である。
自由になった女の追撃を避けるために、ナタリアが移動する。新たな詠唱句を呟きながら、女との間に俺を挟む形に再度なる。
ナタリアを襲おうとする女を、その後も2度ほど引き止めた。
俺は不思議なくらいに対応できていた。姉ちゃんそのものではないけども、動きは似せている。それを俺は凌げていたのだ。
「クソがっ! さっさっと絶命して下さいっ!」
うわぁ、その「クソがっ!」はそっくりだなぁ。
「もう少し楽しもうぜ」
ナタリアが用意している魔法が何かは分からないけど、俺は守りきるだけ。それが唯一の勝機かもしれない。
小さな片刃のナイフでは倒しきれそうにないし、背中を刺しても呻き声も上げなかったものな。
「お前を先に殺します!」
女の攻撃パターンが変わる。今までは単発の打撃で俺を通りすぎようとしていたものが、狙いが俺になったようで、連続の殴打となる。
左右上下からの拳を躱したり、受け流したりして耐える。たまに受けきれない物もあって、それは急所でない部分へずらすしかない。
「――盧き連枷、皙き寝刃――」
ナタリアの詠唱が長い。何を用意しているんだ?
剣になってから、新しい詠唱句を何個か作っていた。魔力の高まりも凄いって言っていたな。期待しているぞ、ナタリア!
女の拳を頬に受けるも、下半身を狙った蹴りは上げた太股で防御する。圧されてはいるが、まだ凌いでいる。
その油断にも近い気持ちもあって、殴り返そうとすると、横腹をカウンターで叩かれた。
姉ちゃんよりは弱いけど、俺の慣れていない打撃では追い付かない。
先程の良いところに入った一撃で反射的に固まった体は隙だらけになり、腹を中心に数発を喰らい、もう一度頬を殴られて吹き飛ぶ。
ナタリアにぶつかりそうになったが、彼女は俺を避けてくれた。
「案外固い! レオン君、強くなりましたね」
それも言いそう。
ちょっと笑ってしまった。姉ちゃんは強さを殴ったときの固さで判断していた。意味が分からないけど、姉ちゃんが言うと謎の説得力があった。
「でも、次で終わりですよ。さようなら。それから、後ろの無防備な魔法使いもお前の死を追うでしょう」
させるかよ。
俺は立ち上り、鉄の味が混ざった唾を吐き出す。
「今のところ、ほぼ引き分けだろ? 気が早いんだよ」
口を拳で拭ったら、血が付く。結構、激しめに中を切ったようだ。
「……うふふ、私は痛め付けられていませんよ」
微妙な沈黙が何を意味するか分からなかったが、女は不敵に言い放ってきた。ナタリアの詠唱はまだ終わりそうにない。
女が動き、あっという間に俺の元へと来る。消えたと思ったらしゃがんでいて、その低い姿勢から脛を斬るような回し蹴りを繰り出してきた。
両足でジャンプして、それを避ける。俺は宙に浮き、そこへ回し蹴りの途中なのに女は跳び上がってきた。
艶のある黒髪の頭が俺の顔へと迫る。
分かっていた。幼い頃に姉ちゃんと模擬戦で遊んでいた時にも、同時に両足を離すなってよく指摘されていた。
でも、女が姉ちゃんを真似した訳ではない。こいつはかなり弱いし、姉ちゃんの意識までコピーしているわけじゃなさそうだから、偶然なんだろうな。
俺は対処済み。ってゆーか、本当の姉ちゃんだったら知ってるだろうなぁ。
ガツンと俺のデコと女の頭が思っきり、ぶつかる。首への力が半端ないが、何かあればナタリアの治癒魔法に頼る。そろそろ、その長い詠唱をそろそろ終えてくれよ。
床に片手を付いて、バランスを崩して落ちるのを防ぐ。すぐに体勢を整える。衝撃で視野はまだ回復していない。
遅れて、女が床に沈む音が聞こえた。
顔に滑りを感じたが、俺の血なのか女の血なのかは分からない。
女はそれでも立ち上がる。四肢が震えているのが隠せなくて、ダメージの程が伺えた。
女の顔からは激しい流血、いや、頭頂近くが抉るように欠損して、化け物らしくなっていた。
「――聖華に斎くは究竟の劔体! レオン、準備完了! 相変わらず、石頭ね!」
ナタリア! 待っていた!
凄まじい火力の魔法を期待した俺は、しかし、静かな事に違和感を持つ。女が隙を突いて攻撃してこなかったのが幸いだった。
後ろを振り返ると、白骨で出来たみたいな剣が床に刺さっていた。




