返す
到着した大木の下には盛った土がまだ残っていて、目標を間違えていなかったことに安堵した。これは作ろうとしたナタリアの墓の跡だからな。
目的の洞窟もその近くで、カレンが運んだ大籠を置いて、俺達は先へと急ぐ。謎めいた者との戦闘を前にしているにも関わらず、カレンは足取り軽く鼻唄さえ楽しんでいるし、アディは粛々と俺に付いてくる。二人とも、怯えや緊張みたいな物は皆無だった。
山肌にぽっかり開いた入り口に潜り込み、暗い下り坂を照らしながら進む。
カレンの「うわー」や「ひゃー」とかいった無駄な驚き以外には石を踏む足音と水滴が落ちる音くらいしか聞こえない。しかとは言ったが、カレンは結構な頻度で声を上げるので、全く静かではなかった。
曲がった先に大穴が有ることを告げる。
例の腕の細さに全く見当っていない怪力で、カレンは俺達を持ち上げて両肩に俺達を乗せ、飛び降りた。
ほぼ垂直落下だが、たまに微妙に方向を変えて壁には衝突しないようにしている。この速度で制御しているのが、またカレンの優秀さを語っていた。
たまに壁が寄ってくる様に見えるのは、穴自体も真っ直ぐに延びている訳でなくて、少し曲がっているからだろう。終着点は光る壁があったはずだが、下を見ても真っ暗でそれらしきものが視認できないのも、その証拠だと思う。
これだけの距離を落下したのに、よく死ななかったと、つくづく自分の幸運に感謝する。足首の骨折だけで済んだんだよな。
やがて、あの青白く光る場所へと出る。カレンが急減速したから、その反動が腹とかを襲ったが、我慢する。
「扉が御座いますね。この先ですか?」
先にカレンから降ろされたアディが周りを確認しながら言う。先程の暴力的な移動にも顔色を変えていない。
「そうだ。これを開けると光が溢れてきた。そこに影がいる」
「外からでは気配が分かりませんね。その者は、今もその剣から私達を見ているのでしょうが」
俺の腰にある剣の姿のナタリアをアディはちらりと見る。それから、扉の上の文字のような装飾を確認していた。
高い場所にあるので、彼女は少し背伸びをしている。
「昔、ある竜から似たような扉の存在を聞いたことがあります。文の内容も似たような物で御座いますね。精霊によって作られ、トラウマを具現化するとか」
竜から聞いたって普通に言ったが、人間と会話できるだけの知能を持つ竜となると、どれだけ強大な存在なのだろうか。
あるいは、竜の巫女であるアディは特別な能力を保有しているのだろうか。
「ちゃちゃっと行っちゃうよ」
カレンは行動が早く、もう扉に手を置いて力を込めていた。
「ちょっと待ってくれ! その影といきなり戦うのか? 俺はナタリアを人間に戻してくれたら、それで十分だと考えている」
「大丈夫で御座います。レオンの今の言葉も、中にいる何かは剣を通して聞こえたことでしょう。なので、入ってすぐにナタリアが戻らなければ、聞き入れなかったものと見なして倒しましょうね」
案外、アディも武闘派。
やはり戦闘を楽しみにしているかの様だ。
ここに至っては手伝って貰っている俺が反論するのもおかしくて、扉を押すカレンに、俺も力を合わせる。
ゆっくりと開いた扉の向こうから、あの時と同じ様に、夥しい光が俺達を包んだ。
そして、その光の先には人の影。しばらくして、眩しいばかりの光が消えて再び洞窟の風景が視界に広がっても、それは影のまま。そこだけ、空間が切り取られたように黒くなっていた。
『お帰り、お帰り、お帰り』
3回の同じ単語で俺に話し掛けてくるのも、あの時と同じだ。
しかし、腰の剣は剣のままで、ナタリアには戻っていない。
アディもカレンも、一応はそれを目の端で確認していた。
『やろう、やろう、やろう』
もう、あっちもヤル気満々かよ。
俺が臨戦態勢に入る前に、突風を残してカレンが消え、気付いた時には影をその肩から脇へと斜めに両断していた。
ただ、影は倒れないし、消え去りもしない。それに構わず、カレンの剣は動き続け、更に横へと影を切り裂く。剣跡が影に作られ、そこから背後の風景が透ける様に見えた。
しかし、影は動揺しない。顔がないので表情は分からないが、恐れをなす様な身動ぎはしなかったのだ。
それどころか3つに分断された影は、それぞれが膨張し、俺達を包み込む形で空間に広がる。俺は強い危機感を持ったが、抗う術はなかった。
完全に暗くなり、視界が回復した時にはカレンもアディも居なくなっていた。場所も洞窟でなく、床以外に何もない広間。
そこに俺とやはり先程の影だけが立っていた。
『まさか、こんなにも早く戻ってくるとは思わんかったな』
影の声が頭に響く。
「何をした! ここは、どこだっ!?」
俺の恫喝は無視される。
『お前の願いを叶え、余の願いも叶う。良かったであろう?』
俺の焦りを全く考慮していない相手に苛立つも、努めて気持ちを鎮める。間を開けてから、俺は言葉を返した。
「……あぁ。良い剣だった。少しは良い思いをしたかもしれない。が、返す。ナタリアが傍にいないのも物寂しいからな」
化け物の願いなんてのは尋ねない。碌でもないに違いない。
『余はもっと楽しみかったのだぞ。地の底に閉じ込められ、長らく他者と交わらず、どれだけ退屈したものか。あの娘と同化して剣となったのだから、もっと血を啜りたかった。魂を食べたかった。正直、不満足である。余の誤算はお前の血であったのだろうかな』
俺の血? いや、それは後回しだ。
「それは不運だったな。鬼人の角は切ったろ。あれで満足してくれ」
『人間の血や溜めた魔力が好みでな。まぁ、良かろう。お前が連れてきた二人はお前よりも血生臭い。余はあれらに期待する』
という事はアディとカレンはまだ無事なのだろう。少なくとも、今の俺と同じ状態と解釈した。
「そうか。なら、ナタリアは戻してくれ」
『ふむふむ。そうであるな。我の魔力も戻さなくては食えぬしな』
食う。やはり、そう来たか。
『もう少し強くなってから再訪して欲しかったものよ。まだ薄味よのう。お前の連れてきた者共が居なければ、余は期待外れにも程があると激怒しておったと思うぞ』
影が手を降ると、腰の剣が光る。
「好き勝手、言ってるわね」
現れたナタリアは言う。剣を抜かなかった俺の配慮のお陰で裸ではない。
「レオンさぁ、剣くらい持ってきなよ。カッヘルさんのヤツでも良かったじゃない」
流れるように俺を責めるが、ぼやいただけだな。口調に嫌み感はない。いつものナタリアだ。
「まあ、レオンが他人の物を無断で拝借するとは思わないから、それで良いのだけどね。それでも、ワッタとかに相談しなよ」
俺達の視線は影。
「アデリーナ様はどこよ?」
『等しく余と対峙しておろう。安心して良い。丁度3体に余は分かれ、それぞれで食おうと言うのだ。さあ、お前らも擂り潰されて魔力となり、早く余の一部となるが良い』
影の輪郭が揺らぎ、新たな形を象っていく。男女の区別も付かない雑な人型であったのが、影だけではあるものの、少し小さくなり、長い髪が見え、色が付き、俺達に見覚えのある姿となる。
姉ちゃん……だった。
『お前達二人は気が合っているのであるな。奇遇にも、二人ともこの姿を持つ者を恐れている』
俺達の意識を読みでもしたんだろう。
もうすぐ始まる戦いに備えて、俺は懐からナイフを出す。指先から血を出すのに使っていた食品カット用の小さなヤツ。
こんな物しか俺の武器はない。ナタリアも魔法の触媒となる杖を持っていない。準備不足も良いところだ。
厳しい戦いを意識してナイフを固く握る俺の前で、影が変化した姉ちゃんはいつもの柔らかい笑顔を見せた。
次いで、口を動かして言う。
「それじゃ、殺しますからね。うふふ、二人ともすぐに楽にしてあげますからね」
姉ちゃんの声色まで真似るか。
しかし、声だけだ。
「姉ちゃんなら、楽にしてやるなんて言わねーよ。ぐっちゃぐっちゃにしてあげるとかだろ」
「そうよ! あの女が楽にするなんて言うはずがないわ! 死なんて生温いとか言いながら怒るんだから!」
そうそう。ナタリアもよく分かってるなぁ。




