砕く
背後からのカッヘルの剣は宙を切る。
カレンが上空に逃れたからだ。
「いつか、あの鬼娘は断罪されると思っていたが、俺の目の前で起きるとはな。迷惑なこった。仇は討つ。その後に、ワッタ、お前を殺す」
剣を構え、上方を警戒するカッヘルはそんな言葉を放った。それにワッタも応じて返す。
「自分の命を心配してくれないか。カレンにこれ以上、人殺しをさせたくないし」
ワッタは空を動き続けるカレンを目で追いながら、更に続ける。
「最近、カレンが我を忘れることが多いんだ。あの状態になったら、疲れるまで止まらない。……反抗期なのかな?」
血にまみれた金髪が哀れなアディの首は落ちたままだというのに、ワッタもズレた事を言う。
「とんでもない反抗だな。ワッタ、お前は一応人質だ。逃げるなよ」
「ああ、その方が良いかもな」
「チッ! その素直さが却って腹立たしいな。レオン! お前の居合い術みたいな剣技に頼る! あれが一番速い! それに賭けるぞ!」
!?
王国軍の軍団長に誉められたのか?
こんな死地にいると言うのに、嬉しい。
「マジかよ!? 俺は一介の冒険者だぜ! カッヘルにも何かあるだろ」
「あの動きに合わせられるだけのモンはねーよ!」
カレンはまだ空を激しく飛び続けている。猛りを抑制できていない。そんな感じなんだけど、魔力が増えていっている。あの奇妙な行動は森の魔力を集めているのかもしれない。
それが分かっていても、魔法を使えない俺達には距離が有りすぎて警戒することしか出来なかった。
「そもそもな、子供の頃のお前は射った矢を手掴みするような天才だったんだぞ! 覚えてるだろ。俺なんかが才能で勝てるかっ!?」
あー、そうだったんだよなぁ。あの技だけは姉ちゃんより上手だったんだ。
「そろそろ来るぞ! 二人とも耐えろよ」
ワッタの忠告が飛ぶ。空のカレンは動きを止めて、宙に浮いている。
俺もナタリアを通じて、カレンの魔力が練り上がった事を知る。
俺達を襲ったのは咆哮だった。
耳をつんざくカレンの叫びは、森の木々をしならせる程度には圧を感じた。ただ、それくらいで俺達を吹き飛ばす様な物ではない。
脅威は、それに合わさって彼女が発した殺気。姉ちゃんとの腕試しで喰らった物と同種。
今なら分かる。膨大な魔力を迸らせ、それを俺達にぶつけているんだ。
足が竦み、歯が鳴りそうになる恐怖を与えられた。俺は立っているのがやっとの状態で、カッヘルはまともに喰らったのか気を失い倒れる。
「……前より強くなってる気がするなぁ。おい、レオン、大丈夫か?」
あれだけ暴力的な気を受けたというのにワッタは平静だった。本当に、神にも匹敵する者という呼び名が相応しい人間なのかもしれない。
「まだ戦える! 前に同じものを味わった! 慣れているのかもな!」
姉ちゃんの殺気というか闘気というか、あれは計る前に倒れた。今回は、足が震えたのは情けないが、何とか受け止められた。あの時と比べたら、まだマシだ。
カレンは俺の真上からの垂直攻撃を選んでいた。森の中でもそうだったが、カレンは脳天を突く、この角度を好むようだ。
前回はアディの魔法で迎撃したが、今の彼女は無惨な屍で、俺達に遠距離攻撃の選択肢はない。
加速しながら向かってきたカレンを大きく避ける。
魔法による爆風みたいなもので視界が塞がれるが、ナタリアを通じて、俺はカレンの位置を感じている。
土煙を切り裂いてカレンが飛び出してきた。突進してくる方向を軸に回転までしていて、それに巻き込まれた砂が螺旋を描いている。
ここまで速い物は見たこともないくらいで、体勢を整えられずに避けるのみ。
体を横に投げ出す。
何とか初撃は凌いだか。
と思う間もなく、後方のカレンが転進して再度の突進を察知する。
「カレン! そのまま来い!」
ワッタの声だ。
何のつもりだと思ったが、これは俺に味方したのだろう。
今のカレンがワッタの指示に従うかは疑問はあるが、軌道を読めるなら、俺も対処のしようがある。
改めて猛スピードのカレンを確認する。
相変わらず、カレンは鋭い剣先を俺に向けて迫ってくる。が、直線的。
ワッタ、すまんな!
俺は腰に溜めた剣を横に振る。
回避はしない! 出来ない!
ワッタに従って、そのまま真っ直ぐに来い!!
「死ぬなよっ!!」
渾身の一撃。
カレンの剣が俺の眉間を突くより速く、鞘に入れたままの剣をカレンの肩へ横から全力で叩き込んだ。
完全に捉えた!
迷いのない俺の一撃を受け、地面を掘るほどの勢いでカレンの体は吹き飛ぶ。
風を裂く音が途絶え、辺りが静かになる。
カレンはピクリとさえ動かない。普通の者なら、衝撃で即死したかもしれない。
しかし、彼女は大丈夫だろう。根拠はないが、姉ちゃんクラスの異常な強さだったから。
俺の腕くらいでは命を刈り取れない。
「カレンが負けたのを初めて見たよ。しかも一撃で伸すなんてな」
ナベが動かないカレンに近寄りながら、俺に言う。
「止めてくれて、サンキューな」
カッヘルは兎も角、アディが死んでいる現状にしては彼は落ち着き過ぎている。
「あと、すまんな。お前の仲間のアディさん、たぶん、もうすぐで復活するから待っていてくれ」
ワッタはカレンの頬をペチペチと優しく張る。
「うー、うー、痛いよぉー」
……かなり良い当りだったんだが、痛いで済まされるか……。
「はいはい。後でアディさんに謝罪な。許してくれるか、すごく不安だけど」
「ナベ、痛いの! 肩が動かないの!」
「罰だろ。骨でも砕かれてるんじゃないか。その内、治るから我慢しろよ」
ワッタのその言葉に、俺は違和感を覚える。冒険者にとって骨をやられるのは致命的。その内なんて表現ではないくらいに回復には時間が掛かるし、治っても稼動域がおかしくなる事が多い。魔法を使わない限り。
「痛いの! 痛い……とっても痛い……。けど、ナベは私が守るっ」
「カレン、本当に待ってくれよ。落ち着こうな」
「……ナベの敵は私の敵」
カレンは肩を押さえなが、背中の羽の力で浮き上がる。しかし、空へ舞うことはせず、ほんの少しだけ土から足が離れたくらいで止まる。
一応はワッタの願いを聞いたみたいだが、手には黒い剣が握られたままで終わりではない。
が、ワッタに両肩を押さえられ、苦悶の表情で体を崩して横たわった。
戦闘にはなりそうになく、ワッタは困った顔で俺に頭を下げた。
言って聞かすから回復魔法が使えればお願いしたいと。
俺はナタリアを出す。彼女は憤怒の顔だった。
「はん? 私がアデリーナ様を殺したこいつを救うの? 死さえ生温い大罪を犯した、このクズを救えって?」
俺が取りなす前にワッタが応じる。
「すまない。しかし、アディさんは死んでいない。死んだように見えるだけだから」
「信じると思う? それに、生き返ったとして許すと思う?」
「……残念だけど、俺に皆を止める力はない。だから、まだ戦うと言うのなら、受けるしかないかな。でも、次はね、俺はカレンの枷にならないよ。カレンの邪魔にならないよう、カレンが全力で戦えるように俺は振る舞うことにする」
全然迫力は感じなかったが、威圧されたんだろうな。
気持ちは本気なんだと思う。
「そんな状態で勝てるとでも?」
ナタリアは肩を痛めて踞るカレンを睨みながら言う。
「勝てるよ。カレンは痛覚を捨てることが出来る」
まだ隠し手があるのかよ。
いずれにしろ、ワッタは良いヤツだ。カレンとは戦いにくいな。困った。
どうしたものかと俺はアディの落とされた首を見る。ワッタの言う通りに生き返ったりしていないかと期待したのだ。
生気が全くない眼と目が合った。完全に死んでるよな……。
が、それがギョロリと動く。
アディの死体が光に包まれ、やがて元の無傷の姿に戻る。アディはゆっくりと立ち上がる。血溜まりも消失し、アディの服も一片たりと汚れていなかった。
「ア、アデリーナ様! ご無事で何よりです!」
ナタリアの言葉に片手を上げて答えるアディ。続いてワッタがアディに声を掛ける。
「ごめんね。こう言うのもなんだけど、効果の程は確かめられたかな」
アディが刺される前の押し込まれた雰囲気をワッタには感じなくなっていた。
……もう覚悟を決めている。
当初は、下手に出てトラブル無く交渉を終え、俺達から離れることを目指していたたのだろう。しかし、それはカレンの暴走で断念せざるを得なかった。
次に、アディ以外の被害を出さない事を目指した。
アディが甦るのは彼の中では確定事項で、俺達側の誰も傷付いていない事をもって、丸く収めたかったのだろう。
だから、被害が出ないようにカレンを制止したし、俺の前に出た。カレンを俺に叩かせたことさえ、詫びとする目論見だったのかもしれない。
しかし、俺達がこれ以上の責めをするのであれば、ワッタはカレンを選ぶ。
次は命の奪い合いになるだろう。そんな覚悟をワッタはしたのだと感じた。
俺は戦いを避けたい。さっきと違い、ナタリアやアディの魔法援護が有るとはいえ、カレンの本気というものがどの程度か不確かだし、神にも匹敵するというワッタの存在も気掛かりだ。
しかし、決めるのは俺じゃない。アディの返答次第では、すぐに戦闘再開だ。ナタリアは間違いなくアディに付くのだから、当然に俺はアディに味方する。
「いえ、謝罪には及びません。神の宝具にも等しい道具を与えてくださり感謝します」
「貸しただけだよ。そこは忘れないでね」
ワッタは明らかに安心した表情を見せた。
「ナベ! それが無いと、本当に死んじゃうよ!」
負傷をしているものの、カレンは戦意をまだ消失させていない。痛みを堪えて、剣を杖にして立ち上がった。
「カレンさん、こちらの言葉が過ぎたことを謝罪致します。また、私の過信を断ち切って頂いた事を感謝致します。強者の上にも強者は居て、この世はまだ飽くるには捨てがたい。そんな想いを久々に実感致しました。久々に明らかな殺気を感じて、若かりし日々を思い出したくらいです」
どんな思い出だよと思っている間に、アディは深々と頭を下げる。ここまでするとナタリアも矛を納めるしかなかったのだろう。
「カレン! あんたは友達じゃない! でも、私のレオンがあんたを傷物にしたのはチャラにしたいから、治してやる。感謝なさい、この偉大で寛容なるアデリーナ様に!」
ナタリアは治癒魔法を唱えた後に、剣へと戻る。その間、カレンは少し寂しそうな顔をしていた。
そんな彼女をワッタは慰める為に軽く数回頭を撫でていた。
「カッヘルさんが一番辛そうだね。少し休んでからにしようか」
ワッタは俺達を洞窟に案内した。




