語らう
「あん? 誰だ?」
逆さにした酒瓶からゴクゴクと口に注いでいたカッヘルは、この短時間で既に真っ赤に出来上がっていた。アディが寝たからと言っても油断し過ぎだろ。
そんなだから、突然に現れた男に対して無駄に突っ掛かるんだ。
しかし、男は穏やかに答える。
「こいつの保護者だよ。あんた、怖いからもう少し優しく言ってくれ」
保護者って説明には無理がある。そいつは俺より年下じゃないかという風貌だった。
焚き火と魔道式松明の灯りが、そいつの顔を照らす。
街で悪さをする連中みたいな嫌らしさはなく、むしろ、良いとこの坊っちゃんみたいな人の良さが表れ出た顔付きだった。
「お前もエルフかぁ?」
さっきの調子のまま、カッヘルは無遠慮に尋ねる。
「どう見ても人間だろ。あんた、酔い過ぎ」
確かに背中に羽は見えない。カレンもそうだったが、絵本のエルフみたいな金髪でもなくて、姉ちゃんと同じ黒髪だ。
それにしても、口振りは生意気だな。いや、俺と同じだから、そこに文句は言えないか。
「まぁ、座れよ。俺が酒を入れてやるからな。へへ、軍団長さまの酒だ。遠慮は要らんぞ」
「いや、心底遠慮したいんだけど」
カッヘルは無視して、空きグラスに酒を入れ、グイッとそいつの前に持っていく。
仕方無さそうに、そいつは一口飲んでから、椅子に座った。
「とはいえ、カレンが無理を言って悪かった。詫びもしたいから、少しだけ付き合おう」
少年はワッタと言った。俺がカレンが呼んでいた男の名前と違うと指摘すると、少しの間を置いてから、気まずい顔で、ワッタにしておいてくれと改めて頼まれた。
元犯罪者や逃亡奴隷が偽名を使うのは普通のことで、それをあえて本来の名前で呼ぶのは冒険者の流儀に添わない。
だから、申し出の通りに俺は彼をワッタと呼ぶことにした。
機嫌を戻したカッヘルは酒瓶を渡したが、そいつはグラスに移してから飲む。高級なガラス製品を慣れた手付きで扱う姿から、育ちの良さを感じた。
カッヘルは新しい飲み仲間とすぐに馴染み、下らない話を降り続けていた。
「聞いてくれよ、ワッタ。このレオンはもうすぐ子持ちになるんだぜ」
本当に酔ったカッヘルは遠慮がない。
しかも、そのナタリアの嘘を俺は未だ訂正していないことに気付く。
「まだ子供なのにスゲーな。食っていけるのか心配になるぞ」
お前はもっと子供だろうがと反抗心が芽生える。
「あれはナタリアの方便だ。ワッタ、お前こそ、カレンと子供を作らないように気を付けろよ」
「え? カレンと? うわぁ、それは無いなぁ。妹みたいなもんだぞ。考えた事もなかった」
ふむ、やはりカレンの親族か。
アディもカッヘルも酒が入った状態だ。敵でなければ良いのだが……。
「ところで、ワッタ、お前はどうしてこんな所に住んでるんだぁ? 不便だろ」
カッヘルは無理矢理にワッタと肩を組みながら話し掛けている。
「おっさん、酔いすぎだっつーてんのにな。レオン、止めてやってくれないか」
「止めたら俺に絡んで来そうだから、そのままにしておこうぜ」
ワッタは苦笑いで、俺の言葉を受け入れた。
言葉は生意気でも気性は大人しい。戦士では無さそうだ。
「言えないが、諸事情があるんだ」
結局、答えはぼやかされた。
肩に回された腕を外して遠ざけながら、ワッタは逆にカッヘルに尋ねる。
「おっさんは何を思って、カレンに付いてきたんだ?」
自分の話から逸らすつもりなのだろう。バレバレだ。しかし、そんな単純な策でも酔払いには有効だった。
「俺か? 俺はなっ! それが上司の命令だっただからだよっ!」
手に持っていた酒瓶の底をテーブルにガンと叩き付ける。
「そもそも、たまったま、用事があって報告に上がったら、そのまま転移魔法でこの大陸に連れてこられたんだよ! おかしいだろ! 仕事が終わったら、子供への土産を選ぼうかなって楽しみにしていた矢先に、こんな所まで拐われたんだぞ!!」
あー、有無を言わせてもらえずに巻き込まれたんだな。アディなら、そんな感じになりそうだ。
「辛いよねー、しんどいよねー、俺。偉くしてもらったのは感謝してるが、無茶しか言わねぇんだもん。今回も目立たずにナタリアって娘を探せって言うんだぜ。俺、会ったこともなかったのに。自分でやれ、少なくとも手伝えってどれだけ心で叫んだ事だと思う? なぁ、レオン!」
いや、俺に訊くな。
……しかし、ナタリアを探すのに目立たずにか。何か事情が有ったのか?
ギルド内では話せないって言われて、離れた場所に置いた馬車に乗せられたんだった。
そのままカッヘルは机に突っ伏した。だから、今はカレンも合わせて二人が眠りに入った状態だ。
騒がしい宴も終わりだな。
「風邪を引かないように外套でも持ってこようか?」
「タフだから大丈夫だ」
軍人だし、外で寝るのは慣れているだろうしな。寒けりゃ自分で何とかする。
「おっさんが言っていたナタリアってヤツは見付かったのか?」
だいぶ前の話題だが、よく覚えていた。気になったのか。
ワッタはゴクリと酒を飲む。それから、許可の断りを入れてから肉の刺さった串を取った。それ、もう冷えてるんだけどな。
「あぁ。もう大丈夫だ」
「そっか。なら、良かったよ」
自分の事でもないのに、出会ったばかりの人間にそんな台詞を吐く。
「お前、強いのか?」
ちょっとした興味から俺は肉を頬張るそいつに訊く。
「弱いな。剣も槍も魔法も使えない。魔物に襲われたら、すぐに死ぬ自信もあるぞ」
素直に笑いながら、情けない答えを口にしやがった。ただ、その表情からは余裕に近いものを感じる。だから、今のワッタの言葉は信じない。
ヤツの小指に光が反射して、小さな指輪をしているのが分かる。意味のないアクセサリーでは無いだろう。よくある魔力増幅の道具ではないだろうかと俺は疑う。
「なら、こんな奥地でなくて街に住めよ」
「……人間に襲われて死ぬ確率も高いんだよなぁ」
少し考えてからワットは呟いた。しかし、そこに暗さはない。弱いと明言したくせに、やはり奇妙な自負を持っている。
「レオンだったかな。お前は強いのか?」
「……そこそこだ」
「良いよな。昔は俺も剣を振り回して魔物と戦うなんて憧れたんだよな」
「そんな楽しいもんじゃないぜ」
俺の言葉にワッタは声を出して笑った。それから、静かに言う。
「知ってる。もしかしたら、お前も俺と同じで、何かを殺すのは苦手なのかもな。あっ。いや、気持ちを害したならすまんな」
ワッタの何気なく言った言葉が俺に突き刺さる。
親っさんの開拓地を奪いに来た、ギルド長の手駒のあいつ。あれに殺されそうになった時でさえも、俺には迷いがあった。
それを直接に救ったのは師匠の教えの賜物ではあったのだが、「別に殺さなくても良いんだ」という思いが俺の心を軽くした事実を思い出した。
「死んだり、殺したりしたら、そこで終わりなんだ。だから、終わりたくも、終わらせたくもないよな」
ワッタは続ける。
「でも、その気持ちって、やっぱり弱い証拠なんだと思うんだよな。こいつ、カレンな、本気になれば人も殺せる。蚊を叩くくらいの軽い気持ちで。だから強い」
……そうだろうな。俺の背後を取った時も剣先は俺の急所を狙っていた。
それに、あの目で追えない速さは尋常の物ではなかった。可能性の話でしかないが、姉ちゃんとも良い勝負をするかもしれない。
「でも、そんな強さはカレンには要らない。だから、俺達を騙そう、傷付けようとする街は避けたんだ。さっきは言えなかったけど、これが理由な」
それは街に住まない理由だけど、こんな不便で人が訪れない所に住んでいる理由にはなっていない。
しかし、そんな無粋な事を俺は指摘しない。
こいつはカレンを邪の道に行かせまいと強い信念を持っているんだ。
「剣の道は愛の道と師匠は教えてくれた。しかし、師匠は騎士だけど、弱いと陰で馬鹿にされていた」
ワッタは黙って聞いている。
「でも、師匠は弱いんじゃない! 剣を振るのは強さを求めるためじゃない! 殺すためでもない! 愛を守るために振る、それが真の強さなんだな!」
俺はつい興奮してしまった。
ワッタは酒のグラスを静かに口へ運ぶ。俺の目を見ながら。
「すまん。全く分からん。だから、落ち着け。お前も酔っていたか」
「理解しろよ、バカ野郎!」
その後、俺達は別の話に移る。
特に盛り上がったのは体だけ一級品であるジョディの話題で、ワッタも意外に下衆な話が好きだった。




