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スピンオフその1 前編 悟り前

奈落へと一人進む阿修羅。そこで見たものは。

一方、現世で修行に入ったシッダールタは文字通り苦行に苦しんでいた。

前編 悟り前 奈落にて




 カラン、と胸のあたりに揺れる瓔珞(ようらく)を指で触れた。


断末魔の声以外音のない世界で、耳に触れるのが心地よい。


阿修羅は随分と長い年月、ここにいた。

いや、正確には長いかどうか、彼女にはわからなかった。


ここには時間がない。

だから、何年も経ったのか、数秒にしか満たないのか、彼女にはわからなかった。


ここ、怨念と欲が集う底なしの闇、奈落。


 ――シッダールタはどうしているだろう。修行は順調なのだろうか――


無心で向かってくる魑魅魍魎を断罪していたが、時々阿修羅の心に甦る思念だった。


と言うより、この思念がなかったらとうの昔に彼女は心を失っていたことだろう。

奈落は人の魂を喰らう。


その中で自分を失わなかったのは、シッダールタのことを思い出せたからだ。


 ――あの日、私はこの場所に入った。命を閉じたあの日。声に導かれるままに――


阿修羅は今でもはっきりと思い出せる。


シッダールタの腕の中で息を引き取った瞬間、この場所に飛ばされた。





 ――しかし、このところ、私は変なものを斬っている――


当初は自分が斬り捨てた敵国の兵士達や、戦火に焼かれた民の姿に似た魔の物を相手にしていたのだが。


最近は、美味しそうな肉まんの姿をした者や、トゲトゲで触るのも嫌な姿の者もいた。


――もう何が来ても驚かんが……。一体どういうことなのだろう――


ここはシッダールタの心の闇だと言っていた。

その闇になんでそんなものが現れてくるのか。

阿修羅にはさっぱりだった。


そんな時、阿修羅はシッダールタの姿を見ることがあった。


背中を向けて、胡坐の姿勢で座っている。


「シッダールタ!」


阿修羅は慌てて駆け寄るが、触れようとすると、フッと消えてしまった。


その胸を締め付ける寂しさも、最近ではいくらか慣れてきた。

だが、消えると知っていても、駆けよらずにいられない阿修羅だった。




 一方、シッダールタは、阿修羅を失ってから数ヶ月後、出家という形を取り修行に入った。


彼女を砂漠で弔った直後は全くの役立たずだったが、時が経つにつれ、覚悟が決まったようだ。


阿修羅を救うためには、輪廻転生の苦界から解脱するしかない。

その手段はどこにもお手本のない、未知の世界だ。


本当に救えるのかも誰も知らない。

だが、その道が唯一の手段であることは間違いない。


シッダールタは足を踏み出すことを決意した。



あの最後の戦いの後、モッガラーヤの隊も到着した。

カピラはコーサラの手に落ちた。

後にコーサラもマガダに征服され、北インドはマガダが制するのだが、それはもう少し後の話。


シッダールタは同じく修行の道を選んだモッガラーヤとともに、インドに散らばる有名な修行僧に付き、修行を開始する。

リュージュたちは、いずれシッダールタの元に集うと約束し、故郷へと帰って行った。




さて、修行と言うのは、すなわち苦行だった。


例えば、断食。水も食べ物も断つ。

例えば、剣山のような敷物の上に座り、痛みに耐える。

例えば、膝のうえに大きな石を置いて、これまた痛みに耐える。


普通死ぬだろ。


阿修羅が奈落で斬っていたのは、シッダールタの欲や痛みそのものだったわけだ。


「なんかおかしくないか? どう思う。モッガラーヤ?」


色々な苦行で痛みや飢えに耐えてきたが、痛い、不快、ツライばかりで何も得るものがない。

シッダールタは何人かの師に付いてみたが、これといった手ごたえを全く掴めないでいた。


「はあ、私には全くわからないですが。修行はツライものなのだと」

「死ぬぞ! このままでは絶対死ぬ!」


シッダールタは焦っていた。

こんなところで道草食ってるわけにはいかないのだ。


一日も早く、阿修羅を助けたい。

あの奈落という場所で一人いる彼女の元に行きたい。


そのあたりの雑念が問題なんじゃないか。

とはモッガラーヤの心の声。


生命の輪を超越した場所に悟りがある。

そう言われたって、それどこだよ!

これはシッダールタ心の声。


「いや、苦行で知恵を得ることができるなら、まだ足りないということだろう。こうなったら徹底的にやってやる!」


シッダールタはふた月におよぶ断食に入った。

水もほとんど取らず、ずっと座ったままでいる。


他の修行僧たちはその姿に畏敬の念を抱き、シッダールタの周りに集まっては拝んでいた。


この頃、阿修羅は胸やけするぐらいの肉まんを斬っていたわけだ。


 ――気持ち悪い……。どうなってんだ。しかし、これってシッダールタの大好物だったな。あいつこれが食べたいのか?――


そう、それが食べたかったのだ。


 ――食べさせてやりたいなあ――


阿修羅がそんなことを思うもんだから、シッダールタの思考は、益々彼女が肉まんを持って笑っている姿に支配されてくる。


で、また奈落では肉まんばかりが現れては阿修羅に斬られるのだった。





「わあ、もうこんなことやっててもダメだ! 知恵を得る前に死ぬわ!」


シッダールタはついに音を上げる。というか、これでは何も得られないことをようやく知るのである。


だが、それを理解できない他の修行僧たちは、シッダールタが苦行に失敗してしまったと思い、去ってしまった。


「モッガラーヤ、なんか食べさせろ」


ということで、モッガラーヤは近くの農家に行って、スジャータという娘に乳がゆを作ってもらうのである。


元気を取り戻したシッダールタは、菩提樹の下で瞑想に入った。





「阿修羅、期が変わった。ついにシッダールタ様が瞑想に入られた」


阿修羅を奈落に送った声がした。


「なんだ、もう肉まんを斬らなくていいってことか」


「ここからが本番だ。心してかかれよ」


さっと辺りが明るくなった。

――眩しい!――


何年振りの光だろうか。阿修羅は一瞬目が眩む。

明るい光は前に座る人の背中から発されていた。


「シッダールタ!」

阿修羅はまた駆け寄る。だが、今度は踏みとどまった。


――私は私の仕事をしよう――


シッダールタが瞑想に入ってから、たくさんの欲たちが魔の姿となって表れた。

言葉巧みにシッダールタの瞑想をやめさせようとする。


阿修羅はその魔をことごとく斬り落としていった。


奈落での阿修羅の剣は斬られるものを浄化する。

恨みや迷いといった負のエネルギーを消し去っていく。


シッダールタが誘いに乗らないよう、思考に集中できるよう、雨後の筍のように沸くそいつらを片端から浄化していった。





「阿修羅、もう少しだ。あと一つ階段を登れば『智慧』を得ることができる」


声が言う。


 ――よし、シッダールタ! もうすぐ会える!――


シッダールタの思考はどんどんと上に登っていく。


これを難しく言うと、悟りの52位というもの。

山登りのようにも例えられる。


一番上の頂点は仏覚と呼ばれ、もちろん誰も到達したことのない境地だ。


そこに到達すれば、この世界の成り立ちが全て理解でき、時間も掌握できると言われている。


その頂点にもうすぐ届くという。最後の障害は何だ。

阿修羅はすうっと息を吐くと、身構えた。



「あ! 阿修羅が来た!」


目の前で声をあげる者がいる。


「え? な、なんだ、お前たちは!?」


そこにいたのは、自分によく似た大勢の女たちだった。

いや、よく見れば自分だ。


髪型も服装もほとんど同じ。

高めに結わえた髪が揺れ、袖の無い上着を着ている。


一点だけ違うのは、妙に胸がでかかった。


「こ、こ、これは……」


阿修羅は真っ赤になって言葉も出ない。


自分にそっくり(しかし胸だけ大きい)の女たちが、なんだか妙にくねくねしてすし詰め状態なのである。


 ――これ、なんか斬りたくないんだが! でも無性に腹立つ!――


「一体これはどういう事なんだ! おまえ達は何者なんだ?!」


阿修羅は腹立ちまぎれに大声を出した。


「何言ってんだよ。おまえだろ。シッダールタの思い描いている阿修羅だよ」

「そうそう、あいつ、もっと胸があるといいな、っていつも思ってるぜ!」


口々に阿修羅もどきたちが言う。


「な、なんだと~!」


ふと見ると、前方に瞑想しているシッダールタがいる。

そこには、阿修羅もどきがくっついたり、話しかけたりしている。


阿修羅の目ににやけた顔のシッダールタが目に入った。


「やめんかぁ!」


阿修羅はそこへ大股で駆け付ける。


「シッダールタ! 貴様!」


「あ、阿修羅、えへへ。ごめん。俺、シッダールタの煩悩なんだ。いっくら修行してもこれだけは無くならなくてさ」


「胸が大きい方がいいってどういうことだ!」

聞いちゃいない阿修羅。


「え、だって、まあ。そういうもんだろ? おまえの唯一の欠点だよな」


「この……」


阿修羅はあまりの怒りに頭に血が上り、剣を上段に構える。


「くたばりやがれ! この煩悩の塊が!」


煩悩は一刀両断された。

阿修羅もどきも一瞬にして消えた。



悟りは果たされた。





後編に続く

う~ん。これ、大丈夫かな?

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― 新着の感想 ―
[一言] 私はすごく好きです、この感じ。 煩悩まみれのシッダールタ。 その煩悩の内容を知る阿修羅。 すごく好き!
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