序章:ホームステイと始まりの日(2)
X県Y半島、三川町。
前方には海原、後方には連山と、僻地と呼ばれるに相応しい小さな町。
田舎とまでは行かずとも、都会と呼ぶには自然や古い民家が多すぎる町だ。
しかし、それでも2010年9月現在、日本全国から注目を浴びつつある建物がここにある。
――六条学院高等学校
三川町を一望できる小高い丘。そこを丸ごと学院施設として使っているのが一条学院だ。
何の変哲もない普通の町に不釣合いなその学校は、俗にお嬢様学校と呼ばれている。
実際のところ、元々は六条女学院という、良家のご令嬢のための全寮制の女子高だったらしい。
それが、十年ほど前に男女共学校――二条学院と統合された。
六条女学院の名前は六条学院高校と改められ、それを一条学院と二条学院の総称とされた。
だから学内はカリキュラムや制服、規則はもちろんのこと、部活動まで二つの教育機関に区分されている。
ちなみに一条学院は、二条学院との統合当時、二条学院より気品があることを示唆するために、「上品」という意味の英単語『refinement』にちなんで『レファインス』と名付けられ、以後呼び親しまれている。
一方、その対比的・相対的な意味で、二条学院は「普通・平素」という意味の英単語『usual』にちなんで『ユージュアス』と呼ばれている。
統合当時、二条学院の関係者からこのことについて批判の声が挙がったみたいだが、一条学院の上層部が「市井と同列に扱われるのは六条の矜持に傷をつける」と片意地を張り、結果として『上品』と『平素』などと優劣紛いな呼称が容認されたのだとか。
「以上、時国校長のお言葉でした。え〜、では次に……新学期を迎えるに当たって、一条学院総代、生徒会執行部会長の細道夏樹さんから……」
で、俺達の通う学部というのは……当然のことながら、男女共学の二条学院だ。
一条学院とは多少の距離感はあるものの、同じく小高い丘の上に立てられたその学校は、三川町から水平線まで眺望できる。
明るく自由な校風のもと、学生達は勉学をはじめとし、学校行事、生徒会、部活動にも意欲的に取り組み、学院は落ち着いた雰囲気の中にも活気に満ちている。
「みなさま、おはようございます。これから新学期を迎えるに当たり、私から簡単な注意を……」
一方、レファインスのほうはユージュアスのみならず、外界とは完全に隔絶されていて、そのセキリュティたるや最新技術が惜しみなく使われている。
校風も雰囲気もユージュアスとは対極的で、生活の一から十までを指示した徹底的カリキュラムは、もはやかの女学院の伝統と言えるだろう。
もちろん、俺達のような庶民が気安く立ち入りすることなど、言語道断だ。
文化祭や合唱コンクールの際に一時的に開放されることもあるが、この制度も翌年には廃止されることが決定したのだと聞く。
「二学期は文化祭、秋祭り、合唱コンクール、クリスマスパーティなど、イベントが目白押しですが、だからと言って気を抜かず、体調管理には十分注意し、また、勉学や心身の鍛錬を怠らないよう……」
格式の一条学院と自由の二条学院。
統合されたにも関わらず、ほとんど交わることのない、相反する学校。
そこには全く違う理念に基づいて運営されている以上、どうしても大小なりとも軋轢が生じることもあるわけで。
しかし、統合という形を取っている以上、この関係に納得せざるを得ないのもまた事実。
それでも、俺――音原椋はこのシステムにすっかり慣れ、早くも高校生活二度目の二学期を迎えようとしていた――。
* * * * * * *
9月1日(水)/始業式の日
……おーい、おーい。
誰かが俺を呼んでいた。
穏やかな声で、時折俺の身体を揺さぶりながら、何度も何度も俺を起こそうとしている。
……おーい、おーい! 椋ー。
淡い微睡みの中で微かにそれを聞き取った俺は、夢から引きずり上げられるように瞼を開いた。
「ん……うん、わかったから」
目を擦りながら、まだ半分眠ったような声で返事をする。
俺を起こそうとした本人の、やっと起きたかと言いたげなため息がすぐ近くで聞こえた。
「あれ、もう始業式終わった?」
ぼんやりとした意識の中で、誰とも付かぬ相手にそう尋ねてみる。
すると、俺の隣の席に座っていた、バリバリ関西弁の石倉奈緒子が呆れ顔で答えてくれた。
「はぁ……何寝惚けたこと言うてんねん。あんたついさっき『やっとテンプレートでやる気の欠片も感じさせないダルダル始業式が終わったぜぇー』とか何とか言って大はしゃぎしてたところやんか。今は終礼の時間やで」
言われて見ると、何やら先生が連絡事項の書いたプリントを漁っているところだった。
どうやら俺は、相変わらずのことながら先生の話がかったるくなってそのまま眠ってしまったらしい。
まあ俺に限って、授業中に寝るなんてことは今に始まったことじゃないんだけどな。
「でも、それじゃなんで俺を起こしたんだよ? 遅刻欠席怠業は俺の専売特許だろ?」
真顔を作って自慢にもならないことを聞いてみる。
すると今度は、奈緒子じゃなくて後席に座っていた学園一の問題児、藤森流が爽快感たっぷりに言ってきた。
「音原が寝てる間に美少女留学生が自己紹介にやってきてたんだよ。だから奈緒子は彼女いない歴フルエイジな音原にせめて高嶺の花くらい拝ませてあげようと思って起こしてくれたのさ。……まぁ、もうどっか行っちゃったけどね。あはははは。いやはや、さすがの俺でも思わず惚れちゃうかと思うくらいの美少女だった。眼福眼福」
色恋沙汰にたいして興味もない藤森が言うと、冗談に聞こえてくるな。
ちなみに藤森が興味を持つのは、学校行事を微妙に妨害することと、どこかファンタジックな幻想世界に脳内旅行に行ってくることの二つだけ。
後者はともかく前者はかなり性質の悪い悪戯であるため、今では生徒会執行部や風紀委員などが常に目を光らせているほどだ。
容姿に関してはそこそこ……というかかなりの美形(ちなみに爽やか系)なので、一部の女子から人気を集めていたりもするのである。
まあこいつの紹介は追々するとして……。
さりげに俺に対する誹謗が混じった言葉をずけずけとのたまった藤森の言葉を補足するように、斜め後ろの席の沢城祐が頬杖をつきながらこう言った。
「まあ不細工ではなかったよ。でも、あれだけの逸材が三次元の女だっていうのはいただけないね。あと、金髪っていうのも気に食わない。ロリというよりはむしろしっかり者感があるし、もう死ねって感じかな。やっぱり女はゆきたんだけでいいよ。他は死ねばいいと思う」
まあいちいち説明しなくてもわかると思うが、こいつはかなり重度のオタク。
どれくらいオタクかというと、本棚が萌えアニメで埋まるほどDVD-Rを作成するくらいオタクである。
顔立ちは端正で中性的な、遠くから見ると性別の判断に困るような童顔。
髪も滑らかな絹のようだし、容姿に関しては文句のつけどころがない奴だ。
また、常にポーカーフェイスといっていいほど無感動な表情をしているので、得意分野である毒舌や突っ込みの精度が他者よりも遥かに高い。
そしてオタクにしては友好的なので、一部のMっ娘や危ない趣味を持つ男子から絶大な支持を集めている。
しかし、オタクというからにはやはり「二次元っ娘主義」を掲げるこいつが、三次元の女子に不細工ではないと言う(ちなみにクラスの女子は全員不細工の烙印を押された)ということは、噂の留学生も相当の美少女なのだということが想像に容易い。
「あのなぁ、仮にも女子の前でゆきたんとかなんとか臆面もなく言わんといてくれへんかなぁ」
まぁそんなわけで、俺も含め奈緒子、藤森、沢城のメンバーは公認の仲良し四人組ってことだ。
たまに授業中うるさすぎて前方から黒板消しが飛んでくることもあるがな。
あはっ、あははははは!
……はぁ〜。
仲はいいんだが、男女の比率悪いし藤森も沢城もリア女に全く興味ないから、浮いた話とか恋ばなとかぜんっぜんないんだよな。とほほ。
「ゆきたんを愚弄するな。スタンガンで気絶させてメイド服を着させるぞ」
こんな感じで、すぐ話が脱線するし……。
まぁ、仲がいいことに越したことはないんだけどね。
「あーあー」
そのとき、教壇の方からマイクの出力チェックのような声が聞こえてきた。
「終礼といえど今は授業中ですよ。静かになさい」
……まぁ概ね予想はしてたけどね、怒られるだろうって。
俺達は素直に先生の言うことを聞くことにした。