96.『俺はまだ本気を出していない』
「ここは……どこだ?」
気がついたら、俺は見知らぬ街中にいた。
建築様式も、まわりの人間の服装も。
全てが見た事の無いような、異国の街並み。
「俺はヘルメス、オルティアが大好きで将来はメイド全員にオルティアって改名してもらってオルティアに囲まれて死ぬのが夢……うん」
記憶はちゃんとしてる。
どうやら「ここはどこ?」の次に「私はだれ?」って続ける必要はないみたいだ。
となると……なぜここにいるのかだが。
記憶を辿ってみる。
確か俺はいつものように安楽椅子で昼寝をしていて――。
『――だ。甥っ子ちゃん聞こえてるなのだ?』
「むっ? この声はカオリ」
返事をする、方向と距離がまったくつかめない不思議な声にまわりをきょろきょろする。
すると行き交う通行人がこっちに不思議視線を向けてきた。
やっぱり俺以外には聞こえてないのか?
『よかったのだ、魔王の力でちゃんと繋がったのだ』
「つながった? しかも魔王の力を使ってまで……なにがあった」
『甥っ子ちゃん頭をぶつけてるのだ』
「……はあ?」
いきなり何を言い出すんだこのロリババア魔王は。
『だから頭をぶつけたなのだ。庭で寝てたら寝返りうって落っこちたら頭をうったのだ』
「……ああ」
なんとなくその光景が想像出来た。
安楽椅子はかなりゆったりとくつろげるのだが、それはあくまで「椅子」というレベルの話。
「寝る」となるとわりあい狭いし、ちょっと寝返りを打ったらそのまま地面におっこちるってのは簡単に想像できる。
『頭をうった甥っ子ちゃんの力が暴走して、魂を別次元に飛ばしてしまったのだ』
「別次元って……次元の壁を越えたってことか」
『そうなのだ』
「そんなのアリかよ」
『甥っ子ちゃんの力ならありありなのだ。というかお父様はもっと簡単にやってたのだ』
「なにもんだよ俺の御先祖様は!?」
いやそれはそれでいいとして、問題は今の状況だ。
通行人達の視線がいよいよキツくなってきたから、俺はとっさにその辺の路地裏に逃げ込みつつ、カオリにきく。
「どうすれば戻れる」
『大丈夫なのだ、私がやってるのだ。一日くらいかかるけど、ちゃんと甥っ子ちゃんを元にもどすのだ』
「何か手伝いは?」
『というか無理なのだ。甥っ子ちゃん、力を全部こっちの肉体においてってるのだ』
「むっ?」
手を握ったり開いたりしてみる。
言われてみると――力がない。
剣を振るうのも魔法を使うのも、全部全部、出来なくなった感じだ。
「……おおっ」
『そういうわけなのだ。一日だけ待つのだ』
カオリはそう言って、通信を打ち切った。
次元を越えた通信は魔王といえどきついんだろう。
そんな事よりも。
「力が、ない」
ちょっと嬉しかった。
力がないって事は、巻き込まれないですむ。
巻き込まれても誰からも頼られずにすむ。
「……バカンスだな!」
期せずして得られた一日限りのバカンス。
力はおいてきた、魔王であっても一日はかかると宣言したこの状況。
確実に頼られないこの一日のバカンスを満喫することにした。
そうとなれば――と、俺は路地裏から表に出た。
余裕がなかったさっきとは違って、まわりを見回した。
うっすらともやがかかる程度の距離に、王宮らしき建造物が見える。
「あれはよけよう」
どこぞの国の王都みたいだが、王宮なんてのは面倒ごとの山だ。
関わらないでいよう。
俺は反対側に向かって歩き出した。
さすが王都というべきか、王宮――つまり中心部から離れていっても、まだまだ全然栄えてて賑やかだ。
俺はいろんな店に入ってみた。
服屋とか小物やとか。
武器屋みたいなのはやっぱり面倒ごとに巻き込まれそうだからスルーした。
俺がいる世界とそんなに変わらなかった。
細かい違いはあるが、服屋なんかでは男物は実用性に長けたものが多く、女物は可愛さに全振りした物がほとんどだ。
別次元というより、別の国に来たくらいの感じだ。
とは言え、さすがにちょっとだけ困った。
金がないことだ。
さすがに元の世界の銀貨は使えなくて、こんなことになるんなら黄金の塊でも常備しとけば換金できたのになと思った。
金がないと暇つぶしの選択肢も減るな……と思っていたところに。
「お? 本屋か」
一際寂れている、誰も入っていない店を見つけた。
窓からのぞき込む限り、内装はありふれた商店で、商品は棚に並べられた大量の本だ。
本なら……立ち読みが出来る。
俺は店にはいった。
「いらしゃいませぇ」
女店員が、気の抜けた声をだした。
店の中に客はいない、停滞した空気から、普段からこんな感じなのだろうと分かる。
そりゃ、店員もやる気を無くすわけだ。
俺が棚に向かって本を一冊抜き取っても、それをちらっと一瞥するだけで、特に何か反応はなかった。
ならばありがたく、このまま立ち読みさせてもらう。
「えっと何々……『くじ引き特賞:無双ハーレム権 同人版』? なんじゃこりゃ」
タイトルを読んでも意味が分からなかった。
とりあえず開いて中を読む――。
「これは……オルティア! 大賢者オルティアじゃないか!!」
盛大にびっくりさせられた。
本の中身は絵と文字、それを細かいコマに割って、物語を作っていく物。
つまりは……マンガだ。
そしてそのマンガの内容は、俺の世界で娼婦達が競ってその名前をつけるようになった原因の人。
美の代名詞、稀世の美女大賢者オルティアの物語が描かれていた。
オルティアは「ただのオルティア」という口癖を言いながら、ある男に甘えている。
甘えて、甘えて――そしてまぐわって。
全篇、オルティアがその男とのイチャイチャでエロスティックなマンガだ。
分厚いそれを一気に読み切って、俺は「はふぅ……」と気持ちが昇天した。
「まさかここでこんな素晴らしい本に出会えるなんて――って、なんだあんたは!?」
恍惚に浸っていたからか、それとも能力を失っていたからか。
女店員が、まったく気づかれない内に俺のそばにやってきて、じっと顔を見つめてきた。
「あなた、この魔導書を読めたの?」
「はあ? 魔導書? 何の事だ。これはただのマンガだろ」
「読めたんですね。すごい!」
「……待て、わかりやすく説明してくれ」
能力はおいてきたが、経験は残ったままだ。
俺の直感が「やばいよやばいよ」と全力で叫んでいた。
「だから、魔導書を読めるなんてすごいって話ですよ! 普通の人だったら、魔導書を読むのに最低でも一年くらいかかるのに」
「一年!? このマンガをか?」
「はい。読破したら魔法を使えるようになるから、それくらいかかるのしょうがないですけどね」
「えっと……うわ、マジだ。なんか魔法覚えちゃってる」
力を全部置いてきて、まっさらな状態だからすぐに分かった。
今、魔法を一つだけ使えてる。
普通の魔法だ、怪我とかに効く、割と初歩的な炎の魔法。
「本当ですか!?」
「ああ、こんな感じの魔法だ」
「わああ……」
俺がさらっとつかって、手の平に炎を作り出して見せると女店員は感動した表情を浮かべるようにになった。
「他の魔導書ももしかして読める?」
「魔導書ってのがマンガなら、さらっと読めるけど――」
そこまで言って、俺のおいて来れなかった経験と勘が盛大に警報をならした。
こういう時って、決まって――。
「きゃああああ!」
「貴族様の馬車が暴走して人を跳ねたぞ!!」
「やべえ、肋骨が折れて肺に突き刺さってる!」
「誰か、宮廷魔術師に知りあいはいないのか!」
店の外がにわかに騒がしくなった。
聞こえてきた内容が狙い澄ましたかのような内容だった。
店の外にでて、騒ぎを確認した女店員が、振り向き俺に期待する目をむけてきた。
そして、本棚から別のマンガを抜き取って、それを持ったまま俺を見つめている。
「やべえ、このままじゃ持たねえ!」
「誰か助けてくれー!」
外がますます騒がしい。
「あの……この魔導書なら、治癒魔法」
「もう! なんでこうなるんだ――って、『俺はまだ本気を出していない』、なんの皮肉だよ!」
俺はパラパラとマンガを読破して、覚えた魔法でけが人を治し、街の人々に感謝されてしまうのだった。