90.ヘルメスの本質
「――♪」
あくる日の昼下がり、雲一つない晴れ渡った青空の下、屋敷の庭で姉さんが上機嫌に鼻歌を歌っていた。
「どうした姉さん、なんかいいことでもあったのか?」
「ヘルメス」
後ろから近づいた俺に振り向く姉さん。
ますます機嫌がよくなって、生来の美貌も相まって、姉さんを見慣れている実の弟である俺さえもどきっとするくらい美しかった。
「聞いたわ、ヘルメスの最近の活躍。それに、強さが二倍になったんですってね」
「うっ、だ、だれからそれを」
「誰からでもいいじゃないですか」
「……それはガセネタだ。まったく、姉さんともあろう者が。人間がいきなりそんな、二倍強くなれるわけないだろ」
俺は肩をすくめて首を振った。
そうして否定してみたはいいが、背中につー、といやな汗が伝っている。
「……」
姉さんはそんな俺をしばらくじっと見つめてから。
「そーい!」
いつもの豪快なフォームから、何かを青空に向かって放り投げた。
なんだいまの? 姉さんがいままでこういうのをする時って何かを隠滅する時なんだが。
何を隠滅したのかが気になって、俺は姉さんが放り投げ、空の彼方の星になり掛かっているそれをみた。
「――っ!」
なんてこった。
地を蹴って飛び上がり、姉さんが投げたそれを追いかける。
既に100メートルは飛んでいるそれに一瞬で追いつき、キャッチして、元の屋敷の庭に戻ってきた。
「おー、それを追いつくなんてすごいですね」
「何するんだ姉さん、こんなのを書いた物を投げたら誰かにみられるだろ!」
俺はインターセプトしてきた物を姉さんに突き出す。
それはこぶし大の何かのボールだった。
ボールの上には姉さんの字で、「ヘルメスは魔王を倒してその力を手に入れた」と書かれている。
「書いてある文字をよく読めましたね。全力でしかも回転を掛けて投げたのに」
「おっふ!」
はめられた。
「前までだったら読めてなかったですよね」
「ね、姉さんにばれた所でへっちゃらさ」
俺は動揺して、強がりを並べた。
一方の姉さんは、そんな俺の強がりなどまったく気にもせず。
「ああ、やっぱり私の目に狂いはなかった。ヘルメスはすごい子、もっともっとすごくなれる子だったのよ」
姉さんは指を胸元に組んで、空を見上げて目をキラキラさせている。
「はあ……」
俺も天を仰いだ。
姉さんとはまったく違う意味でだ。
幸いにして、姉さんだ。
元から俺の力を知ってて、今までもあの手この手でばらそうとしていた姉さんだ。
その姉さんに、今更「倍強くなりました」ってばれてもまったく問題はない。
……ない、はずだ。
それでも天を仰いでため息つきたくなるのは何でだろうな。
だが、たまにそれもいい方に転がる。
今回がそのたまにだった。
天を仰いでいた俺の目が、偶然それをキャッチした。
それまで何もなかった。
染み一つ無い、晴れ渡った青空に、いきなり隕石が現われた。
通常の隕石は「空の上」から降ってくる。
しかし、この隕石は「空のまん中」からいきなり生まれた。
明らかに普通じゃない。
その隕石が落ちてきた、ものすごい速さで。
一直線に、ピンドスの街めがけて落ちてきた。
「くっ!」
俺は飛び出した。
姉さんが投げたボールを止める時よりも更に速く、全速力で飛び出す。
「きゃあああ!」
「逃げろおお!」
「ママー、ママー!!」
ピンドスの街は阿鼻叫喚の騒ぎに陥っていた。
ものすごい勢いで迫ってくる隕石に、街の人々はものすごい勢いで逃げ惑う。
その落下点の、まさに中心に一人、逃げ遅れた女の子がいた。
離れた所で助けに行こうとする女がいて、その女を周りの人間が押しとどめて、ひっぱって落下点から遠ざけようとする。
俺は落下点に入った。
「もう大丈夫だ」
女の子にはそう言って、腰の剣を抜いた。
そして、飛び上がる。
おちてくる隕石に立ち向かっていく。
落下する隕石はその分重かったが、今の俺には別段難しい相手ではない。
迎撃に飛び上がって、隕石を細々に切り刻んでから、魔法で跡形もなく吹っ飛ばす。
隕石そのものは、今まで落ちてきたことのあるのとまったく一緒で、特に問題なく吹っ飛ばせた。
空が、再び青空に戻る。
そのまま真下に着地して、周りをみて、破片とか落ちて被害が出てないことを確認する。
うん、何事もなくてよかった。
「すごい!」
「ん?」
「やっぱりすごいね、領主のおじちゃん」
「君は……どら焼きの時の……」
俺の事をキラキラする目で見つめているのは、俺が領主になった直後、痴情のもつれを収めた現場を目撃したあの女の子だ。
「大丈夫か?」
「うん! 領主のおじちゃんありがとう!」
「そうか」
顔見知りなだけに、この女の子に何もなくてほっとした。
それよりも、と俺は天を仰いだ。
今のでますます確信した。
あの隕石は自然発生の物じゃない。
今まで、「発生した瞬間」をみていなかったけど、まさかこんなんだったとはな。
ますます、あれの原因を突き止めなくてはいけないと思った。
「ふふ、さすがねヘルメス」
「姉さん」
俺に少し遅れて、姉さんも街にやってきた。
その顔はますますニコニコしている。
「いや、今のは……」
「言うべきかどうか結構悩んだけど、いい加減気づかせてあげます」
「なにを?」
「ヘルメスは、困ってる人を見捨てられないのよ」
「……えっ?」
「そして、力がある」
「………………」
「だから、どのみち」
そこで一旦言葉を切った姉さん。
彼女はにっこりと。
今日、一番の素敵な笑顔を浮かべながら。
「人前で活躍する宿命なのよ」
「……」
がーん。
それは俺に取って。俺にとって。
絶望的な、事実だった。