08.酒の過ち
「ヘルメスちゃーん」
昼間のピンドス。
街中を適当にぶらついてて、娼館の前を通り掛かったら名前を呼ばれた。
いつものように二階から見下ろしてくる娼婦のオルティア。
彼女はいつになく、愛嬌のある笑顔を振りまいている。
「ねえねえ、ちょっとよってってよ」
「真っ昼間からか?」
「お願い、ヘルメスちゃんに頼みたいことがあるの」
「お前に頼みたいことって言われるとなんか怖いんだが」
オルティアとの想い出があれこれ脳裏を駆け巡っていった。
関わってろくでもない事になった事の方が多いから、こういう時はなんとなく関わりたくないんだが。
「本当にお願い、あたしの客でヘルメスちゃんが一番お金持ちだから」
「……ふむ」
金か。
それなら……話を聞いてみてもいいか。
何しろ俺はある程度は放蕩当主を演じなきゃいけないんだ。
娼館に金をばらまくような事ならメリットがあるかもしれない。
「わかった」
「やったー」
愛嬌のある笑顔が更に嬉しそうになった。
そんな笑顔が彼女の商売道具で、武器なんだなと思った。
店に入って、やり手婆にオルティア指名といって、彼女の部屋に案内してもらった。
部屋の中に入ると、待ち伏せしてたオルティアが俺に抱きついてきた。
「ヘルメスちゃん! 一生に一度のお願い」
「なんだよ、言ってみろ」
「あのね、この街にものすごいお酒が入ってきたの」
「ものすごいお酒?」
「うん! ほら、娼館でお酒を飲む人って多いでしょ。でも娼館は安い酒以外は置いてなくて、注文を受けてから酒屋に持ってきてもらうんだよ」
「なんかで聞いた事があるな」
それで? って顔をしてオルティアに先を促す。
「昨日ね、酒屋にすごいお酒が入ってきたの。100年物のぶどう酒で、一本が庶民の半年分の収入くらいだって」
話してる間も、俺に抱きついたままのオルティアが上目使いのまま、濡れた瞳でおねだりしてきた。
「お願い、一度でいいから飲んでみたいの」
「ようするに客の金で高い酒を飲んでみたいって事か」
「うん」
なるほどな。
「それだけか?」
「飲ませてくれたらすっごいサービスする! どこをどう使ってもいいから」
「それはまあいいとして」
何か罠があると身構えてたんだが、そういう事なら問題はない。
娼館通いで浪費する、今の俺がやりたいことだ。
「よし、それを持ってこい。グラスは二つだ」
「やた!」
☆
100年物というだけあって、ぶどう酒はかなり美味かった。
予想以上に美味かったから、あけた後も更に追加注文した。
飲んでる間、オルティアは見た事もない様な幸せな顔をした。
感極まったり、恍惚に陥ったり。
かと思えば我に返って俺に抱きついて「ありがとうヘルメスちゃん!」と言ってきたりで。
酒は美味しいし、抱きつかれて柔らかくていいにおいで二重に幸せな気分になった。
結局日没までに二人で五本開けて、俺はふわふわといい気分のまま娼館を後にした。
☆
夜の屋敷、戻ってきた俺をミミスが待ち構えていた。
「何処に行ってたのですかご当主――むっ、飲んでおられたのですか」
玄関先で、屋敷に入ってきた俺に駆けよってきたミミスは、眉をひそめてしかめっ面をした。
「ああ、ちょっとな。俺を探してたのか?」
「実は、王国より勅命が来ておりまして」
「勅命?」
「はい。王妃殿下がスノードラゴンフルーツの気分ということで、国王陛下は当家にすぐに献上せよという勅命を下されたのです」
「スノードラゴンフルーツ? ……ひっく」
聞いた事のある名前だな。なんだっけ。
「当家の領内にあるケリンス山、その山の頂上付近には決して溶けない万年雪があります。そこでしかとれないフルーツの事なのです」
「ああ、そうだったそうだった」
ポン、と手を叩く。
確かにそういうものがあった。
珍しいものだから、特産品といってもほとんど市場に出回らない物だが。
「それが欲しいのか」
「はい。しかし無茶ぶりもいいところです。ケリンス山はある意味天然の要塞、探検隊を編成しなければならないほどの危険な場所。それをすぐにとって来いというのは――」
「ひっく! 要はそれを取ってくりゃいいんだよな」
「それはそうですが」
「わかった、任せろ」
「え?」
何故か驚くミミスを置いて、俺はその足で屋敷から出た。
「ひっく」
ケリンス山は――確かこっちの方角だったな。
あの山の事は知ってる。
あそこなら、これくらい酔っててもまあ登れるだろ。
ていうかーー飛んでいくかあ。
☆
まぶたの裏に朝日が突き刺さる。
それに起こされた俺、起き上がって、伸びをする。
「ん?」
ベッドで寝てるのにパジャマじゃなかった、昨日出かけた時の格好のままだ。
なんで着替えないで寝たんだ? ……ああ思い出した。
昨日オルティアのおねだりに乗って、結構な量の酒を飲んだんだっけ。
いやあ、100年ものってだけあって美味い酒だった。
また入荷したらオルティアの所に行って飲むか。
金の無駄遣い、それも今の俺には必要だ。
そう思いながらベッドから降りて、まだちょっと残ってる酒を流そうと風呂場に向かおうとして、部屋を出る。
「おはよう、さすがですねヘルメス」
部屋を出た途端姉さんと出くわした。
こっちとは違って、彼女はいつものドレス姿でビシッと決まっている。
それはいいんだが、
「いきなりどうした姉さん。そうやって先に持ち上げられると怖いぞ」
昨日のオルティアは俗物的な要求だから良かったが、姉さんの場合持ち上げられると本当に悪い予感がする。
しかも前払いだ。
何を言われても乗らないようにしよう、そう俺が決意したのだが。
「聞いたわよ、一晩でケリンス山に登ってスノードラゴンフルーツを取ってきたと」
「へっ?」
何の事だそれは。
「あら、もしかして覚えていないのですか?」
「……俺、なんかやったのか?」
悪い予感がする。
実の所オルティアと飲んだ後の事はあまり覚えてないから、それもあって悪い予感がした。
「国王陛下がスノードラゴンフルーツが欲しいって勅命を下したから、ヘルメスがそれをさくっと取ってきた」
「……なにぃ!?」
そんな事をしたのか俺は。
そんな事をしちゃったのか俺は。
そんな事をしてしまったのか俺は!!!
「ミミスが驚いてたわよ、酔ってたのにケリンス山に登って、しかもその晩のうちに帰ってくるって」
「おおぅ!」
「さすがねヘルメス」
「やってもた……そうだ! スノードラゴンフルーツは!?」
問題はそれだ。
ミミスはもういい、今はどうしようもないし、家臣だから後でごまかしがきく。
問題は国王の勅命だ。
「さっそく王都に運ばれていったわよ。一晩で取ってきた事も、もう陛下の耳に入っているんじゃないかしら」
「……なんてこった」
酔った勢いでやらかしてしまうなんて……本当「なんてこった」だよ……。