84.陰ではしゃぐ魔王
「ねえねえヘルメスちゃん、魔王ってすごいの?」
いつもの娼館、オルティアの部屋の中。
いつもの様に膝枕をしてもらってくつろいでると、彼女がいきなりそんな事を聞いてきた。
「なんだ藪から棒に」
「最近ヘルメスちゃんが噂になってるじゃん、魔王となんか色々すごいって」
「うっ……」
せっかくのくつろぎが台無しになりそうなくらい、頭を抱えたくなりそうなくらいグサッとくる質問だ。
俺は大きなため息をついた。
「ねえねえ、その魔王って本当にすごいの?」
「そりゃ――ん?」
「どうしたの?」
「今、本当にすごいのって聞いた?」
「うん」
「どれくらいすごいの、じゃなくて?」
ほんのわずかな違和感だが、オルティアのそれに引っかかりを覚えた。
これが他の人間ならスルーしてたかもしれない。
しかしオルティアは娼婦、今は仕事中だ。
男女の睦言において、些細なニュアンスの違いでも興奮の度合いが大きく違う。
そしてオルティアはそういうのが特に上手い。
だから俺は、その些細なニュアンスの違いが引っかかった。
「うん、だってどれくらいっていわれても。そもそも魔王ってしらないし。なんなの魔王って」
「知らないのか?」
「しらないよ。いろんな人に聞いたけど、コモトリアの王様って事くらいしかわかんなかった」
「皆は魔王の事を知らないのか?」
「そういってるじゃん」
……ああ、そうか。
だいぶ今更だけど、その事に気づいた。
カオリは魔王だ、その力が絶大なのは、直にやり合った俺がよく知っている。
そして彼女はコモトリアの王だ、各国の上層部は色々と知ってるだろう。
だが、母親の言いつけを守って、互角の人間以外とは戦わないカオリ。
それは既に数百年続いているということだから、下手したら数百年間、カオリは人前で力を振るったことはない。
庶民レベルじゃ、カオリの事も、そもそも魔王の「本当」を知らないのも無理はない。
俺は少し考えて、試しに、とオルティアに「嘘じゃない事」を答えた。
「まあ、王様だし、見た目10歳かそこらの子供だし」
「へえ、じゃあたいしたことないんだ。なのにヘルメスちゃんは戦って苦戦したの?」
「……」
俺は答えなかった。
積極的にうそはつかない。
オルティアが上手い具合勘違いしてくれたから、それで話がどう転ぶのかを見てみることにした。
「ヘルメスちゃんって、意外とたいしたことないんだ」
オルティアはそう言いながら膝枕した俺の頭を撫でたり、肩や腰を揉んだりしてきた。
これは……予想外だ。
だがいいことだ。
そもそも俺が考え過ぎてたんだ。
カオリと互角以上にやり合ったことで噂になって面倒臭い事になるって思ってたが、それは俺がカオリの力を知っているからだ。
カオリは他の人間と戦えない。
国で謀反起こされても一方的に殴られっぱなし(効きはしないが)な位だ。
一部を除いて、世間はカオリが強いことをそもそも知らない……?
だったら、ここ最近の事はあまり気にしなくてもいいのかもしれない。
「ありがとうオルティア」
「ほえ? どしたのいきなり」
「いや、とにかくありがとう」
「うーん、うん。どういたしまして」
オルティアは深く考えないで、にっこりと笑顔で受け入れてくれた。
悩む必要がない、すくなくとも大幅に減った。
この先カオリとは、人が見てさえいなければ真面目にやっても大丈夫だって分かった。
そう思うと、久々に心がすごく晴れやかになった。
「うーん」
「どうした」
「ヘルメスちゃん格好いいね」
「なんだ藪から棒に」
「今の話でなにかいいことがあった?」
「……どういう事?」
「だって、いきなりいい顔になっちゃってさ。ヘルメスちゃん、うちに来るようになってからで一番男前だよいま」
「そうなのか?」
膝枕したまま自分の顔をべたべた触ってみた。
「気分が軽くなったのは実感しているが、顔つきが変わる程か?」
「うん。今ならうちの子皆メロメロ、お代はいいから可愛がって! って言いだす子が十人はいると思う」
「それはそれで怖いぞ」
娼婦が金いらないってお前。
「オルティアは?」
「あたし? あたしは……一生のお願いを今なら聞いてくれそう――あいたたた!」
手を伸ばしてオルティアにウメボシした。
また一生のお願いか、なんて思いつつも、今ならなんでも聞いてあげたいって気分だ。
そうやって、オルティアとイチャイチャしていると、部屋の外がにわかに騒がしくなってきた。
「どうしたんだ?」
「ちょっと聞いてくるね」
オルティアが立ち上がって、部屋の外に出て、若い子を捕まえて話を聞いた。
直後、彼女は慌てて戻って来た。
「ヘルメスちゃん! 魔王ってすごいの!?」
さっきとまったく同じ質問、しかし今度はものすごく慌てている。
「どうした」
「この街の東に山があったじゃん?」
「ああ、300メートルくらいの小さな山があったな。それがどうした」
「魔王を名乗る子がそれを消し飛ばしたらしいのよ。ヘルメスちゃん、そういう化け物と互角に戦ったの……」
「おぅ……」
一時はほっとしたのだが、それのほっとする原因をカオリに吹っ飛ばされて。
ピンドスを中心に、俺が強いって噂が更に加速度を増して広がっていった。