81.じゃれあい
ピンドスの屋敷、昼下がりの庭。
安楽椅子に座って、写真を眺めていると、姉さんの気配が近づいてきた。
「ヘルメス、何をしているのですか?」
「ああ、ちょっとこれをみてたんだ」
そう言って、カオリから押しつけられた写真を姉さんに見せた。
姉さんは身を屈んで写真をのぞき込んだが、何を思ったのかその写真をひったくって。
「そーい!」
スカートをなびかせ、足を頭上まで上げる豪快なフォームでカオリの写真を投げ捨てた。
空の彼方へと消えていくカオリの写真。
俺はおでこに手のひらでひさしを作って、飛んでいった写真を眺めた。
「飛んだねえ」
「ダメですよ! ヘルメス、それはダメ!」
「へ?」
「いくら何でもそんな幼い子はダメ! お姉ちゃんそんな子に育てた覚えはありませんよ」
「なに言ってんだ姉さん」
「まさかもう手遅れ!?」
ガガーン! って感じでのけぞりながら驚愕顔をする姉さん。
「いいえ、露見したのは今日がはじめて、今ならまだ間に合うはず。私が体をはって正しきみちへ……」
「何決意してるのか分からないけど、あれ魔王だぞ」
「……へ?」
きょとん、と目を丸くする姉さん。
俺と、飛んでいった写真を交互に見比べる。
「まおう?」
「魔王」
「……マ=オウ?」
「そんな人名だか地名だかの話じゃなくて。魔王カオリ、コモトリアの国王の写真だ」
「あれが……魔王だって言うのですか?」
「信じられないだろ? 本物なんだぜ、あれで」
俺も未だに信じられない。
どう見ても子供で、ロリロリでちょっとおバカっぽいところがあるくせに、強さで言ったら今まで戦ったどんな相手よりも強い。
危うく本気を出させられる所だったぞ。
「え、えっと……」
「ちなみにアレ、魔王から押しつけられたものだけど。その時真顔でこう言われた」
「な、なんて……?」
「『これは拳で語らったダチの証拠なのだ、なくしたら種絶の呪いと短命の呪いを掛けてやるのだ』、ってな」
「種絶はらめええええ!」
姉さんは血相を変えて、写真を投げ飛ばしたほうに向かって猛ダッシュしていった。
スカートをつまんでの猛ダッシュ――あっミデアが轢かれた。
まあ、言われたのは本当だけど、姉さんなら見つけてくるから大丈夫だろう。
「しっかし、大変だったな……」
「そうみたいだね」
「うおっ!」
いきなり話しかけられて、安楽椅子から転がり落ちるくらいびっくりした。
「り、リナ殿下」
「リナ」
「え?」
「呼び捨てでいい。師匠なんだから」
「あぁ……そうだったな。それよりどうしたんだいきなり。びっくりしたぞ」
立ち上がって、リナの前に立つ。
「陛下からお褒めの言葉をあずかってきた。さすがね、魔王を本当にどうにかしてしまうなんて」
「そうか?」
「ええ、陛下は大いに喜んでいるわ」
「そうなのか。ちょっと不安だったんだがな、無断で魔王の特別顧問、しかも大公爵? レベルの地位をもらっちゃったから」
「先生のすごさを理解するとは、魔王の小娘中々見る目がある。っておっしゃってた」
「上から目線! いやカオリの方が圧倒的に年上だと思うんだけど」
詳しくは聞いてないが、カノー家の初代と顔見知りみたいな事言ってたし、普通に数百歳、下手したら一千年くらい生きてる感じだ。
見た目はロリだけど、決して小娘って歳じゃない。
「で」
「ん? で、って、なにが?」
「私は監察官」
「なにか仕事なのか?」
「ああ、そなたと魔王の戦いの地へ赴いて検分してきた」
「……へ?」
けん、ぶん?
「力が濃く残りすぎている、しかも時間経過とともに更に悪化している。もはや人間が立ち入り出来ないレベルになっている」
「えええええ!?」
「あっちは部下に任せて、そなたの口から証言を取りに来たというわけだ」
「はあ……って待て」
「なんだ?」
監察官として、リナは初めて出会った時のような、硬質的な美貌で俺を見つめ返してきた。
「部下って何の事?」
「現場の検分には部下がいる。かなり大規模だったと報告を受けているし、もとより私が自分の手でやるわけでは無い。スライムロードの時で知っているだろう?」
「確かに……って、ことは……まさか!」
ものすごい悪い想像が頭をよぎった。
何故今までその事を忘れていたのかと、自分を殴り飛ばしたくなるうかつさだ。
「目撃者……いっぱい?」
リナは静かにうなずいた。
「噂もいっぱい」
「ノオオオオオオオオオ!?」
俺は頭を抱えてイヤイヤした、膝から崩れ落ちそうになった。
なんてこった。
なんてこった。
なんてこった。
まさかそんな事になっているなんて、なんてこった……。
目撃者を減らす意味もあって人気の無い所を選んでたたかったのに、検分と戦いの痕跡の事を忘れていた。
「オォノォ……」
本気でがっくりきた。
「どうしたのだ甥っ子ちゃん」
「カオリィ……」
ものすごい勢いで接近して、しかしものすごい涼しい顔でしゃがんで下から俺をのぞき込んでくるカオリ。
「魔王……」
横でリナが魔王の出現に息を飲むのがわかった。
「甥っ子ちゃん、腹が痛いのだ?」
「ちがうよ……ってか何しに来たんだ?」
「そうだ。甥っ子ちゃんひどいのだ。写真をどこかに捨てたって気配を感じたのだ」
「なんで分かるの!?」
「呪うためにちゃんとなくしたかどうか分かる魔法を掛けておいたのだ」
「ああ、掛かってた魔力ってそういう……」
てっきり捨てたらそのまま来るのかって思ったけど、姉さんが捨てても何もなかったから不思議には思ってた。
「甥っ子ちゃんひどいのだ」
カオリはそう言って、ヒュンと手刀を振ってきた。
恐ろしく早い手刀、それを避けて、剣を抜いて反撃する。
切っ先はカオリの鼻先をかすめた。カオリはメトロノームの如く反ってかわした後頭突きしてきた。
コンマ一秒もない短い間、カオリの目に期待する色が混じっていた。
『夕日と鉄橋の下で殴り合ったダチ』の事をあの後も色々聞かされた俺は、なんとなくカオリの求めていることを理解。
心の中でため息をついて、頭突きで迎撃。
ドゴーン!!!
ぶつかり合う頭と頭、ほとばしる衝撃波。
安楽椅子が吹っ飛び、地面の芝生が剥がれてクレーターができあがる。
カオリはじゃれ合いに来た、俺はそれに付き合ってやった。
軽く準備運動レベルの手合わせをしてあと、カオリは笑顔で手を止めた。
「うん、すっきりなのだ」
「今度からやる時は一声掛けて欲しい」
「甥っ子ちゃんなら大丈夫なのだ。それに言葉じゃなくて拳で語れるのが本当のダチなのだ」
「本当にやっかいだなそれ」
「所でそこの女はなんなのだ? 鳩が肘鉄砲くったような顔をしているのだ」
「吹っ飛ぶわハト!」
そこの女ってリナだよな、一体どういう顔――。
「へっ?」
リナの方を振り向いた瞬間、おれの方が豆鉄砲を食った鳩のような顔をしてしまった。
リナはポカーンとしていた。
ものすごい何かを、信じられない何かを見たような顔だ。
「なんだ……いまのは」
「へ?」
「今の戦い、人間のレベルを超越している……人間ってあそこまで強くなれるのか?」
「……あっ」
やってしまった。
カオリに付き合ってやってたら、感覚がマヒしていた。
魔王との「じゃれ合い」でも、普通の人間には「ものすごい」レベルだった。
これ、口止め……出来るのかな……。