78.あちらを立てればこちらが立たず
「私が来たのだー」
あくる日の昼下がり、書斎の中で考えごとをしていると、いきなり壁が吹っ飛んだ。
砂煙の中から人影が二つ、それが晴れるよりも早く、片方がこっちに突進してきた。
魔王、カオリ。
俺が書斎に籠もって考えごとしてる状況を作った張本人が、いきなりやってきた。
「久しぶりなのだ、ものすごく会いたかったのだ」
「いや会いたかったって、それはいいけど普通に玄関から来てくれよ、なんで壁を破壊――破壊?」
あきれ顔で破壊された壁を見たが、壁は傷一つついていなかった。
そんな馬鹿な、さっき明らかに「ドゴーン!!」って轟音がして、屋敷も思いっきり揺れた。
なのにカオリが入ってきたはずの穴がない、それどころかさっきまで舞っていた砂煙も綺麗さっぱり消えてる。
そのかわり、壁の横に一人の少女がおどおどした様子で佇んでいた。
「あんたは?」
「は、はは初めまして。下僕1024号です」
「は? ああ、魔王の下僕って事か。ちなみに名前は?」
「げ、げげ下僕1024号です」
「だから名前」
「そいつは下僕1024号なのだ、私がつけた正式な名前なのだ」
「なんて名前をつけてんの!?」
思わず声を張り上げた。
その少女は見た目はカオリよりちょっと年上で、ミデアよりほんの少し年下だ。
受け答えでおどおどしてることもあって、気弱な、人によっては愛らしく思えるような少女だ。
それを……「下僕1024号」なんて名前をつけるとは……。
「お前ひどいな」
「そんな事ないのだ。こいつは役に立つから、必要な時は頼りにしてるのだ」
「必要な時?」
「例えばこうなのだ」
カオリは無造作に手を横に振った。
あまりにも無造作過ぎる動き、「へいへい」とでもいいながらひらひらと手を振るような仕草。
なのに――書斎が半壊した。
手を振ったのと同時に部屋の半分が吹き飛んだ。
「何をするんだ!」
「大丈夫なのだ」
カオリは自分が吹き飛ばした壁をさした。
そこに下僕1024号がいた。
彼女はものすごい勢いで書斎を修復している。
半分吹っ飛んだ書斎が元通りに修復されるまで5秒も掛からなかった。
まるで、魔法のような手際だ。
「こうなのだ」
「そのために連れ回してるのか」
「そうなのだ。お母様は互角の相手じゃないと戦っちゃいけないって言ったのだ。でも、ものを壊すなとは言ってないのだ」
「……あぁ」
そういう感じなのね。
俺は下僕少女をみた、彼女と目があって、複雑そうな笑顔を返された。
色々困ってるけど、振り回されてるうちになれてしまった。
そんな所か。
人間関係は人それぞれだ。
そういうことなら、まあ突っ込むのはよそう。
つっこむのを諦めた直後、慌てた足音がやってきて、ノックの後にメイドが飛び込んできた。
報告に来たのだが、吹っ飛んだはずの壁をみてメイドはぎょっとした。
何が起きたのか分からない顔をされた。面倒臭いから、これから起きる騒ぎは全部無視しろ、と命令して退出させた。
「はあ……」
「ため息をつくと幸せが逃げるのだ」
「誰のせいだと思ってる」
「それよりもそろそろ戦うのだ。武闘大会はいつなのだ?」
「あー……その事なんだが」
俺はぼりぼり頬を掻きながら、どう切り出すか考えた。
一通り考えてみたが、ストレートに伝えた方がいいと判断した。
「俺から提案があるんだが」
「提案? なんなのだ?」
「無観客試合、はどうかな」
「むかんきゃくしあい?」
なぜそこでちょっと舌っ足らずになる。
「ああ、言葉の意味そのままで、観客がない試合なんだが、どうだ? 観客がいると、お前の力で巻き添え出すだろ? それはお前の母さんの言い付けに反するんじゃないのか?」
それっぽい理由をつけてみたけど、まあぶっちゃけ見られたくないんだ。
見られると、それが「事実」になってしまう。
無観客試合なら、後日あれやこれやで手を回して、俺は魔王に汚い手を使ったとか、そういうごまかし方も出来る。
だから、客なんてない方がいい。
そう思っての提案、思い切った提案なんだが。
「問題ないのだ」
「いいのか?」
「うん! 私はお前と戦いたいのだ。それが出来たら何でもいいのだ」
カオリはあっさりと受け入れた。
ちょっと……驚いた。
いやまあ、戦争じゃなくて武闘大会でケリをつけよう、なんて外交的には舐め腐った提案をあっさり受け入れたくらいだから、この提案を受け入れてもそんなにおかしくはないか。
「いつやるのだ? 今日なのだ? 今がいいのだ」
眼をキラキラさせて俺に迫るカオリ。
そのすがたはまるで魔王には見えない、おもちゃを父親にねだってる幼い娘にしか見えない。
「えっと……そうだな」
「今やるのだ」
「いや、周りに被害が出ないような場所の選定とか、いろいろ」
「それなら大丈夫なのだ。そのために下僕を連れて来たのだ」
「え?」
「下僕は今までの下僕で一番役に立つのだ。生き物以外なら何でも一瞬で直してしまうのだ」
「あぁ……それで連れてきたのか」
「そうなのだ、例えば――」
全くの予想外だった。
カオリはまた無造作に手を伸ばしてきた。
瞬間、殺意が全身を包み込む。
俺はほぼ本能的に、剣を抜いて迎え撃った。
俺の剣と、カオリの左手。
打ち合った結果、拡散した衝撃波が書斎を丸ごと吹っ飛ばした。
爆心地に俺たちだけを残して綺麗な空が見えた――のもほんの数秒だけ。
十秒もなかっただろう。
少女があわあわって感じで動いて、あっという間に書斎を元通りに修復してしまった。
「と、こうなのだ」
「はえぇ……すげえな」
「だろー、なのだ! 私の下僕は世界一の下僕なのだ」
カオリはない胸を張った。
下僕1024号なんてふざけた名前をつけてはいるが、彼女なりに大事に思ってるってことか。
「だから心置きなく私とやるのだ」
「そうか、分かった。じゃあせめて人のないところに移動しよう。この屋敷にはメイドやらがたくさんいる、それを巻き添えにしたらお前も大変だろ」
「了解なのだ!」
とりあえず戦いは避けられない、でも人目のない所でやれる。
俺はほっとした。
「絶対に誰も巻き添えにしない、誰にも見られない所をしってるか?」
「任せるのだ、魔王の力で、たたかってる間誰も入ろうとしない人払いの結界をはれるのだ」
「そうか、頼む」
「任せるのだ!」
これまで嵐のように振る舞って色々困りものの魔王だが、この時ばかりは頼もしかった。
だから、俺はうっかり忘れていた。
この事に気づいたのは、取り返しが付かなくなる――戦いが終わった後。
俺たちの戦ったただの郊外に「痕跡」が強く残って。
魔王と張り合った史上唯一の人間、と両国の正史にそれが刻まれてしまう事を。
俺は、監察官としてやってきたリナに言われるまで。
まったく、失念していたのだった。