75.魔王、始動
ある日の昼下がり、オルティアの娼館からの帰り道。
ピンドスの街を適当にぶらついてると、ある人が目に入った。
瞬間、背筋に悪寒が突き抜けていく。
気がつけば俺は剣を抜いていた。先手必勝。そうしなければこっちがやられると思ったのだ。
剣を抜き放ち、飛びかかってその子に斬りかかった。
ガキーン!
金属音がこだまする、火花が飛び散った。
俺の斬撃は無造作に振り上げられた腕にガッチリガードされていた。
「なんなのだお前は、いきなり失礼だぞ」
俺の一撃を受け止め、憤慨するのは幼い女の子。
ミデアよりも更に幼くて、長い髪を左右に結んだ細くて長いツインテールが見た目の幼さに拍車をかけている。
更にその子がいるのは甘味屋、周りに食べた量を示す器が山のように積み上げられている。
そんな見た目に俺は騙されない。
一目見た瞬間から脳内に鳴り響く警告音、俺の渾身の一撃を何事もなかったかのように止めた力。
ただ者じゃない、間違いなく今まであった人間の中で最強。
あの竜王の影よりも数枚上手だ。
「お前こそなんなんだ? こんな所で何をしている」
「答える必要はないのだ。いい一撃だったから、それに免じて見逃してやるのだ」
行け、と言わんばかりに俺の剣をさらりと振り払う。
「そうは行かない。俺はこの街の領主だ。お前のような危険な存在を放っておけない」
「領主?」
甘味に戻る女の子は俺の言葉に何を思ったのか、手を止めてこっちを見つめてきた。
その間、周りがざわざわし出した。
剣を抜き放っている領主、その領主が睨んでいる女の子。
間違いなくただ事じゃない様子に、野次馬が徐々に増え出した。
このままじゃ巻き添えを出す、散らさないと――。
「そっか、お前がカノーの男なんだな」
「え?」
「うんうん、見覚えがあるのだ。そかそか、前のヤツ、ミロスよりは見所があるのだ」
「ミロス兄さんの事……しってるのか。何者なんだお前は」
「お前呼ばわりは失礼なのだ。私はカオリ、ちゃんとおばちゃんと呼ぶのだ」
「カオリ……?」
初めて聞く名前だし、聞き慣れないタイプの名前だな、と思っていると。
「えええええ!?」
甘味屋の主人、そして周りの野次馬が更にざわついた。
どういう事だ?
「か、カオリ様……魔王様、ですよね」
「むぅ……そうなのだ……」
「ははー。そうとは知らず失礼しました。今すぐかわりを持って来ますのでお待ちください」
主人が慌てて店の中に引っ込んで、周りがより一層ざわついた。
……魔王?
周りがなんだかものすごく恐縮するカオリは俺を睨んで。
「お前のせいでばれたのだ、責任をとるのだ」
「えぇー」
一体、どういう事なんだ?
☆
屋敷のリビング。
あの後注目されすぎて、静かに食べられないからって事で、カオリは甘味屋を離れ、代わりにと俺の屋敷に連れて行けと命令してきた。
命令されるいわれはないが、暴れられるよりはマシだと、俺は素直に彼女を屋敷まで連れ帰ってきた。
「えっと、それで……もうちょっとわかりやすく説明してくれるかな。なんだ魔王ってのは」
「しらないのか? 私はコモトリアの元首、二代目魔王カオリなのだ」
「……コモトリアの国王、って事?」
「そういうことなのだ」
「そういうことっていわれても、そもそも魔王って――」
更に聞こうとすると、リビングのドアがノック無しに開かれた。
あらわれたのはミデア、彼女は俺を見て。
「やっと見つけた師匠。今日稽古つけてくれるって約束だったじゃないですか、どこにいってたんですか?」
そのまま、つかつかとリビングの中に入ってきた。
「ちょっと待って、今それ所じゃ」
「何ですかこの子は、こんな子よりも私との約束が先です」
「こんな子?」
ビクッ、とカオリの眉がはねた。
ヤバイ――と思ったが間に合わなかった。
「おいお前」
「なんだ――」
ちゅどーん!
ものすごい何かがミデアの頬をかすめて、その後ろの壁――いや屋敷を半分吹っ飛ばした。
「……え?」
「運が良かったなお前。お母様の言いつけがなかったら今ごろ消し炭なのだ」
「…………」
ふん、と鼻をならすカオリ。
一方でぽかーん、と放心するミデア。
「おい! 大丈夫かミデア」
「師匠……」
「どうした、どこかやられたのか」
「私……産まれてから今日までの事をもう一回体験しちゃいました」
「走馬灯見えてるじゃないか!」
「ああ、そうか。これが達人同士の立ち会いにある、時間が凝縮された現象なんですね。あは、あははは」
「ちょっとまってそれは微妙に違うぞ。戻ってこーいミデア」
「あはははは」
うつろな目をしたまま、崩れた壁から外に出て行くミデア。
彼女も心配だが、今はこっちだ。
「お前、本当に何者なんだよ」
「おばちゃんって呼ぶのだ。お前、カノーの何代目なのだ?」
「え? えっと……十……いくつだ?」
微妙に覚えてない。
「私はお前のおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん――つまり初代と腹違いの兄妹なのだ」
「……えええ!?」
「つまり大大大――おばなのだ。呼びにくいだろうからおばちゃんでいいのだ」
「俺のじいさんのじいさんのじいさんとって……お前今いくつ――」
ちゅどーん!
見えない何かが頬をかすめていった。
俺の背後で半壊した屋敷が更に半分ふっとんだ。
突き出すカオリの手、その人差し指。
一本指で放った何かが屋敷を吹っ飛ばした。
「レディーに歳のことを聞くのは失礼なのだ」
「いやいやいや」
「百から先は覚えてない」
「そりゃそうだろうけど!」
改めてカオリを見る。
幼い見た目に、あっちこっちが細い体つき。
俺の妹、いや貴族の俺が政略婚姻ルートで早婚だったら娘っていってもおかしくない歳の見た目だ。
それが……大大大――おばだって?
だが、ウソではなさそうだ。
そもそも二度にわたる超攻撃は人間離れをしている。
察するに、「魔王」という長命種らしい。
俺はため息をついた。
「わかったわかった、じゃあえっと、おばさんは――」
ちゅどーん――ガキーン!
三度の超攻撃、今度はギリギリの所で反応できた。
剣を抜いて、飛んできた力の塊を真上に弾いた。
「ふう……当ってたら屋敷が全壊してたぞ。なんだよ今のは」
「おばさんはNGなのだ、ちゃんとおばちゃんと呼ぶのだ」
「違いが分からねえ!」
「それよりも、弾いたのだ……」
「え?」
「私の攻撃を弾いたのだ」
「そりゃ三回も同じものを見てれば対処の一つくらいは……」
今のまずかったのか? なんかやらかしてしまったのか?
もしかして、弾いた事がプライドに触って逆上してくるとか?
そうならまずい、と、俺は剣を握ったまま身構えた。
が。
「よし、今日はいったん帰るのだ」
「え?」
予想にはんして、カオリは逆上しなかった。
むしろニコニコ顔になって。
「バイバイなのだ」
といって、上機嫌な足取りで、反対側の壁を突き破って外に飛び出し、空を飛んで去っていった。
「……せめて壊れたところから出て行けよ」
嵐のように登場して、嵐のように去っていく。
そんなカオリに、俺は突っ込みを間違えてしまったのだった。
☆
数日後、半壊してて建て直し中の謁見の広間。
ミミスら家臣団を相手に、適当に執務に励んでいた。
屋敷の破壊は適当にごまかした。
なんとなくカオリの事をいったらやぶ蛇になりそうだったから、力技でごまかした。
そのせいか、ミミスらの目が普段よりも冷たい気がする。
「次。隣国ですが、コモトリアの魔王が動き出しました」
「むっ?」
タイムリーな名前が出てきた。
「コモトリアの魔王?」
「はい。直接関係のある話ではありませんが、一応は」
「もっとわかりやすく説明してくれ。コモトリアの魔王って一体何なんだ?」
「あまり知られていないことですが、コモトリアの魔王が動かないのは、前魔王の遺言、互角の存在を見つけるまでは魔王自ら動いてはいけない、と言うのがありまして。それで数百年間魔王は在位していたのですが、コモトリアに引きこもって結果的には平和だったのですな」
「いやそういうことじゃなくて」
俺はコモトリアの魔王の事を聞いた、しかしミミスは魔王の行動の事を説明した。
俺の質問には答えてない形になったが、逆に物騒なワードがいくつも聞こえてきた。
もしかして、という悪い予感が頭をよぎった。
「あはは、まさかな」
と、思っていると。
外から門番が駆け込んできた。
門番は俺に直接じゃなくて、ミミスに耳打ちした。
ミミスの顔色が変わった。
「……ご当主」
「な、なんだ」
ごくり、と俺は生唾を飲んだ。
「陛下の使者でございます。魔王との一件は本当なのか、と」
「オーノー!」
俺の事か、やっぱり俺とのことか!
「つまり……魔王が動き出したのは……ご当主を互角とみたため……」
「オゥノォ……」
俺はがっくりとうなだれてしまうのだった。