72.娼婦の剣舞
ピンドスの街、いつもの娼館で、オルティアの部屋。
彼女は俺にしなだれかかってきながら、色っぽい声で、
「ヘルメスちゃん、一生のお願い」
俺は無言で、しなを作っているオルティアの側頭部をグリグリした。
「痛い痛い痛い!」
「……」
もがいて抜け出したあと、オルティアは涙目で恨めしそうに俺を睨んだ。
「どうしたのヘルメスちゃん、いつものウメボシと違うよ? 強すぎて愛情を感じないよ」
「そうか、悪い」
「ううん、別にいいんだけどって痛い痛い痛い!」
もう一度オルティアを引き寄せて、またウメボシでグリグリする。
「違うそうじゃない。いつものウメボシをしてって意味じゃない」
「そうなのか」
「もう! ヘルメスちゃんってば、ひどいんだから」
「で、なんだ、今回の一生のお願いは」
言葉が盛大に破綻しているが、今更だからそれで通した。
「あのね、ヘルメスちゃんに剣を教えて欲しいのって痛い痛い痛い!」
「お前もかブルータス」
「ちょっと! ひどいよヘルメスちゃん、今のはちょっとおかしくない?」
「ああごめん、むしゃくしゃしてやった」
「つかまるよそれ!」
「問題ない、この街でつかまっても裁くの俺だから」
何しろ領主だからな。
にしても……なんだ? オルティアまで。
「ちょっと詳しく話してくれるか? なんで剣なのか」
「えっとね、教えて欲しいのは……剣舞? っていうの?」
「剣舞……芸としてのやつか」
「そそ、それそれ。それを身につけたら、もっとお客さんを喜ばせてあげられるかなって」
「ふむ」
「ほら、あたしって楽器弾くよりもそっちの方が似合いそうじゃん?」
「それはそうだな」
オルティアは娼婦と言うには、ストレートな色気に欠けている。
もちろん綺麗は綺麗なんだが、性格が明るすぎて、屈託もなさ過ぎて。
まるで十年来の大親友だって思ってしまうことがよくある。
もちろん、それは「過ごしやすさ」「心が安らぐ」というのとほぼ同義なので、娼婦としての彼女の立派な武器ではあるんだが。
ただそれもあって、決して似合わないというわけではないが、オルティアは楽器を弾いて歌を歌うよりは、もしかしたら本人が言うように、剣の一つでも舞って見せた方が受けが良いんじゃないかって俺も思う。
「だから、ねっ、お願い。教えてくれたら何でもするから、時間内はあなただけの女になるから」
「そりゃ普通だろ」
あえて突っ込んでみた、この気安さもオルティアの人気娼婦たるゆえんだと思う。
「にしても……剣舞か」
俺は立ち上がって、腰の剣を抜いて、舞いだした。
剣舞はそれ程得意じゃないのだが、まあちょっとやってみよう。
子供の頃に覚えた型、頭の中に入ってるストーリー、空想で伴奏をつけてそれに合わせる。
部屋の中で剣光が残像を引いて、美しい軌道を描いた。
脳内再生した曲を一曲しっかり最後まで奏でて、踊りおえると。
「こんなのでいいのか?」
「……」
「オルティア? おーいどうした」
なぜか呆然としているオルティア。
目の前に手を出して、ひらひらと振って見せた。
それに反応したのか、オルティアはゆっくりと立ち上がって、俺の腰のあたりに手をやって――。
「ちょっと待て! なぜズボンを脱がそうとする」
「あっ、ごめんつい」
「つい!? なにゆえついで俺のズボンを脱がす」
「だってすごく綺麗だったから。ヘルメスちゃん実は女の子だったのかなって思って」
「おかしいだろ! 俺の性別とかお前には今更だろうに!」
「そっか、それもそうだね」
オルティアはふぅ、と深い息をついて。
「でも、本当にすごかった。ヘルメスちゃん剣舞も上手いんだね」
「そうか? あんまり得意じゃないんだが」
「でもすごく綺麗だった……ねっ、今のでいいから教えて? 簡単だよね、ねっ」
「簡単かどうかは知らんが……まあ型だし今教えてやるよ」
そう言って、オルティアに魔法をかけた。
「あれ? 体が――?」
「安心しろ、ほら」
俺は右手を挙げた、するとオルティアの右手も挙がった。
ミデアに型を教えた時と同じように、相手の体の自由を奪って、こっちの動きとトレースする魔法だ。
「これで同じ動きを体に覚え込ませてやる。実際に正しい動きを自分の体でやった方が覚えが良いはずだ」
「そっか! じゃあお願いしますヘルメス先生――痛い痛い痛い! なんで!? 今のなんでウメボシの流れになったの?」
「ごめんつい」
最近頭を抱えている「先生」って言われてついついやってしまった。
オルティアはまたもや涙目で、さっき以上に恨めしそうに俺を睨んだ。
「今のは俺が悪かった。ちゃんとやるから」
「またやったらいじめるからね」
「わかったわかった。じゃあ行くぞ」
オルティアの体を操縦して、さっき舞ったのと同じ動きをした。
「剣」とか「先生」とか、今敏感な時期のキーワードに引っかかってオルティアに八つ当たりみたいな事をしてみたが、やってみると意外とすっきりする。
それに、これはいくらやっても俺の評価が上がらないのも良い。
オルティアの感想が本当なら、さっきの俺は「綺麗」で、俺が望まない方向への評価が上がるようなことはないはずだ。
それもあって、オルティアに気持ち良く教えられた。
☆
数日後、屋敷の応接間。
俺を訪ねてきた客があるって事で、ここにやってくると――。
「陛――じゃなくて、キング」
そこにいたのは国王陛下だった。
とっさにキングと言い換えたのは、彼のそばに幼げな老女、
娼婦のダフネが一緒にいるからだ。
「どうしたんだ今日は」
「オルティアから話を聞いた、この人にも剣舞を教えてあげてくれ!」
「また増えた!!!」
「頼む!」
キングはほとんど土下座する勢いで俺に頼み込んできた。
その勢いは、自分の事を頼むとき以上の勢いだった。
「教えてくれたら何でもするから」
「あなたは何でもはしないでくれ頼むから」
国王の何でもするに、俺はちょっと頭がくらくらしそうな、そんな気分になってしまった。