61.ごまかし
朝の大食堂、俺と姉さんの二人が、メイドの給仕を受けながら朝食を取っていた。
長いテーブルをはさんで向き合って座る俺と姉さん、その姉さんの様子がいつもとちょっと違う。
「なあ姉さん」
「はい、何ですか弟父様」
「いつもよりニコニコしてるけど、なんかいいことでもあったのか?」
「ええ、ありました」
姉さんは手を止めて、俺を真っ直ぐ見つめ、ニコリ、と微笑んだ。
我が姉ながら魂を奪われそうな、素敵な微笑みだ。
「ヘルメスが陛下の剣術指南役に命じられたのが嬉しいのです」
「あぁ……」
その事か。
姉さんは前々から俺に本気出せ本気出せ、その実力を全世界に知らしめたい、とか言い続けてきたからな。
国王の剣術指南役ともなればその実力は太鼓判を押されたようなもの。
「そりゃニコニコにもなるか」
「ヘルメスもようやく、分かってくれたのですね」
「そういうわけじゃないんだけどな」
「では?」
小首をちょこんと傾げて、聞き返してくる姉さん。
「成り行きなんだよ、不可抗力だった」
「……私はたまに思うのですけど」
「ん?」
「ヘルメスって、本気で隠す気はあるのですか?」
「グサッ!」
胸に来た、思いっきり来たぜ。
というか泣けてくるぜ。
いやあるんだよ、ものすごくあるんだよ。
隠したりごまかしたりする気は人一倍あるんだけど、何故かことごとく裏目に出るんだよな……。
「いや姉さん、それはーー」
「分かってます。ヘルメスがやる気を出してくれているのは。指南役に命じられて以来、いつも帯剣しているみたいですしね」
「……」
姉さんの指摘に反論できなかった。
確かに、あれのちょっと前からいつも剣を持ち歩くようになった。
だからそう思われても仕方ない所だ。
俺は抗弁をやめて、黙々と食事を取ることにした。
「ところで、ヘルメスは今日どうするのですか?」
「ん?」
「執務の日ではないじゃないですか、何か予定は?」
「別にないけど」
「でしたら――」
「――ッ! 姉さん!」
それは何の予兆もなく現われた。
最初は甲高い音が鳴ったかと思えば、原因不明のプレッシャーが迫るのを感じた。
それは俺にじゃなく、姉さんの方に向かっていた。
原因に察しがつくと同時に椅子を蹴っ飛ばして立ち上がり、姉さんに向かって突進。
いきなりの事に驚く姉さん、そのままタックルして突き飛ばし、もみ合うように転がっていく。
直後――ドォーン!
天井を何かが突き抜けて、姉さんが座っていた所が木っ端微塵に吹き飛んだ。
隕石。
手のひらに載る程度のサイズの隕石が、姉さんが座っていた所にクレーターを開けて、煙を上げていた。
「こ、これは……」
「来たか」
「え?」
何事かと俺の顔を見る姉さん。
直後、隕石から黒いものが滲み出て、反応する間もなく俺と姉さんを包み込んだ。
次の瞬間、世界が反転した。
それまでいた食堂の見た目はそのまま、色合いが通常あり得ない色に変わってしまった。
白が黒に、赤が緑に。
色が全て、反対のものになってしまった不思議な光景。
「こ、これはどうしたのですか?」
「……」
無言で姉さんをかばいつつ、剣の柄に手をかける。
「……そこっ!」
踏み込み一閃。
何もなかった空間が切り裂かれて、そこから何者かが現われた。
「――っ!」
背中で姉さんが息を飲んだ、気持ちはわかる。
現われたヤツは頭と胴体と手足があって、ぱっと見人間っぽく見えるが、全身から滲み出る空気は異形そのものだ。
直視に耐えがたい程の邪悪さを孕んでいる。
かつて街道で始末したヤツの数倍は圧迫感が強い。
「くっくっく……よく気づいたな」
「何者だ、お前は」
「これから死ぬ者に教える必要はないだろう。だが誇っていい。お前がことごとく邪魔をしてくれたから、俺までかり出されたんだからな」
「……その口ぶりだと幹部かなんかか?」
「くっくっく、言ったはずだ、これから死ぬ者に教える必要はない、と!」
瞬間、目の前のヤツの姿がブレた。
とっさに剣を構えてガード、目の前に火花が散って金属音が耳鳴りを起こすほど響いた。
「ヘルメス!」
「大丈夫だ!」
姉さんを一喝して止め、ヤツと打ち合う。
何度も鋭く弧の軌道を描いて打ち合ってくるのはヤツの腕、紫色に曳光する鋭い爪だった。
爪もさることながら、その手のひらも金属のように硬い。
火花が出るほどの打ち合いを何度かした後、爪が頬の横をかすめる。
「ほう、今のを避けるか。殺すつもりでやったんだが」
「やらせねえよ、俺が倒れたら次は姉さんだろ?」
「正しい、だが正しさを口にするには力がいるぞ」
嘲笑混じりの言葉に混じって、爪の速度があがって、軌道も一層エグくなった。
打ち合いを続けているが、完全に防戦一方になった。
「ほう? これも耐えるか、しかしじり貧だぞ。そのままでは人間、体力が尽きてしまうぞ」
「……くっ」
「これでとどめだ!」
ヤツは叫んだ後、ここ一番、もっとも鋭くエグい爪を放ってきた。
文字通り必殺の一撃、この一撃で決着をつける腹づもりだ。
俺は打ち合う――振りをして剣を捨てた。
「なにっ!」
初めて驚愕の表情を浮かべた。
そのまま体勢を低くして潜り込んで、指先を揃えた手刀でヤツの胸を貫いた。
『古に棲み、時を育む、とこしえなる不変の存在。わが意に集い不浄を焼き尽くせ! 始原の炎よ!』
「貴様……剣士ではなかったのか」
詠唱が完成し、灼熱の炎がヤツを包む。
反転した世界で、隕石から現われた異形のものは炎上した。
「くっ……俺としたことが……油断した」
「……」
「だが……くっくっく、これで貴様の力の程は分かった。俺程度に苦戦しているようではな」
「……強がりはよせ」
「くっくっく……」
そいつは笑った後、おもむろに自分の目に指をつっこんで、目玉をえぐり出した。
そのまま目玉を天高く掲げると、目玉は炎とは違う、別の何かの力で消えた。
「これで……貴様の力は……くっく、っく……」
最後に不吉な笑い声を残して、ヤツは炎に完全に燃やし尽くされ、跡形もなく消え去った。
世界の色が元に戻り、食堂の外から慌ただしい音が聞こえてきた。
隕石落下の騒ぎを聞きつけて、使用人達が駆けつけようとしているようだ。
「へ、ヘルメス……」
「姉さん、大丈夫か?」
「わ、私は大丈夫です。ヘルメスこそ、大丈夫なのですか、今の私にも分かります、あのものは失敗しましたが、偵察の役割は果たした事になったはずです」
「だろうな」
「どうするのですか、あの口ぶりだともっと強いものが――」
「姉さん、姉さんはさっき、俺が剣を持ち歩くようになったといったな」
「――来る、えっ? ええ、言いましたが」
「隕石がらみでそろそろ目をつけられるのは分かっていた」
俺は地面に落ちている、奇襲のために投げ捨てた剣を拾い上げ、無造作に振った。
電光が走る、その軌道はさっきのヤツのもので、さっきのヤツよりも速かった。
「……え?」
それは姉さんの目からも分かったようだ――まあ分かる様に振ったからな。
「そんなヤツ相手に、手の内を晒すつもりはない」
「えっと……つまり?」
首をかしげて、聞き返す姉さん。
「俺はまだ、本気を出していない」
姉さんは、はっとしてそのままほっとした表情を浮かべたのだった。