05.逃げられない気がした
屋敷を出て、ラフな格好で街を練り歩いた。
ラフと言っても、ただのラフな格好じゃない。
年寄り連中が見たら眉をひそめるような、若いチンピラ的なファッションだ。
これならそこそこ歳のいった年寄りどもがよく思わない、放蕩当主って思ってくれるはずだ。
とはいえ領民にまで嫌われる必要はない、一揆とか反乱とか起きたら目も当てられない。
そのあたりの案配というか、バランスを意識しつつ、そこそこ親しめる放蕩当主を演じる。
適当に歩いていると、ふと、甘い香りが鼻に入ってきた。
立ち止まって香りの元を探ると、結構繁盛してる菓子屋が見つかった。
その店に向かって行く。
「いらっしゃいませー、あっ、ヘルメス様じゃないですか」
俺の顔を知ってる、恰幅のいいおばさんが親しみやすい笑顔を向けて来た。
「何か買っていって下さいよ」
「すんすん……これか、甘い香りは」
「おっ、さすがヘルメス様、お目が高い。これは最近流行りのどら焼きってスイーツだよ」
「どら焼き?」
「大昔の人が作った幻のおかしなんだけどね、粉とあずきを使うって事以外ずっと謎だったのが、最近遺跡でレシピが発見されてね。そこから爆発的に流行りだしたのさ」
「へえ、面白そうだな。とりあえず一個もらうか」
「はい、どうぞ」
おばさんはどら焼きとやらを紙に挟んで、俺に差し出した。
受け取って、一口行ってみると――。
「あまい! うまい!」
「でしょー、これが最近一番人気のお菓子さあ」
「この味なら人気になって当然だ。いくつか包んでくれ」
「はいよ!」
おばさんは紙袋を取り出して、どら焼きを入れた。
美味さは本物だった。
せっかくだし、姉さんに買っていってやろう。
おばさんからどら焼きを受け取って、代金を払って、ぶらぶらするのを再開。
ピンドスの街はやっぱりかなり栄えてる。
ちょっと出歩かないだけで色々と新しいものが出てくる。
面白がって、あっちこっち回ってみた。
「おぅ、てめえ誰の女に手を出したのか分かってんのか?」
ふと、なにやらもめてる現場に遭遇した。
荒々しく怒鳴ってる男の声が二つ、それを取り囲んでる野次馬がたくさん。
野次馬ごしに眺める、どうやら一人の女を巡って二人の男が争ってるみたいだ。
最初は片方が――多分間男の方が押されていたが。
「知らねえよ! こいつ誰とも付き合ってねえって言ったんだよ」
せめられ続けた結果ぷっつんした。
「嘘つくんじゃねえよ」
「知るかよその女に聞け」
「黙れ!」
男がキレて、短刀を抜いた。
それまで「おうおうやれやれ!」ってはやしたててた野次馬たちから悲鳴があがった。
ケンカは見たいが、刃傷沙汰まではご勘弁。
野次馬達の心理が手にとるように分かる。
もう片方の男もキレてるのか、刃物を見ても引き下がらないで、きょろきょろ周りを見回した結果その辺に落ちてる角材を手にとって構えた。
刃物に角材、それでやり合ったら二人ともただじゃすまないぞ。
やれやれ、しょうがないな。
俺はため息つきつつ、軽く屈んで地面から小石を二つ拾った。
野次馬が二人に注目してる事を確認してから、小石を指に引っかけて、デコピンの要領で弾き飛ばした。
飛び出した二つの小石が野次馬の間を縫って、ピンポイントに男二人のあごにヒットした。
ちゃんと手加減はした。
威力は大人の男のパンチ程度だ。
それであごを打ち抜かれた二人はほぼ同時に膝から崩れて、倒れて気絶した。
周りはざわざわしてる。
小石がヒットした後まったく関係ない所に飛んでいくような軌道で飛ばしたから、周りからは二人がいきなりぶっ倒れたように見えるはず。
ざわつくのは当然だ。
二人ともキレてたが、まあ起きた頃には収まってるだろ。
そう思って立ち去ろうとしたのだが。
「……」
きびすを返した瞬間、女の子がじっと俺を見つめている事に気づいた。
五歳だか六歳だかの女の子だ、顔をあげてじっと俺を見つめている。
「どうした?」
「これ……すごい」
女の子はデコピンの真似をした。
そして自分も小石を拾って、引っかけて弾いたが、小石はノロノロと放物線を描いて地面に転がった。
「難しい……」
って、見てたのか今の。
周りはちゃんと確認したつもりだったが、同じくらいの視線の高さしかチェックしてなかった。
こんなちびっ子が見てるなんて思いもしなかった。
これはまずい、口止めしないと。
見られたくないから小石でやったのに、それを見られると逆に「すげえ」ってなってしまう。
それが広まって「やっぱり本気出せばすごかった」ってなるのは避けたい。
俺は少し考えて、しゃがんで目線の高さを合わせて、紙袋をさしだした。
「これあげるから、今見たの黙ってて」
「わあ……どら焼きだ」
「好きなの?」
「うん! すごく美味しい! でもお母さんが虫歯になるからあんまり食べちゃダメだって」
「そうか、じゃあこれ全部あげるから。今見たこと誰にも言わないで」
「うん!」
満面の笑みを浮かべる女の子にどら焼きを渡して、俺はそそくさとその場から立ち去った。
☆
数日後、屋敷の庭でくつろいでいた。
屋敷で飼ってる犬にえさをやりつつ安楽椅子でくつろいで、「怠惰な当主」をやっていた。
そこに姉さんがやってきた。
「はい、ヘルメスに来てましたよ」
姉さんは俺の前に立って、一通の封筒を差し出した。
「何それ」
「噂になっています」
そう話す姉さんは何故かニコニコしていた。
「噂?」
「痴情のもつれを止めたのですよね」
「なんでそれを!」
がたっ! と椅子から起き上がった。
「この手紙の子が言っていました、指をピッピッってやっただけで止めたって」
「結局言いふらしたのかよ!」
「というより不可抗力ですね」
「なんだと?」
「この手紙にこう書いてあります。『どらやき美味しかったです、ありがとう領主のおじちゃん』……と」
「お礼の手紙か?」
「そう。その手紙を出したくて字を学んだり領主の連絡先を聞いたりしたら、周りの大人からどうしてって聞かれます。それで素直に答えた、と」
「くっ……」
「それがなくても、そもそも格好いいものをみて自慢で話す子供を止めるのは無理なのではありませんか」
「オーノー……」
「もう諦めて本気出して世間に示しなさいな」
「やだよ……」
そう言いつつ、がっくりうなだれた。
それ広まるのか、広まるだろうな……。
せめて子供の誇大妄想だって捉えられることを祈るしかないか。
いや。
「……というか」
「というか?」
「そもそもおじちゃんでもねえ……」
「いいじゃない、本気出したら格好いいおじちゃんで」
「……俺おじちゃんなら姉さんはおばちゃんよ?」
「そーい」
姉さんが豪快なフォームで手紙を放り投げた。
封筒が円盤のようにぐるぐる回って飛んでいく――が。
「バウ!」
屋敷で飼っている犬が本能で追っかけていって、空中でキャッチして、「おじちゃんありがとう」をくわえて戻ってきたのだった。