50.女の為に本気は出さない
書斎の中、目の前にあるガラスのコップに入った水を眺めていた。
屋敷で使っている、どうってことの無い生活用水だ。
この中にもミスリルが含まれていると分かった。
分量はといえば、25メートル程度のプール一杯にはって、その中から砂粒一粒取り出す程度だ。
要は「あるにはあるがめちゃくちゃ少ない」ってことだ。
今まで気づかなくて当たり前、ハルスの湖で水の中にもミスリルが存在しうると気づいてから注意深く見て、ようやく分かったレベル。
「って、ことは」
当たり前の生活用水にもこの微量とは言え存在しているのなら、世界中のあらゆる水の中にミスリルが入っていると言っていい。
後は取り出す方法と、コストだけだ。
取り出す具体的な方法はまだ考えつかないが、雨が降る度にとか、海に行けばとか。
まとまった量がとれるはずだ。
水の中にある、ってのはそういうことだ。
だが、考えない。
これ以上は考えない。
面倒臭いからだ。
これ以上あれこれ考えて、「ヘルメス法」が強力な物になっていくのは本気で避けたい。
だったら何もしなければいい。
うっかり発見しちゃってそれを姉さんが奏上したのは仕方ないけど、この先を誰かが研究してくれたらそのうち俺の事を忘れてくれるだろう。
と言うことで、この話はおしまい――
コンコン。
「誰だ?」
「私です、弟父様」
姉さんだった。
どうぞっていうと、彼女はしずしずと入ってきた。
「姉さんがその呼び方をしてくるのは悪い予感しかし無いんだが」
「そんな事はないですよ。弟父様にお客様です」
「客?」
「ゴウ・アーモンドという商人です」
「商人? 売り込みか?」
「アーモンドと言えば、我が国のミスリル鉱山の全てを押さえている大商人ですね」
「むっ……」
眉がびくっ、と動いた。
ミスリル、今一番ききたくない、面倒臭い言葉だ。
しかも今聞いた話がこれまた面倒臭い。
ミスリル鉱山の独占。
そして新しいミスリルの可能性を提示した俺(真犯人姉さんだが)。
俺が知ってる限り人生最悪の組み合わせ。
童貞と処女同士の初体験くらい最悪の組み合わせだ。
「真顔になってないで、どのみち会わないと話が終わらないですよ」
「はあ……」
しょうがないな。
☆
応接間にやってくると、中で立ったまま待ってる男がいた。
歳は50から60くらいって所か。
脂ぎったいやなオヤジ、ってのが第一印象。
高価な服とかものすごい宝石の指輪をつけているが、それ以上に本人のネチっこさのイメージが強い。
あまり深く関わり合いたくはない相手だ。
その男は俺を見て、笑顔で頭を下げてきた。
「お初にお目にかかります、子爵様。ゴン・アーモンドと申します」
ニチャア……って擬音が見えそうな笑み。
笑顔までねちっこくて、今すぐたたきだしたい位だ。
適当にあしらって、向かいのソファーに座る。
そいつも俺に少し遅れて座った。
「俺になんか用か?」
「この度、子爵様におかれましては――」
「前置きとかいいから」
くどくど長く、まわりくどくなりそうな台詞を遮った。
面倒臭いのもそうだが、あまり長く付き合いたくない相手。
ああもう、後で口直しにオルティアの所に遊びにいくか。
「せっかちですな子爵様は。よろしい、時は金なりと申しますからな」
「……」
これでもまだまわりくどかった、が次でそろそろ本題なので我慢した。
「ヘルメス法」
「むっ」
「これを取り下げていただきたい」
なんでだ? って質問は余計だったからのど元まで来たのをぐっと呑み込んだ。
ミスリルに関する新発見と、旧来のミスリル鉱山を独占している商人。
まあ、当たり前の流れか。
「もちろんただとは申しませぬ。その方法、二度と奏上しないと約束していただければ、金貨50万枚をお支払いいたします」
「気前がいいな」
「子爵様に対する感謝の気持ちの表れ、と思っていただければ」
なるほどなあ。
俺が商売の邪魔をしなければ金貨50万枚くれるって事か。
どうしようか、飛びつくか。
目先の金貨五十万枚、これに飛びついた方が俺が目指す放蕩当主としてはいいのかもしれない。
こんなにあっさり出せるって事は、普通にやってけばそれ以上の利益を得られる可能性が高いと言うことでもある。
独占を恐れる商人の本気は何よりもの保証だ。
「……」
いや、ここは乗っからない方がいい。
今までの失敗を振り返ると、「放蕩当主」目当てにした決断はことごとく裏目に出ている。
例えその場での判断がどれだけ正しかろうと、裏目に出る。
今回もきっとそうなるだろう、だから乗らない。
「悪いが」
「なんと! これは失礼いたしました。世紀の発見にこれっぽちと言うことはありませんな、60では、いかがでしょう」
笑顔がひそめ、目に真剣味が増してきた。
ここから商人との駆け引きになる。
そして――
『あのゴン・アーモンドからこれだけの利益を引き出せるなんて! すごい!!』
空耳が聞こえてきた。
なんというか、今までの経験だと間違いなくこうなる。
ますます応じる訳にはいかなかった。
「悪いが引っ込めるつもりはない、いくらつまれてもな」
「ではひゃ――」
「金はいらん」
ぴしゃりと遮った。
なんかやばそうな数字が聞こえた気がするけど忘れることにする。
俺に遮られたそいつの顔から表情が消え、キレるのか――と思いきや。
「ふっ、頑固なのですな」
逆に笑った。
さっき以上にかんに障る笑い方だ。
何だこいつは――って思ってると。
「この手はあまり使いたくなかったのだがな」
語気も一変して、そいつはある物を取り出して、テーブルの上に放り出す。
レースと刺繍であしらった、女物のハンカチだ。
なんだ? ――って思ったらハンカチから香ってきた。
よく知っている香り――オルティアが愛用している香水の香りだ。
「……何のつもりだ」
「入れ込んでいる女らしいな」
「彼女をどうした」
「人気娼婦だという話らしいな。数をこなすだけの商売をしたことはないのだろう」
にちゃあ……と、最初に感じた気持ち悪い笑顔が復活した。
まわりくどい言い方をしているが、ようはオルティアを捕まえてて、俺の返事次第で複数の――いや大勢の男がオルティアによってたかって乱暴するって意味だ。
ゲスが。
「このガラス玉を割れば命令が下る」
そいつは小さなガラス玉を取り出した。
魔力を感じる。簡単な合図を送れることで、軍とか戦争とかで重用されてるものだ。
そいつは、ガラス玉をつぶすそぶりを見せる。
「どうだ? 答えるのなら早いほうがいい、俺が手を滑らせる可能性もまったく無いわけじゃ――」
手が動いた。
揃えた人差し指と中指を振り抜くと同時に、男の指が二本飛んで、ガラス玉が宙に浮いた。
割らせる訳にはいかないので、ガラス玉だけサッと回収。
「――は?」
俺がガラス玉を持ってる事にきょとんとなって、玉と、自分の手を交互に見比べる男。
斬撃の鋭さが一定以上を超えると、綺麗に斬りすぎた傷口から血が出るのが遅れることがよくある。
今回もそうだ。
たっぷり三秒たってから、傷口が思い出したかのように血を吹いた。
「ぎゃあああああ!」
「とっとと失せろ」
「こ、こんなことしてただですむと――」
悪態をつき、恐喝しようとするそいつを蹴っ飛ばした。
ソファーから飛び上がり、ドアを突き破って廊下にでた。
悲鳴と物音、二人が合わさって、廊下にメイドやら使用人やらが集まって来た。
俺も外にでた。
異常な状況だが、やられてるのが屋敷の主じゃなくて相手だから、誰も割って入ったり何かをしたりということはなかった。
野次馬の中にミデアがいたので。
「ミデア」
「はい! 何ですか師匠」
「こいつを屋敷から叩き出せ」
「わかりました!」
ミデアに任せた後、俺は屋敷から飛び出した。
☆
ピンドスの郊外、街道から離れた所にあるボロ家。
ざっと二十人はいる荒くれ者を全員ぶっ倒して、中に入る。
「なっ、てめえ何もん――」
ボロ家の中に最後の一人、多分見張り役がいたが、そいつがイキリ出すよりも早くぶっ倒した。
奥にはオルティアがいた。
手足を縛られて、猿ぐつわを噛ませられている。
近づき、ロープと猿ぐつわを引きちぎった。
「助けてくれてありがとう」
「すまない、俺のせいだ」
「大丈夫」
オルティアはあっけらかんと笑っていた。
「大丈夫?」
「こいつらがぺらぺら喋ってたからね。ヘルメスちゃんが絡んでるって分かってたから、助けに来るって分かってた」
「そうか」
「だから全然心配してなかったよ」
いつもの様に、屈託のない笑顔で話すオルティア。
が、手が震えていた。
いや手だけじゃない。
顔こそ笑っているが、全身が小刻みに震えていた。
怖くないはずなんてない。
必死に強がって、いつも通りに振る舞っているだけだ。
俺は彼女を抱き寄せた。
いつもより若干強めに抱いて、俺の存在を伝えて、震えを止めてやる。
「……ありがとう」
「お礼ならもうもらってる」
「それもそっか」
「とりあえず送る」
「うん」
震えが止まって、気持ち、いつもよりしっとり体を寄せてくるオルティア。
そんな彼女の膝裏に腕を回して、そっと抱き上げる。
そのまま街道を疾走。
来た道を引き返して、ピンドスの町に戻った。
道中、俺も彼女も何も話さなかった。
オルティアは借りてきた猫のように俺に体を寄せる。
いつもと違うオルティア。
何事もなければこんなオルティアも可愛くていいんだが、今はそれの可愛さの分、ゴン・アーモンドに対する怒りが募るばかりだ。
その怒りを抑えつつ、町に戻って、娼館にやってくる。
オルティアを抱いたまま店に入ろうとすると。
「兄貴じゃないか」
ちょうど出てくる、キュロスとばったり鉢合わせになった。
「おっ、兄貴も楽しみですか。いやあ、兄貴に紹介してもらったここ、最高ですよ。女の子達は可愛いし、サービスいいし。最中はまるで恋人気分で、俺らみんなここの常連になってしまって――」
「いいところであった。力をかせキュロス」
真顔で話すと、それまでデレデレしてた夢幻団の副団長が、一変してキリッとした顔つきになった。
「何をすればいいんです?」
「女に乱暴するって脅しで言うことを聞かせようとする悪徳商人を懲らしめたい」
「なるほど、それはやらないとだな」
キュロスはにやりと口角を持ち上げた。
見ていろゴン・アーモンド。
お前が持ってるものを全部奪ってやる。
俺は、決意を固め――
「あのね、ヘルメスちゃん」
腕の中で、オルティアがしっとりと、ささやきかけるように話しかけてきた。
「どうした」
「そのヘルメスちゃん、ちょっと怖いかも」
「……そうか」
なるほど、怖がらせたか。
まったく、俺らしくない。
「あたしが言うのもなんだけど、っていうかあたしだから言うんだけど」
屈託ない笑顔のオルティア。
いつしか、彼女の身体から完全に震えが消さっていた。
「あんな小物にヘルメスちゃんがそんなに真剣になることないと思うよ」
「そうだな、そうする」
頷く俺。
オルティアの言うとおりだ。
あんな小物、本気出さないでちょちょいとひねるべきだ。