49.ヘルメス法
ハルスの湖。
オープン構造の馬車の中から、その湖を眺めていた。
湖の周りに小さな、村レベルの建物の集合体がある。
そのさらに周りに成長していくかのように建築している建物の数々。
「いよいよ始めましたね」
俺の隣で、姉さんがつぶやくように言った。
「ああ、塩の精錬が出来るヤツは少ないから、徐々にって事でやっていくけどな」
「やはり難しいのですか、魔法による塩の抽出」
「……今まで誰も考えたことがないっていうのがおかしいんだよ」
愚痴る様に言って、姉さんの質問に対する返事にした。
そんな難しい発想でもないだろうに。
「何かの専門家と、そうではない素人の着眼点はそもそも違うというじゃないですか」
「にしたってなあ」
ため息をつく。
この一件で、また俺の名声が上がった。
まだ出来る魔法使い――職人は少ないが、魔法による塩の精錬は塩のみを抽出するから、ものすごく純度の高い上質な塩になる。
通常の煮たり干したりするやり方では到底作れないような純度だという。
「あ、そうそう。ここの塩を両殿下に送りました」
「……待て姉さん、なんかすごく悪い予感がするんだが」
頭痛がしそうになって、俺はこめかみを押さえた。
「まず両殿下って?」
「ショウ様と、リナ様」
「やっぱりか!」
ショウ・ザ・アイギナ、そしてリナ・ミ・アイギナ。
アイギナ王国の王族で、二人とも俺の事を気に入っている。
「な、なんて言って送ったんだ?」
「大丈夫ですよ」
姉さんはにこりと笑った。
「あの塩の純度では、どのみち国王陛下に呈上しなければ不敬にあたるというものです」
「むっ……」
「ヘルメスも分かっているのでしょう? そのやり方での純度は他の追随を許さないとてつもない物になるのだと」
「……やらなきゃ良かった」
うっかりやってしまったが為に面倒臭い事になったじゃないか。
「それで、こうなったの」
「え?」
こうなったの、という姉さんの方を向いた。
姉さんは一通の封筒を持っていた。
「王子殿下からの返事よ」
「読むのが怖い」
「有り体に言えば国王陛下はものすごく気に入ったから、褒美に名前をつける事を許してくれた」
「名前?」
背中に汗がつーと流れた。
ものすごい悪い予感がする。
「カノー塩か、ヘルメス塩か。どっちでもいいから選んでという意味ですよ」
「せめてカノー塩で!」
「ヘルメスで返事しておきましたよ」
「おっふぅ!」
思いっきりうなだれた。
「これでもヘルメスの事を考えた決断なのですけれど」
「どこが!?」
「これ以上、スライムロードの上に十字勲章を重ねるのはヘルメスも快くは思わないのでしょう?」
「むっ」
うなだれていたが、顔をあげて姉さんを見た。
俺はスライムロードを討伐した。
それはそれなりの功績だが、それなりでしかない。
一方でそれの理由に、アイギナ王国最上級であるクシフォス十字勲章を二つももらった。
ショウとリナ、二人が俺に感謝を示すために、それをいい訳にくれたからだ。
一つでも多いのに、二つだ。
今後何かがあれば更にその上に乗っけられるかもしれない。
スライムロード討伐程度の事にどんどん上積みをされては余計に怪しくて目立つ。
「両殿下も傑物です、今後はこの上に乗っかってくるでしょう。何しろ陛下が気に入った程のもの、品質――いえそもそものやり方が革命的ですからね」
「……そうか」
俺は馬車を飛び降りて、湖の方に向かって歩いて行った。
それを言われると、たしかに姉さんの選択の方が正しいのかもしれない。
……気をつけるつもりだが、これからも俺は何かとやらかすかもしれない。
そういう時の防波堤として、この塩はいいかもしれない。
食べ物で、国王が気に入った。
歴史上、このパターンで過剰に表彰したケースは結構ある。
「……ありがとう、姉さん」
「どういたしまして」
微笑む姉さんと二人で湖の畔を歩いた。
姉さんは足を止めて、屈んで手のひらで水を掬った。
「ここからあの上質な塩を作り出せる方法を見つけたヘルメスのすごさに、少し後押しをしただけですけどね」
「出来れば今後はやる前に一言言ってくれると嬉しい」
俺もしゃがみ込んで、水を手のひらで掬った。
姉さんの前で、他に誰もいないから、手慰みなかんじで塩を抜き出そうとした。
――む?
これは、この感触は。
ナッソスが送ってきた桶の水の中にはなかったけど、こうして湖そのものに直に触れていると、感じる。
あるのが、分かる。
「何かあったのですかヘルメス」
「いや、なにも」
俺は即答した、ばれないように、普通を装って。
が。
「オルティアという子から聞きました。ヘルメスは嘘をつく時鼻がヒクヒクするのですね」
「その手には引っかからないぞ姉さん」
前に引っかかった手だ。
そんな手、二度と引っかかるもんだ。
「ええ、あれはカマカケでした。実際にオルティアと討論した結果、ちゃんとヘルメスが嘘をついてる時のみわけかたを見つけました」
「だから引っかからないって――」
「普段より真顔、本気の顔になるのですね」
「――っ」
ズガーン、と来た。
カマカケとか、嘘とかじゃないって一瞬で分かってしまった。
嘘をつくときと言うか、しらばっくれるときと言うか。
本気で考え込んで隠そうとするのが自分でも分かっている。
「……顔に出てるのか?」
「ええ、キリッとした男前よ」
「嬉しくない」
「嬉しくないのはこっちですよヘルメス」
「え?」
「もう……一番本気なのが本気を隠すのってどういう事ですか」
姉さんは俺の鼻にびっ、と人差し指を突きつけてきた。
返す言葉もない。
「それで、今度は何があったのですか?」
「ああ」
頷き、観念して姉さんに話した。
「この中にミスリルがあるんだ」
「ミスリルって……魔法のアイテムを作ったり、魔力そのものを蓄えておける金属の事?」
「ああ」
「金属なのに水の中に?」
「入ってる。量は塩よりも遥かに少ないから、同じやり方じゃ採算は合わないだろうがな」
そう思ったから、姉さんに話す事にした。
実際に取り出せないのなら言っても大丈夫だからだ。
と、思ったんだが。
「それはすごい発見ですねヘルメス。特定の鉱山にしかないミスリルが水の中にも存在するというのは」
「いくらすごくても――」
「早速探させます、どこかに含有量が多い湖があるはずです」
「……あっ」
やってしまった。
気をつけるとさっき思ったばっかりなのに、またやってしまった。
「姉さん、この事は」
「やり方はヘルメス法、そう名付けて両殿下に上奏しておきます」
「やめてくれー!!」
止めたが、姉さんは止まらなかった。
希少な魔法金属ミスリルに関する新発見は、瞬く間に姉さん経由でショウとリナに伝わってしまったのだった。