44.俺は何もしていないのに
「おっ、ヘルメス様じゃねえか。ちょうどいいところに来てくれた」
「ん?」
夕方、ピンドスの町を適当にぶらついてると、なれなれしいというか親しげというか、そんな感じのしわがれた声が聞こえてきた。
声の方を向くと、見知った老人の姿があった。
古い店構え、店の外までほとんどあふれ出ている感じの本の数々。
このピンドスで本屋を営んでる顔見知り、カシオスのじいさんだ。
「カシオスのじいさん。どうした、ちょうどいい所ってのは」
「んふ、いいもんが手に入ったんだ。ちょっと待ってろ」
じいさんはにやりと口角をゆがめて、店の中に一旦戻っていく。
「ほう……?」
俺も口角がつり上がったのが自分でも分かった。
カシオスのじいさんとは長い付き合いだ。
俺が持ってる写真集の数々、その中の「希少価値」がついている様なものは、ほとんどカシオスのじいさんが仕入れてくれたものだ。
そのじいさんが「いいもんが手に入った」という。
期待値が否応にも上がっていく。
しばらく店先でまってると、じいさんが戻ってきた。
「ほれ。とっくに絶版になってる写真集だ」
「どれどれ。白亜の戦姫……ダメだ名前のところ読めねえ」
かなり古い写真集だからか、タイトルの後半部分がかすれて名前とされるらしきところが読めなかった。
それで首をかしげたが、じいさんは。
「もっとメンダマ引っこ抜いてよく見てみろい」
「引っこ抜いたら見られないだろ……うーん、後半の名字? だけちょっと残ってるか? これは……カノーか。……カノー?」
「おう」
びっくりして顔を上げてじいさんを見る、じいさんは得意げな顔で、上下合わせて三本くらいしか残ってない歯を見せる得意げな笑い顔をした。
「そいつあ、ヘルメス様んとこの初代当主様でい」
「初代!?」
びっくりして、もう一度写真集の表紙を見る。
初代の名前はもちろん知っている、フルネームでだ。
それを知っている状態で改めてみると――確かに、かすれた部分はそう読める。
「ってことはこれ、何百年も前のものじゃないか」
「手に入れるのにくろうしたぜえ?」
「へえ」
いろんなオルティアの写真集を見るときとは違う感情で、初代の写真集をパラパラめくる。
「……強いな」
「はあ?」
「いやなんでもない」
うっかりうっかり。
つい、マジな感想を口にしてしまった。
だって仕方がない、写真集にうつってる初代とされる女剣士は、ものすごく凜々しくて、写真越しでも分かるくらいかなりの剣の使い手だった。
いや……マジで強いぞこれ。
俺が知っている中で、ダントツで最強の剣士じゃないかこれ。
それが端々から滲み出てる。
なんでそれが分かるのかって言うと……この女絶対頑固一徹タイプの性格だと思ったからだ。
写真集なのに、写り映えをまったく気にしてない、ガチの「剣」のポーズをとっているから。
頑固で、融通が利かなくて、とにかく強い。
初代の写真は、それを強力に訴えかけてきた。
「初代のカノー様だって?」
「すげえ、綺麗、惚れそう」
「こういう子がうちに嫁に来てくれたらねえ」
「うぉ!」
のけぞる位びっくりした。
いつの間にか、町の住民が俺の周りに集まってきてて、写真集をのぞき込んでいた。
全員が興味津々で俺の持ってる写真集を見てる。
「じいさんのじいさんの更にじいさんから伝わってきた初代のカノー様のイメージそのままだな」
「よく見たら今の領主様と似てる?」
「本当だ、雰囲気が似てるな」
誰かがそう言ったのをきっかけに、全員の視線が今度は俺に集中してきた。
まじまじと見つめられて、ちょっと居心地がわるい。
まあ、子孫だし、似てるって言われたらそりゃそうだっていうしかないけどさ。
俺は苦笑いを浮かべつつ、さてどうするか――と思ってたその時。
ちょっと離れた所から騒ぎが聞こえてきた。
何事かと思って今度はそっちを見ると。
「げっ」
別の意味でやばい、と思った。
道を歩いてるだけで住民が自ずと道を空けてしまう荒くれ者の見た目をした連中は、あの、夢幻団だった。
別に悪い事をしてるわけではないが、見た目がいかにもな盗賊な感じだったから、住民が勝手に怯えて、道を空けて、遠巻きにひそひそ言ってる。
ちなみに夢幻団はそれをまったく気にも留めてない感じで、普通に道のまん中を歩いてる。
こっちに――向かってくる。
「おっ」
団員の一人が俺を見つけたあと、全員が一斉にこっちに向かってきた。
まずい、このままだとまずい。
どうごまかすのか、って迷っているうち、全員が目の前にやってきた。
その夢幻団に、写真集を見に集まった住民達も怯えだした。
「りょ、領主様。助けてください」
と俺に言ってきた。
ほとんど同じタイミングで団員の一人が口を開いて俺に話しかけようとしたが、住民の言葉を聞いたキュロスが手を上げて、その言葉を遮った。
キュロスは真顔で俺を見つめてから。
「あなたが、この町の領主様で?」
「……ああ」
「……なるほど」
難しい顔をして見つめ合うおれとキュロス。
困惑する夢幻団の他の団員と、怯えている住民達。
まずいな、ここ、どう切り抜けるべきか。
夢幻団の団長になったこと、出来れば隠したままにしておきたい。
ものすごく有名な義賊の集団のボスになった子爵様。
うーん、いいのか悪いのか予想もつかないが、有名になって面倒くささ全開になるのは目に見えてる。
なんとかごまかさないと――って、思っていたら。
「失礼、俺らは夢幻団っていうろくでなしの集まりでして」
「……うん?」
キュロスの台詞にちょっと戸惑った。
これは……もしかして?
「一度、カノー家の子爵様にあってみたいと思ってたんですよ」
初対面だって……一芝居打ってくれてるのか?
そう思った俺、そしてそれは正解だった。
キュロスはさりげなく俺だけに見えるように、目配せをしてくれた。
話を合わせて、そう、言ってくれてるように聞こえた。
「俺にあってどうするんだ?」
「知っての通り、俺たちは盗賊――つまり金持ちから奪う、元手のいらない商売をしてる連中でね」
「しゃれた言い回しだな」
「それで子爵様に一度会ってみたかったんですよ」
「今会えたけど。で?」
「さすが世界最強、いや史上最強の剣士、カノー様の末裔なだけはある」
うん?
カノー様の末裔って――初代の事か?
「何を驚くことがある、カノー様の武名は今なお大陸の語り草となっているのです」
「なるほど」
「平然としていらっしゃるが、その物腰、ただ者ではありませんな。さすがカノー様の末裔と言ったところです」
初代をダシにしつつ、俺を持ち上げるキュロス。
「うん、隠してても分かります。我々では到底かないませんな」
「え?」
「思い上がった我らが間違っておりました。どうか、見逃してくれませんか」
キュロスはそう言い、俺に頭を下げた。
そのキュロスの後ろで、夢幻団の他のメンバーが目配せし合ったり、肘で突っつき合ったりして。
「「「見逃してください!!」」」
と、声を揃えて演技をした。
あの有名な夢幻団のメンバーが揃って頭を下げた事が、周りに衝撃を与えた。
「お、おい。領主様ってそんなに強いのか?」
「分からねえ、でもあの夢幻団が頭下げてるぜ」
「当然じゃとも、初代様の面影を色濃くのこしてるいい男じゃからのう」
がやがやする声、なんか勝手に納得している。
いや、キュロスに誘導されてる。
「えっと」
「見逃してください。カノー様の領内では悪いことは何もしません」
「「「見逃してくください」」」
全員が声を揃えて、一旦頭をあげて、また頭を下げた。
周りが、俺を見つめている。
目に期待の色がある。
それは逆らえないタイプの、期待が籠もった民意だ。
「わ、わかった。普通にしてたら何もしない」
「ありがとうございます」
「「「ありがとうございます!!!」」」
三度、声を揃える夢幻団。
上げた顔はどこかニヤニヤしているように見えた。
それはまだいい、それよりもっとまずいのは。
「すごいな、何もしないで夢幻団を抑えたぞ」
「うちの領主様ってこんなすごい男だったのか?」
という、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
いや、なにもしてないことはないんだ。
確かにこの場ではなにもしてないけど! 本当をいえば何もしてなくはないけど!
「むむむ……」
夢幻団との関係を今更言うわけにも行かなくて。
俺は、公衆の面前で。
何もしないで大陸最凶の義賊集団をねじ伏せた事になってしまった。
そしてこの事は――このタイプのことは。
尾びれ背びれがついて、大きな噂になっていくのだった。