37.二人だけの秘密
ピンドス郊外、街道からも外れた、竹林が生い茂っている所。
そこにやってきた俺は、林の中から微かに聞こえてくる音に足を止めた。
琴、の音色だ。
風に乗って聞こえてくる音色。
俺は足を止めて、林の外で耳を澄ませた。
すると、琴の音色にあわせて、女性が歌を歌っているのが分かった。
「娼婦か」
オルティアとの長い付き合いで、これが娼婦達が得意とするタイプの曲だとすぐに分かった。
しっとりとした旋律ながらも、扇情的な歌詞と艶やかな歌い方。
まあ一言で言えば男を「誘う」ための歌だ。
これが流れてるって事は、俺の目的地である竹林の中では娼婦が客を取っているって事か? いやそれはおかしくないか?
だって、この中にいるのはヘスティアのはずだ。
耳長族の娼婦ヘスティア。
自分を身請けして、ピンドスの近郊に引っ越してきた、とオルティアに話を聞いて訪ねてきた。
そのヘスティアが客を取っているのはおかしい――と思ったがすぐに理由がわかった。
『それでは男は動きません』
ヘスティアの声が聞こえてきた。
風に吹かれる笹の音よりも小さな声、普通ならば聞こえない声でも、耳を澄ませている俺はちゃんと聞きとれる。
その声は色事とは違う。
真剣で、威厳すら感じさせるものだ。
『心のパンツをお脱ぎなさい。心をさらけ出すのです。殿方が演奏中にたまらず押し倒してくるように』
『は、はい!』
別の若い女性の声が聞こえた。
何となく察した。
ヘスティアは演奏を指導しているようだ。
娼婦の必須スキルを、後輩に指導してるようだ。
なら、邪魔はよそう。ここで待ってよう。
待つのは得意だ。
のんびりしてればいいだけだし、こうやって待ってても変な評価の上がり方はしない。
良くて気が長いとか、その程度だ。
俺はまった。
風が吹いて、笹が落ちてきた。
それを何となくキャッチして、ぐるぐる回して遊ぶ。
笹が持つ水分を抜いて枯らしてしまおう――なんてイタズラ心が一瞬首をもたげたが、それをやると何か間違って評価上がってしまいかねないのでやめといた。
普通に笹の葉をぐるぐるして時間をつぶしてると、演奏が終わって、馬車が一台竹林の中から出てきた。
老人の御者が操縦してる馬車、中には若い女性の息づかいが一人分。
授業が終わって立ち去るようだ。
さて、次は俺の番だな。
俺は竹林の中に入った。
道なりに進むと、竹林の中に雅な庵があった。
まるで風流な詩人の隠れ家、といった趣の庵だ。
小さな庵だから、縁側にいるヘスティアとすぐに目があった。
「よう」
手をシュタッと上げて、微笑みかける。
俺の姿を見たヘスティアがびっくりした。
「な、何をしに来たのですか?」
やがて顔を赤くして、しどろもどろに、って感じで聞いてきた。
「うん? ちょっと挨拶。オルティアからこっちに来たって聞いたんで」
「そ、そう」
何故かやっぱりしどろもどろになるヘスティア。
なんだ? 前とちょっと反応が違うぞ?
なんというか……よそよそしい、いや、嫌われてる?
それならそれでいいんだが、なんでだ?
「あ、挨拶ならこれですんだのよね」
「ああ、それはそうだ」
「他には?」
「他には? 無いけど」
「ふ、ふん。領主のくせにそんな事でいいの? 何もなくても領地をさらに発展する為に何が出来るのか? を考えるのが勤めなのではないですか?」
「それはそうだが……」
なんだ? やっぱりヘスティアおかしいぞ。
考えても分からないから、直で聞くことにした。
「俺が来るのが嫌なのか?」
「そ――」
驚き、そして戸惑い、ためらい。
様々な感情がヘスティアの顔に去来した後。
彼女は、赤いまま顔を背けて。
「私はもう娼婦ではないのです、訪ねてこられても困ります!」
「ああ、なるほど」
言われてみればそうか。
もう娼婦じゃない、つまり俺も客じゃない。
だからいい顔をする必要もない。
なるほどな。
なるほど……なんだが。
「まだ何かあるっていうの?」
「……いや」
やっぱり、ヘスティアの「これ」は気になるな。
☆
結局最後ツンケンドンだったヘスティアに別れを告げて、街の屋敷に戻ってきた。
ヘスティアの様子に首をかしげつつ屋敷の廊下を歩いていると。
「あら、どうしたのですかヘルメス」
姉さんと遭遇した。
「母親にエロ本を机の上に出された男の子のような顔をしてますよ」
「どんな顔なのかは知らないけど絶対に違う」
姉さんに突っ込みつつ、彼女を見た。
姉さんなら理由分かるのだろうか。
やっぱり気にはなるので、俺は姉さんに聞いてみることにした。
ヘスティアに会いに行ったことと、彼女の不思議な行動を全部姉さんに話した。
前に力を貸した時は好感度それなりにあったのにな、というのも伝えた。
姉さんは黙って話を最後まで聞いて。
「なるほど、そういうことですか」
「え? 分かるのか?」
「ええ。そうですね……ヘルメスは子供のころ、女の子にわざと毛虫をくっつけたことはありますか?」
「なんの遊びそれ?」
「あるいは、木の枝にウ○コをつけて女の子を怖がらせたりは」
「姉さん○ンコとか言わないでくれ」
「わかりやすさを優先しました」
そりゃわかりやすいけどさ……と苦笑いしつつ。
「いやしたことない」
「なら分からないのも仕方ありませんね」
「……つまり、俺は毛虫をくっつけたりウン○を見せられてる、と」
「理由は同じですね」
「……」
理由は同じか。
姉さんは聡い。
かしこさには二種類がある。
インテリジェンスと、ウィズダムだ。
前者は極めれば学者になって、後者は賢者の道に続いてる。
姉さんのかしこさは後者だ。
ものすごく賢くて、物事の本質をすぐに見抜ける、と俺は思っている。
その姉さんが「理由は同じ」というのならそうなんだろう。
だが、そうなるとその「理由」ってなんだ?
いまいち分からんぞ――とそんな事を思っていると。
「当主様」
メイドが背後から声を掛けてきた。
「ん、どうした」
「当主様にお客様です。ヘスティアさん、と名乗ってますが」
「ヘスティア? なんでここに?」
俺は不思議に思いつつも、とりあえずあうことにした。
姉さんに軽くお礼を言って、メイドに案内してもらって、玄関に戻ってきた。
そこにヘスティアがいた。
遠目からでも分かる。
背筋がピン、と一本芯通った上品なたたずまいをする女だ。
王族――いや、王女か女王と言われても俺は信じる。
そんなヘスティアはしかし、現われた俺を見た途端。
「な、何をしに来たのですかあなたは」
と、訳の分からない事を口走ってあわあわしだした。
「なにをって、ここは俺の家だし来たのヘスティアなんだが」
「そ、それもそうね。すー……はー……」
ヘスティアは何故か深呼吸しだした。
それをやって落ち着いたのか、今度は「キッ」と挑むような目で俺を見つめた。
「こ、これ」
「うん? これは笹の葉?」
「落とし物」
「落とし物? ……ああ、俺が持ってたあれか」
確かにもってはいた。
ヘスティアの授業が終わるのを待ってる間ずっとぐるぐるしてもてあそんでた笹の葉だ。
それをヘスティアの所に落としてきたって訳か。
「いや、こんなの落とし物って言うか、ただの――」
「そーい!」
「ぐわっ!」
いきなり背中にものすごい衝撃が走った。
背中の痛む箇所をさすりながら振り向く、そこには豪快なフォームで投げたあとの姉さんの姿があった。
床を見る、姉さんのハイヒールが転がっていた。
「ちょっと姉さん、なんで――」
「こっち来なさいヘルメス」
姉さんはずんずんと来て、俺を掴んでヘスティアから距離を取って、ひそひそ話の姿勢になった。
「あの人がさっきいってた人なのですね」
「それはそうだが。それよりも姉さん――」
「なるほど、確かにそうですね」
「姉さん?」
「……」
「おーい、戻ってこい姉さん」
「……ヘルメス、一つ秘密を教えてあげるのです」
「秘密?」
「ええ、何でもいいです。『君にだけ教えてあげる』なのを一つ」
「なんでそんな事を」
「いいからするのです」
姉さんはそう言って、どん! と俺の背中を押してヘスティアの前に突き出した。
「な、なによ」
「えっと、いやその……」
秘密を教えろと言ってもなあ。
何を教えればいいのか。
ふと、受け取ったばかりの笹の葉が目に入った。
待ってる時に枯らそうかとイタズラ心が芽生えた笹の葉。
そして、ヘスティア。
彼女の元職業と、同僚のオルティアを思い出した。
少し考えて、いけると思った。
秘密って事もあって、俺は声を押しころした。
「これを見てくれヘスティア」
「な、なに?」
「この笹の葉を……こう」
笹の葉を両手で押した。
拝むような合掌の中に笹の葉を置いて、力を込める。
枯らす――の更にちょっと先。
圧力と熱をグングン加える。
初めてやるから加減が難しいが、大体全力の一割くらいの力でいけるはずだ。
それをしばらくやって、手を開ける。
するとそこに――。
「これは……ダイヤモンド?」
「そう、ダイヤだ」
俺の手のひらにあるのは、笹の葉の形をそのままにしたダイヤだった。
「こ、これは?」
「内緒だぞ? 木とか布とか、ある種の素材からダイヤを作れるんだ俺は。熱と圧力を思いっきり加えればな」
ヘスティアはダイヤの葉をうけとって、まじまじと見た。
「綺麗……」
「気に入ったのならあげる」
「え?」
「そのかわりこれは――二人だけの秘密だ」
姉さんに言われた言葉をちょっと換える。
君だけに教えてあげる、二人だけの秘密。
本質は同じであろう言葉をヘスティアにかける。
「……うん」
すると、ヘスティアは頬を赤らめてうつむき、ダイヤの葉を大事そうに抱えた。
おお、さすが姉さん、本当に変なヘスティアがいなくなったぞ。
……あれ?
へんなヘスティアはいなくなったけど。
このヘスティアの赤ら顔、もしかして――
「姉さん、はかったのか?」
「なんのことかしら。解決はしたじゃありませんか」
それはそうだけど……。
姉さんのすっとぼけ方から、俺ははめられたのだと確信した。