36.うっかり英雄に
「一つ、忠告しておこうと思って」
次の日、屋敷に訪ねてきたリナが真顔で切り出した。
応接間で向き合う彼女はかなり真剣な顔だ。
ショウが満足して、サコスがものすごい悔しそうな顔で。
それぞれカノー家の領地から立ち去った後、一人残って俺の所を訪ねてきたリナ。
そんなリナが真剣な顔をしていたのだから、俺はちょっとやな予感がした。
「忠告?」
また何かに巻き込まれるんじゃないかって警戒しつつ、リナに聞き返す。
「今度は本当にただの忠告」
そう前置きして、リナは続けた。
「そなたはサコスの要求をはねのけた、でも無傷でやり過ごした。それに興味を持った人が出てきた」
「興味を?」
「ネロ・カスレフティス。知ってる?」
「いや」
初めて聞く名前だ。
俺は素直に知らないと答えた。
「野の賢者というべきなのだろうな、人物眼にかけては世界一と言っていい人だ」
「人物眼……」
「サコスはあれで有名、もちろん悪い意味でね。そのサコスを軽くいなしたカノー家の新当主に興味をもった。という情報が今朝入ってきた」
「えー……」
「間違いなくあなたに会いに来る。どういう人物なのかを一目見るために。そなたはまだ、実力を知られたくないのでしょう」
そう言って、ため息をつくリナ。
いやだけどしょうがない、って顔だ。
「さっさとばらしてしまえ、とは思うけど、そなたがそうしたいのなら是非もない。せいぜい対策を考えておくことね」
そう言い残して、リナは屋敷から立ち去った。
人物眼をもつ野の賢者、ネロ。
またやっかいな事になりそうだな……。
☆
やっかいは準備の時間も与えてくれなかった。
その日の午後、書斎でオルティア大全集を見ていたら、メイドがやってきた。
「お客様です、ご主人様」
「客?」
「ネロ・カスレフティスと名乗っております。六十歳くらいの方です」
「……早いよ」
俺は頭を抱えたくなった。
リナに忠告を受けたのは今朝のことだ。
いや、そもそもサコスをへこませたのは昨日の事じゃないか。
何でそんなに早く来たんだよ、どんだけ神速な人なんだよ。
「いかがなさいますか?」
「……」
俺は悩んだ。
まず会うか会わないかだ。
ネロの事なんて知らないって振りをして、子爵の屋敷にアポも無しにやってきたから会わない、なんて選択肢も充分にある。
「賢者様ですので、ちゃんとお通しして他のメイドがもてなしてます」
「なんで知ってんの?」
「リナ様に教えていただきました。こういう人がそのうち来るから、粗相の無いようにって」
「あいつ!!」
やられた、って思った。
いや別に何もやられてはないが。
リナの行動は当たり前の事だけ。
俺に忠告したり、メイドに粗相がないように忠告したり。
行動としちゃ何も文句はつけられないものばかり。
だが、そのせいで会わないって選択肢はなくなった。
知ってるのに会わない(とメイド達は理解する状況)のは盛大に裏目に出る可能性が高い。
というか、当主になってからこっち、裏目るパターンにそういうのが多い気がする。
仕方ない……。
「……分かった会う。案内しろ」
「分かりました」
メイドと一緒に書斎を出て、その後についていって廊下を歩き出した。
気が重い、何も準備する時間が無かった。
ごまかす方法はないのか?
俺は考えた。
ネロが来たのは、俺がサコスの賄賂をはねのけたからだ。
それをやる人間は二つの可能性がある。
くそ真面目か、世間知らずの馬鹿か。
そのどっちかだ。
どっちって事にしようかと悩んだ。
必要以上に馬鹿を演じるとかえって裏目に出る。
くそ真面目なら、なくはないし賛否両論になりそうだ。
よし、くそ真面目で行こう。
そう思っている内に、応接間の前にやってきた。
ああ、そうだこれもつけておこう。
俺はポケットから指輪を取り出して、それをつけた。
前に使った力を抑える指輪だ。
くそ真面目を演じるのなら力は抑えて性格だけ見てもらおう。
そう思って力を抑えてから部屋に入った。
中に一人の老人がいた。
白い髪に白い髭、ゆったりとしたローブに座ったままでも両手をおいている杖。
風格はある、いかにも賢者って感じの老人だ。
「ヘルメス・カノーだ。あんたが賢者ネロだな」
「私の事を知ってるのですか」
聞き返してくるネロ。そんな彼に近づき、むかいに座る。
ここはごまかさない、リナが「教えてくれた」事になんか罠を張って無いとも限らない。
知ってることは隠さない事にした。
「リナ様から聞いた」
「なるほど。あのお方の地獄耳も相変わらずですな」
「地獄耳か」
それがネロのリナに対する人物評か。
俺にはどうなるのかな。
「で、俺に何の用だ?」
「それはもうすみましたな」
「なに?」
「久方に噂以上の人物を見られた。このご時世、名ばかりのたいしたことの無いものが多くて辟易していたのですよ」
「待て、俺の何が噂以上――」
「もし、力を抑えるのならば」
「――えっ?」
言葉に詰まった。
え、なんでそれを?
「もっと最初から、あるいは普段からそうなさっていただかなくては。ドアの向こうで強い人間の気配が急に消えてしまえば、鈍い私でも気づきますよ」
「……あっ」
た、確かにそうだ。
こんな近くで強いのがいきなり弱くなったり気配が消えたりしたら何かあるって思うのは当たり前だ。
やべえ、またやっちまった。
フォロー入れないと――って思ったが。
ネロはもう完全に、評価が固まった、そんな顔をした。
「貴族なのにサコスの賄賂攻勢をはねのけられた、そして自分の力をひけらかさない。こういうタイプは、99%の確率で特定の人物になりますな」
「ど、どういうタイプだ?」
「王の器」
げっ、なんかものすごい評価になっちゃったぞ。
まずいまずい何かしなきゃ、いやなにかしても逆効果になる可能性が。
そうだ! それよりも――
「残りのもう1%は?」
その可能性にかけるしかない――のだが。
「英雄」
「どっちもやばいやんけ!」
うっかり凡ミスをした結果、ネロにものすごい評価をつけられてしまったのだった。