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32.スマートな男

 ピンドスの街の、なじみの娼館。

 いつもの店でいつものようにオルティアを指名した俺。


 部屋に入ると、そのオルティアが俺に抱きついた。


「ありがとうねヘルメスちゃん。変なお願いを聞いてくれて」

「本当に変なお願いだよ」


 ヘスティアの件。

 他の娼婦をしばらく囲ってやれなんて、もしかして前代未聞級に変な話なんじゃなかろうか。


「本当にありがとう」

「気にするな」

「そういえば、そのお姉様がなんか自分を身請けする事にしたんだって」

「うん?」


 ヘスティアが自分を身請け?


「ヘルメスちゃんでもわかると思うんだけどさ、娼婦が自分を身請けするのってすっごい珍しい話なんだよね。お金の事もそうなんだけど、基本娼婦って店のジジババには立場が弱いからさ、お金だけあってもダメな事多いのね」

「ふむ」

「売れっ子ならなおさら。でもお姉様はそれをやってる、引き留められてるけど意思はすっごい硬いらしい」

「……」

「なにがそこまでお姉様を駆り立てるんだろう――痛い痛い痛い!」


 まるで他人ごとのように言うオルティアに、両拳でこめかみをグリグリ――ウメボシを喰らわせてやった。

 オルティアは顔をしかめ、文字通りウメボシを喰った様な顔になる。


「何するのヘルメスちゃん!」

「八つ当たり」


 ドーン! って擬音が聞こえる位の勢いで言い放つ。


「八つ当たりって! ひどい!」

「お前のせいでひどい目にあった――まだ会ってないけど会うかもしれないんだぞ」

「何それ! ふん、いいもん! お姉様身請けした後はこの街に住むって言ってるから慰めてもらうから――痛い痛い痛い!」


 更にグリグリした。

 この街――ピンドスに住むのか。


 もう確定じゃないか。

 はあ、しょうがないなもう。


 俺は諦めて、オルティアを抱きしめたまま、座り込んだ。

 全ての元凶のオルティアだが、しゃくなことにこういう時女の子の柔らかさとぬくもりは癒やしの効果がある。

 俺は彼女をすっぽり体の内側に収まるように抱きしめた。


「ねえねえ、話変わるけどさ」

「ん?」

「ヘルメスちゃんって結婚しないの?」

「結婚? なんだ藪から棒に」

「うちの子、みんな噂してるよ。ヘルメスちゃんなんで結婚しないのかって。娼館に通い詰めて結婚しないって、よっぽどモテない悲しい男の人なのかなって」

「馬鹿言え、俺が本気だしたらすごいモテるぞ」

「またまたー――って痛い痛い痛い! 今のに怒る要素がそこにあったの!?」


 三度目のグリグリ、オルティアは涙目で抗議してきた。


「いや、お前のせいでモテたの思い出して腹が立った」

「訳が分からないよ!」


「いいんだよ俺が分かってれば。というかこれ以上深みにはまりたくない」

「本当に訳わかんない。そんなに言うんだったら、ヘルメスちゃん本気見せてよ」

「本気?」

「そう」


 オルティアは俺を見あげて、ウインクしてきた。


「格好いいとこ、あたしに見せて」


 愛嬌たっぷりのウインクは可愛らしかったが。


「やだよ面倒臭い」

「えー」

「お前の前だし、今更かっこつけてもしょうがないだろ」

「え……」

「え?」


 どうしたんだろうとオルティアを見る。

 彼女は言葉を失い、顔を赤くして俺をじっと見つめている。


「どうした。グリグリしたところが痛むのか?」


 やり過ぎたかもしれないな。

 ちゃんと手加減はしたけど、それでも女の子はか弱いからな。


「な、なんでもない?」

「本当か?」

「本当よ」

「そうか。だったらサービスしてくれ」


 あまり突っ込んでほしくなさそうだから、話をそらした。


「オルティア、お前の一生のお願いを聞いてやったんだから、サービスを期待してるぞ」

「……しょうがないわね」


 オルティアはいつもの調子に戻って、にこりと笑った。

 うん、彼女はこういうのが似合う。


 俺は彼女のサービスを受けて。

 何もしないで、娼館でぐーたらしていった。


     ☆


 ヘルメスを見送った後、娼館の中に戻ってくるオルティア。

 そんなオルティアの前に、娼婦が一人現われた。

 名前は――同じくオルティア。


 娼婦としては十人並みの容姿。

 そんな彼女は娼婦に一番多い名前オルティアをつけて、客の興味を少しでも引こうとしている。


「あれ? ヘルメス様帰っちゃったんですか?」

「うん」

「もう、センパイったら! ヘルメス様紹介してって頼んでるのに今日もまたかえしちゃうなんて」

「そっか、ごめんごめん」


 オルティアは屈託ない様子で、娼婦に手を合わせてあたまを下げた。


「もう、本当にちゃんと紹介してくれるんですか? 私だけじゃない、みんなそれを待ってるんですよ」

「うん、そのうち。でもどうしてヘルメスちゃんを?」

「格好いいじゃないヘルメス様」

「……」


 オルティアは複雑そうに微笑んだ。


「領主様で、見た目が格好良くて、でもがっついてないの」

「がっついてない?」

「ほら、こういう所に来る男ってガツガツしてるじゃない。ヘルメス様はそういうのがなくて、いつも普通に――ううん、紳士的に振る舞ってる。スマートですっごい格好いいんだ」

「なるほど、そういうことか」

「だから本当に紹介してね! お願いだよ先輩!」

「うん、そのうちね」


 微笑むオルティア。

 彼女は振り向き、ヘルメスが去っていった方角を見た。


 スマートでがっついてない格好いい領主様。


 ヘルメスは、本気を出してないが故に、自分も知らないところでモテモテだった

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