30.娼婦の純情
「ヘルメスちゃん、一生のお願いがあるの!」
なじみの娼館の中、オルティアが両手を祈るように組んで、上目使いの目線ですがってきた。
ついでに正座もしてるというかなりの頼み込みっぷりだ。
「お前の一生は何回あるんだ」
とりあえずお決まりのツッコミをした。ここまでがワンセット。
形式上突っ込むだけ突っ込んで、話はきくことにする。
「今度はなんだ、また美味しい酒でもピンドスに入って来たのか?」
「ううん、それは後で普通におねだりする」
「別途でやるんかい」
まあ、それくらいのノリならそんなに高い酒じゃないし別にいいだろ。
それよりも「一生のお願い」だ。
「あのね、お姉様がピンドスに来るの」
「お前に姉がいたのか?」
「そうじゃなくて、娼婦のセンパイみたいな人」
「なるほど」
言われて、納得した。
オルティアが実の姉を「お姉様」って呼ぶキャラじゃないしな。
「そのセンパイがどうしたんだ?」
「すっごい人気の娼婦なの。ヘスティア・メルクーリって知らない?」
「いや」
その名前は聞いたことないな。
世界中の「オルティア」なら全員顔を知ってるけど。
「えっと、すっごい人気の娼婦なの。予約とか、問い合わせとか。そういうのが三年先まで埋まってる人なんだよ、お姉様は」
「そりゃすごい」
「でね、しばらく休みたいからあたしの所に避難して来るんだけど、それがばれちゃって、今度はこっちに話が殺到してるのよ。だからヘルメスちゃん! ここにいる十日間、お姉様の客になってくれないかな。形だけの!」
手を合わせて、再び頭を下げてくるオルティア。
ちらっと上目使いで見てくる目は、つよい懇願の色があった。
「なるほど、指名を独占して何もするなってことか。空いてりゃねじ込もうとするやつもいるが、他の客がいればそうでもないか」
「うん! 代わりにあたしがその後なんでもさせたげるから。ねっ! 一生のお願い!」
またまた出た一生のお願い。
よほどその「お姉様」の力になりたいんだな。
「構わんぞ」
「本当に!?」
「指名だけして、何もしなくてもいいんだな?」
「うん! あっ、他人の目をごまかすために一緒の部屋にいてくれた方がうれしいけど」
「そりゃそうだ。いいぞ」
「ありがとう!」
オルティアは俺に飛びつき、首に腕を回して抱きついてきた。
この屈託のない感情表現、ただ色っぽくエロイだけじゃない親しみやすさ。
オルティアが人気娼婦である理由の一つだなと、何となく思ったのだった。
☆
数日後、同じ娼館の中。
貸し切りって形で用意された座敷の中で待ってると、引き戸が開け放たれ、一人の女が姿を見せた。
派手ではないが、気品と色気を兼ね備えたドレスで身を包んでいる。
仕草や物腰は上品だが艶やかで、いかにも人気娼婦、と言う感じがした。
「お初にお目にかかります。わっちがヘスティアでありんす」
部屋に入って来たヘスティアは俺にしずしずと一揖した。
その時、長い髪がぱらり、と肩からこぼれた。
すると見えたのは、長く尖った、特徴的な耳だった。
へえ、耳長族か。
ほとんど人里に出てこなくて、世界各地の森に引きこもってるエルフが娼婦をやってるのは中々珍しい。
何か事情はあるんだろうが、まあ突っ込むまい。
「俺はヘルメス、オルティアから話は聞いてると思うが」
「主様には感謝の気持ちでいっぱいでありんす」
「気にするな。俺はここでくつろいでるから、お前も好きにしてろ。それでいいんだな?」
「……」
「なんだ、そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔は」
「……主様は、体に異変はなんともないのでありんす?」
「体? いやなんでもないが」
「……」
ヘスティアはますます驚いた顔をした。
なんだ? 異変がないとダメなのか?
「わっちは体から香りを放つようでありんす」
ヘスティアはいきなり語り出した。
「香り? ああ、いいにおいはするな」
「……その香りは、男を狂わすのでありんす」
「狂わす?」
「香りそのものが強烈な媚薬、催淫効果を持っているようなのでありんす」
「へえ」
それはすごいな。
「仕事には便利だな――ああ、だから休まらないって話か」
ヘスティアは静かにうなずいた。
なるほどな。
体臭が効果を持ってて、本人が出し入れ出来ない(っぽく言ってる)のなら、娼婦としてはいいが、逆に休まる時もなくなるな。
それが「男を狂わす」レベルなら、さぞかし困るだろうな。
まあ、その手のものは俺には効かないが。
「気にしないで休んでていいぞ。何か注文した方がいいってんなら勝手に決めてくれ。後で諸々オルティアに請求する。なんでもするって言ってたからな」
「ありがとうでありんす」
話が一段落して、ヘスティアから目をそらして窓の外を見た。
開け放った窓の外には栄えたピンドスの街並みが見える。
特に何かするでもなく、それを眺めた。
オルティアが頼んだのは、俺が客としてヘスティアの予定を埋めて、他の客からの防波堤になる事。
つまりここでグータラとしてるだけでそれが達成出来る。
グータラするのは得意だ。めっちゃ慣れてる。
いろんな意味で間違いを起こさないように、今回は酒も飲まない事にした。
ふっ……完璧だ。
そうやってしばらくグータラしてると、ヘスティアの気配がやたらと静かになったのを感じた。
振り向くと、ヘスティアが座敷で座ったまま、船を漕いでいる。
別に船を漕ぐ事自体どうでもいいんだが、俺が振り向いた途端、風が窓から吹き込んできて、眠ってるヘスティアがブルッと身震いした。
「風邪でも引かれるとオルティアに恨まれかねんな」
つぶやきつつ、窓を閉めて、ヘスティアに近づき、上着をそっと掛けてやった。
「あっ……」
丁寧にやったつもりだったんだが、ヘスティアを起こしてしまった。
彼女は至近距離にいる俺を見て、眉をひそめてしまう。
「疲れてるなら横になってていいぞ」
と言って、窓際に戻った。
ヘスティアは驚き、直後に俺がかけてやった上着に気づく。
「……ありがとう」
うつむき加減で、かけた上着の片方の肩にそっと触れた。
顔が若干赤かった。
少しは好感持たれたかな、まあこれくらいはな。
身震いした女に上着を掛けてやった。
この行動が例え誰かにばれても全然平気だ。
能力とか関係ない、人格面でも普通の神経があればやってる事。
俺がやる事なす事なぜかちょくちょくばれるが、これはばれても平気。
俺は、あくまで紳士的に、ヘスティアとの時間を過ごした。
☆
それからしばらくの間、俺は毎日娼館に通った。
オルティアの「一生のお願い」通り、毎日娼館に通って、ヘスティアの防波堤になった。
特に何もしなかった。
ヘスティアの気配が「何か」を望んでないのもあったし、手を出すのは危険だと思った。
ヘスティアの体から放ってる催淫のフェロモン。
それは俺に効かない、だからこそ何もしない。
こういう場合、効かないのをいい事に何かしたらワナにはまる。
今までがそうだった。だから何もしない。
たまに会話はした。
「主様は娼館へはよく来るのでありんす?」
「ちょこちょこな」
「奥方は何も言わないのでありんす?」
「まだいないからな」
なんてどうでもいい会話だった。
心の距離が縮まるのは感じた。
初日は多少警戒されたが、途中からはまったく無くなった。
ちょっとだけ気に入られたのもあるかも知れない。
そうして、娼館に通い続けて十日がたって。
ヘスティアとは何事もなく、しかしちょっと打ち解けて。
約束の十日が過ぎていった。
☆
「りょ、りょりょ領主様。おはようございますダス」
執務を終えて、街に繰り出そうとしたその時、庭でナッソスにつかまった。
ナッソス、前にスカウトされた元借金取り。
どうやら税の取り立てに才能があったらしく、あれ以来カノー家で使い続けている。
「おう」
「そういえば領主様、あの噂を聞いてるダスか」
「噂?」
「都のほうからやってきた、ものすごい娼婦の事ダス」
「ん? ああ一応な」
返事はぼかして、曖昧にしてみた。
「すごい美人だっていう噂ダス」
「そんなになのか?」
「はいダス。でもピンドスに来てからほとんど姿を見せないダス。噂じゃずっと同じ男と一緒にいるダス」
「へえ」
俺はつとめて、普通に相づちを打った。
これくらい予想内だ。
噂の超有名娼婦、それがずっと同じ客を取っている位は、普通に噂になると予想してた。
だから、オルティアや娼館側にも口止めはしてた。
「一体、どこの果報者ダスかね……」
不思議そうに、それでいて羨ましそうに首をひねるナッソス。
噂には俺の正体は出てないみたい。
どうやらちゃんと秘密にはしてくれてるようだ。
「みんな噂してるダス、きっとすごいお金持ちで、すごいいい男ダス、って」
げっ、そういう噂になってるのか。
……まあいい、それくらいなら、それくらいならまだ慌てる程じゃない。
超高級娼婦をずっと指名してたんだからな、金持ちって位はいくら口止めしても勝手に憶測される。
だが問題ない。
ヘスティアは十日の休日を終えて、もう戻る――。
「いい男にいい娼婦。ヘスティアはこれからもずっとピンドスにいるみたいだから、どっちもいつか一度は顔を見てみたいダス」
「へ?」
今、なんて?
「ずっとって、誰が?」
「ヘスティアのことダス」
「このピンドスに?」
「はいダス」
「……なんで?」
「噂ダスけど、その男に惚れたから、ずっと残るってことダス」
へ?
惚れたって、いやまさか。
そりゃ打ち解けはしたけど、惚れられてはないだろ。
いやいや違う、問題はそこじゃない。
問題なのは――
「三年先の予約とか、王族の予約とか全部蹴ってきたダス。それくらいさせる男……どんなすごい男ダスかね……」
ヘスティアの評判と人気が、そのまま横滑りして、俺の評価になりそうだった。