19.噂の上書き
夜、行きつけの娼館。
オルティアに膝枕で耳掃除をしてもらいつつ、窓から見える小望月――明日満月になる月を眺めていた。
柔らかいのといい香りなのと、風流なのを楽しんでいると。
オルティアがふと、思い出したように聞いてきた。
「ねえねえヘルメスちゃん、あの噂って本当?」
「噂?」
「またまた、そこまでとぼけると逆に嘘くさいよ」
ニヤニヤするオルティア。何が嘘くさいってんだ?
「街は今その噂で持ちっきりだから、さすがに知ってないとねえ」
「いや、本当に何の事なんだか」
「ほら、ヘルメスちゃんがオリクトJrを退治してくれてるってあれ」
「はあ!?」
びっくりしすぎて、オルティアの膝から飛び上がった。
「なんだそれ、どういう事なんだ?」
「あれ? もしかして本当になにも知らないの?」
「知らない、詳しく話を聞かせてくれ」
「それはいいけど……ほら、トリカラ鉱山って、最近ヘルメスちゃんが手を入れて、銀発掘の鉱山になったじゃない?」
「ああ」
頷く俺。
というかその一件にはオルティアも関わってる、協力してもらった。
「その鉱山にね、ちょっと前からオリクトJrって魔物がちょこちょこ出るようになったのね。で、みんなが迷惑してたんだけど、ある日退治されるようになったのね」
「されるようになった? 解決してない口ぶりだけど、複数いるのか?」
「不死身だって話だよ、倒しても再生するらしいの」
「なるほど」
「で、それをやってくれたのがヘルメスちゃんだ、って噂が。十字勲章の新しい領主様が不死身の魔物を剣一本で倒す、すごく格好いいって話だよ」
「なんてことを……」
そんな噂初めて聞いたぞ。
というか、迷惑にも程がある。
不死身持ちとか、どう考えても強いモンスターだ。
それを俺がやってるなんて噂……迷惑過ぎる。
そんな噂、解いておかなきゃ。
☆
次の日。
ピンドスの街から20キロほど離れた、トリカラ鉱山。
俺は一人でやってきて、鉱山の責任者に会った。
鉱山の麓にある、役所の様な建物。
そこで一人の男とソファーに座って向き合っている。
男の名はゴーラス、いかにも鉱山の現場責任者といった感じの豪快でラフな、そんな感じの男だ。
「いやあ、まさか本当にあれ、領主様だったとはなあ」
ゴーラスは上機嫌で笑った。
「まっ、俺も別にひけらかすつもりはなかったんだが、ここまで噂になってる以上な。いっそのことはっきりさせといた方がいいだろ」
「だな! 噂だけじゃみんな完全には安心しねえもんだ」
豪快に、そしてフランクな口調で応じるゴーラス。
俺はここにやってきて、彼に「今までのオリクトJrは俺がやった」と言った。
するとゴーラスは「おおやっぱり!」となって、そこに俺が「証拠を見せる」と言って、今こうなってる。
「で、今日はそいつ出るのか?」
「わからねえ、今日は出て欲しくねえところなんだが」
ゴーラスは困った顔で言った。
よほど現場の人間から迷惑がられてるんだなその魔物ってのは。
「まあいい、出そうな場所を教えろ、俺が見回る」
「おう。これをみてくれ」
ゴーラスは地図を俺たちの間にあるテーブルに広げた。
このトリカラ鉱山の地図だ。
その地図の上に、×がいくつもつけられている。
「山の東側に偏ってるな」
「その辺に巣か、それに近い何かがあると踏んでるんだ」
「なるほど、わかった、まずはそっちいってみる」
「あっ、領主様。一ついいかね」
立ち上がって、部屋を出ようとした俺をゴーラスが呼び止めた。
「なんだ?」
「鉱山で働いてる連中の中に、領主様の噂に特にわくわくしてる連中がいるんだ。そいつらを見物人でいかせてもいいかね」
「……ああ、いいぞ」
少しだけ考えて、俺は承諾した。
むしろ渡りに船だ。
トリカラ鉱山に来て、オリクトJr退治を申し出たのは理由がある。
はっきりと証人がいる前で、退治に失敗したいからだ。
噂では俺がやってる事になってる。
それを解消するには、「噂に乗っかったけど実力が伴ってないバカ殿」を演じるしかない。
噂を失敗で上書きするのだ。
だから俺は実際にやってきて、退治を失敗するつもりでいる。
つまり、見物人――しかも噂にわくわくして「俺」に期待してる人間が多ければ多いほどいい。
俺は、野次馬達を連れて、負ける戦いに出かけることにした。
☆
夜、トリカラ鉱山の中腹部。
満月の下、ぞろぞろとこの鉱山で働いてる鉱夫達を引き連れて、オリクトJrの目撃情報があるポイントを探して回った。
精錬魔法の使い手じゃなくて、鉱石を掘って運び出すまでをやる人間達。
故に、全員が結構ごつくて、テンションも高かった。
「まさか本当に領主様がやってたとはな」
「それに実際に倒す所を見られるなんてなあ」
「今日は何があっても出て欲しくなかったけど、こうなったら是非とも出てもらわにゃな」
地図につけられた×のポイントを周りながら、興奮してる連中の話に耳を傾ける。
なるほど? 毎日出るって訳でもないのか。
そりゃやっかいだ。
連日ここに来るのはめんどくさいから、今日の巡回で、一発で出てくれる事を心の中で祈った。
その祈りが通じたのか、魔物が現われた。
「うわあああ!」
「こ、こっちに出やがった」
「みんな散れ!」
出たのは、俺の背後についてくる連中のところだった。
満月の下、大岩のオバケみたいな魔物が鉱夫達を襲おうとしている。
俺は剣を抜いた。
噂では剣で倒してるって話だから、それを真似る必要があって、持ってきたのだ。
剣を抜いて、飛び込んでオリクトに斬りかかろうとする、が――
「うわあああ!」
「クラウス!」
鉱夫の一人が地面の凸凹に足を取られて、すっころんでしまった。
しかも足がはまって、抜け出せそうにない。
完全に一人だけ逃げ遅れた。
そしてそいつにオリクトJrの攻撃が迫る。
距離は――微妙すぎる。
負けるために戦ってたら時間が延びて巻き込みかねない。
「ちっ!」
俺は速度をあげて飛び込んだ。
抜きはなったロングソード――一閃!
さすがに硬い、って感じの手応えとともに魔物を両断。
そいつはガラガラガラと崩れ落ちて、動かなくなった。
「……くっ」
やってしまった。
鉱夫が危険だったから助けようと思ったらつい倒してしまった。
予定が完全に狂った。こんなはずじゃなかったのに。
……いや、ポジティブに考えよう。
噂通りだ。
もともと俺が倒してるって噂なんだ、それが本当になった。
それだけの話だ。
だが。
「すげえ、やっぱりすげえ」
「満月のそいつを倒すとか、実際に見られてよかったわ」
「ありがてえ、ありがてえ」
拝む鉱夫も出た、なんか話がおかしい。
鉱夫達の眼差し、尊敬の眼差しが出発前よりも強い気がする。
ざわっ……なんだか悪い予感がした。
俺は、一番近くにいるヤツに聞いた。
「満月のそいつってのはどういう意味なんだ?」
「あの化け物、月の満ち欠けで強さが変わるらしいんで」
「……へ?」
「満月だとマジやべえんで、飯場町一個丸ごとつぶされかねんから、ここにいるヤツは満月にでてほしくねえってみんな思ってたんだ」
「……」
そういえば、ずっとそんな事いってたな。
出て欲しくない、今日だけはでてほしくないって。
それを俺は「いい加減出るな」って意味で捉えてたけど、「今日だけは出るな」って意味だったらしい。
それを、倒してしまったって事は……。
鉱夫達を見る、尊敬の眼差しがますます強くなる。
俺は噂をより強い結果に上書きしちまったのかもしれない……。