136.温泉の力で暴走するヘルメス
この日、俺は朝から執務をしていた。
いつものようにミミスに報告をさせて、それを適当に許諾していく。
そんな中――。
「こちらがペトラダイトの査定額となります」
ミミスが差しだした報告書に目を通した。
他の案件に比べて、結構真面目に目を通した。
ペトラダイトというのは、先日のフロリナの一件で、俺が見つけた人工の宝石のことだ。
フロリナの町で吹きだした謎の霧。
あれを風の魔法でコントロールして、これまたフロリナにある石を研磨させたら、天然のペトラダイトとまったく同じ性質を持つようになった。
魔力で宝石を作るケースが結構ある。
有名なところだと、オリクトという魔物が常に魔力を放出するから、それが生息地の壁にこびりついて、何層も何層も積み上げた――いわばパイ生地の様な宝石をオリクダイトという。
オリクダイトは魔術的な使い道はほとんどないけど、層の重なり具合が自然に綺麗な形にでるから、ダイヤモンドと並んで女に大人気な宝石である。
そのペトラダイトの報告だ。
「結構な額になるな、やっぱり」
「はい、その次のページが、年間の生産予想量になります」
「……産業として成り立つな」
「はい。つきましては風系の魔導師の雇い入れと、現地フロリナで生産拠点を建築するプランを――」
「全部任せる」
「承知いたしました」
ミミスは深々と頭を下げ、了承した。
その先の細かい話は領主がいちいち関与するべき領域じゃないし、今までも似たような案件は、全部ミミスに任せてきた。
だから俺が一任するって言ったらミミスはすぐに受け入れた。
「つきましては」
「ん?」
「王家への届け出でございます」
「届け出?」
なんじゃそりゃ。
「貴重な資源を発見した場合は届け出るのが慣例でございます。もちろん領内のことですのでなくてもかまいませんが――」
「ああ、じゃあやっといてくれ」
こういうのは無届けでやったらあんまりよくないわな。
いや待てよ? 完全に隠して、密貿易って形にすれば評価下がるか?
……いやいや、それはダメだ。
たぶん、それをやったら何かしらの形ででっかいしっぺ返しが来る。
今までも、わざと評価を下げようとしたら逆効果になったことの方が多い。
余計なことは考えないでおこう。
「続きまして、魔物カルキノスの討伐要請です」
「討伐要請?」
「はい。コルキス男爵との領土の境に出現した魔物です。コルキス領に出ていますが、我がカノー領も一部活動範囲にはいっているので、討伐に手を貸して欲しい、と」
「討伐かあ」
討伐はしたくないんだよなあ。
何をどうやっても、ストレートに名声が上がっちゃう案件だからな。
「コルキス男爵は既に大部隊を展開していますので――」
「じゃこっちも部隊を編成して協力してやってくれ」
俺はミミスの言葉の流れにのった。
なにも俺自身が出ることはない。
向こうが部隊編成してるのなら、こっちも部隊を差し向ければいい。
「承知いたしました。最後に温泉の件でございます」
「温泉?」
「例の温泉でございます」
「ああ、わかった。そっちは任せろ」
俺は即答した。
☆
温泉。
それは、カノーの初代当主の男――つまり俺達の御先祖が、剣一本で掘ったという訳の分からない温泉だ。
掘るのに使ったのが剣一本というのも訳わからないし、その剣の影響でその後ずっと瘴気が噴き出し続けるのも謎だ。
その瘴気に当てられて、動物が時々凶暴化するから、定期的に瘴気を散らすのがカノーの当主の役目だ。
その間隔が大体年に一度で、今年もその時期がやってきた。
☆
「温泉、温泉、たのしいおんせんー」
街道から外れた、道のない郊外。
その郊外を、一頭のドラゴンがのっそのっそと歩いていた。
巨大なドラゴン、その背中に神輿を担いでいた。
その神輿はドラゴンのサイズに比して、一軒家くらいの大きさがあった。
それを背負って動くドラゴンは、まるで歩く家のようにもみえる。
その神輿の上に、俺とカオリが乗っていた。
いや、カオリが乗ってきたのに、俺が無理矢理引きずり込まれたのだ。
「なんなんだこれは」
「これってなんのことなのだ?」
「二つあるけど……まずこいつ」
俺は下を――つまり乗っているドラゴンを指した。
「ポチのことなのだ?」
「そんな可愛いもんじゃないだろ!?」
「お父様がつけてくれた名前なのだ。ちゃんとお手とお座りとチンチンができるまでしつけたから、だったら名前はポチがいいって事になったのだ」
「この図体でお手とか屋敷が一軒つぶれるぞ」
その光景を想像して白目になった。
「もうひとつは何なのだ?」
「なんでカオリが一緒に来てんの? 俺、仕事しに行くんだけど」
「それは姪っ子ちゃんに頼まれたのだ。今回は自分はいけないから、代わりに私に一緒に行って欲しいってお願いしてきたのだ」
「なるほど……」
姉さんの仕業かよ。
……。
姉さん、なにか企んでるんじゃないだろうな。
何をされても大丈夫な様に、油断せず警戒していこうと思った。
「にしても久しぶりだな、温泉は」
「私もなのだ、かれこれ200年ぶりなのだ」
「そんなに久しぶりじゃねえよ!」
さらっと人間の寿命以上の話が飛び出してきた。
「なんでそんなに久しぶりなんだ?」
「私は熱いのが苦手なのだ、すぐにのぼせてしまうのだ」
「そうなのか」
「200年前も、のぼせて力が暴走したときに山を一つ吹き飛ばしたのだ」
「のぼせるにも程がある!」
「でも甥っ子ちゃんがいるから安心なのだ。のぼせたら止めてくれなのだ」
「えー……もう帰っていいっすか……」
俺はげんなりとなった。
途中までは、温泉だということで、カオリが一緒だけど温泉なら何事もなく静かに――って思ったけど考えが甘かったみたいだ。
「たのしみなのだー」
「……そうだな」
いざって時はカオリを止めなきゃいけない。
俺は、今すぐに帰りたい気持ちで一杯だった。
☆
カオリのポチに乗ってやってきた温泉は、前に来たときとほとんど何も変わってなかった。
道中、カオリと姉さんの事でいろいろ警戒していたが、いざ温泉まで来てみると、そんなことはもうどうでもよくなって、とにかく温泉に入りたい、って気分になった。
温泉の魔力、恐るべし――って思った。
温泉にくっついている旅館風の建物に入ると、「温泉欲」がますます大きくなった。
「早速ひとっ風呂浴びてくるか」
「そうするのだ!」
「……」
俺はノリノリのカオリを見つめた。
「どうしたのだ?」
「カオリも入るのか?」
「もちろんなのだ」
「うーん」
「どうしたのだ? あっ、わかったなのだ」
「へ?」
ポン、と手を叩いたカオリ。
彼女はむむむ、って感じで何かを念じると、体からまばゆい光を放ちだした。
光がぱあと広がって、収まった後。
そこにいたのは、グラマーな姿になった、前にも見たことのある大人なカオリだった。
「姪っ子ちゃんに言われてたのだ、甥っ子ちゃんと一緒にはいるときはこっちの姿がいいのだ」
「いやいや」
「サービスなのだ」
「いやいいから本当に」
俺ははあ、とため息をついた。
「元の姿に戻ってくれ」
「こっちじゃなくていいのだ?」
「ああ」
というかその姿だと落ち着いて入れない。
ちょっと……こう……。
ボン! キュッ! ボン! が過ぎて、落ち着いて入れない。
「分かったなのだ!」
カオリは意外にも、素直に要請を聞き入れてくれた。
再び光を纏って、もとの幼い姿に戻った。
そんなカオリと一緒に温泉に向かった。
脱衣所に入って、温泉が見えるとカオリはパパっと服を脱ぎ捨てて、温泉に飛び込もうとした。
「あーまてまて」
俺はカオリをつかんで引き止めた。
「どうしたのだ?」
「いきなり飛び込んじゃだめだ。まずはちゃんと体を洗うんだ」
「えー、面倒臭いのだ」
「えーじゃない」
「ぶーぶー」
「ぶーでもない」
「じゃあ甥っ子ちゃんが洗ってくれなのだ」
「俺が?」
「そうなのだ」
「はいはい、わかったわかった」
温泉を前に、つまらないことで言い争っても仕方ない、と。
俺はカオリを洗ってやった。
石けんをタオルで泡立てて、カオリを洗ってやった。
幼い姿に戻させてよかった。
ボン! キュッ! ボン! な姿だったら色々とヤバかった。
一通り洗って、お湯をかけて流してやった。
「ありがとうなのだ。今度は私が甥っ子ちゃんを洗ってやるのだ」
「そうか、じゃあ頼む」
俺は頷き、カオリに洗わせた。
背中をゴシゴシと洗ってくれたカオリの手際は予想してた物よりもよくて、結構気持ちがよかった。
「じゃあ流すのだ」
「頼む」
パシャ! って温泉の湯をかけてくれたカオリ。
流れていく泡を眺めつつ、やっぱり気持ちいいな、って思った。
ドックン。
「あれ?」
「どうしたのだ?」
「今の……なんかしたか?」
「私なのだ? 何もしてないのだ」
「……そうか?」
否定するカオリ。
彼女は嘘をつくタイプじゃない。
超生物の魔王は、嘘をつく必要が一切ないから、嘘をついてる所を見たことない。
彼女が違うっていうのなら、それは違うのだろう。
でも、だったら。
今の妙な心臓の鼓動はなんだったんだ?
「それよりも洗ったから入るのだ。入ってもいいのだ?」
「え? ああそうだな」
考えごとをしている俺の前に立って、きらきらした目で見つめてきたカオリ。
これまでお預けを食らったカオリは、すぐにでも湯の中に飛び込みたいって目をしていた。
「ちゃんと洗ったし、入ろうか」
「わーい、なのだ」
「飛び込むんじゃないぞ、ゆっくり入れよ」
「わかったのだ」
俺はカオリと一緒に温泉に入った。
湯に入って、肩までしっかりと浸かって。
「ふぅ……、いい湯だな相変わらず」
「そうなのだ」
気持ちがよかった。
肩まで浸かって、ものすごく気持ちよくなった。
気持ちよくて、次第にぼうっとしてきた。
なんかお酒を飲んだ時みたいに体がふわふわする。
いかん、のぼせてきたか?
「あっ、そういえば」
「なんら?」
「ここ、おばさまとほった温泉なのだ」
「ほえ?」
「お父様がおばさまと掘った温泉なのだ、聞いてたけど来るのは初めてなのだ」
「らりをゆっれるのらわらららい」
俺はますますぼうっとなった。
カオリが何か言ってるようだけど、言葉の意味が頭に入ってこなかった。
まいっか、気持ちいいし。
と、思った直後――
ドックン!!
心臓が大きく跳ねた。
何かが体の中に入ってきて、一つになって混ざり合っているのを感じた。
「甥っ子ちゃん?」
「……」
「おおっこれはもしかしてなのだ?」
「……」
「やっぱりそうなのだ。甥っ子ちゃんの中にあるおばさまの力と、温泉にのこったおばさまの力が共鳴してるのだ」
「……」
ドックン!! ドックン!!
「うーん、でも共鳴すると――どうなるのだ?」
カオリがきょとんと、首をかしげていた。
俺は温泉の中で立ち上がった。
周りをぐるっとみた。
「……感じる」
「なにをなのだ?」
「……ふっ」
俺は空を飛んだ。
温泉から真上に飛び上がった。
途中で裸に気づいて、力を放出させて物質化した。
新しい力――黒いオーラを出して服にした。
服を着た俺は、空中でもう一度方角を確認。
そして――力を感じる方角に飛んでいった。
飛んで数十分、たどりついたそこには、二種類の旗を掲げてる二つの軍団と、一体の巨大なモンスターが戦っているのが見えた。
「こいつか……」
空から、二つの軍団を苦戦させている魔物を見下ろす。
「さて、どうするか……」
俺は、ぼんやりとした頭で考えた。
☆
「あいてて……」
気がつくと、何故か頭がズキズキしていた。
ずきずきする頭を押さえて、体を起こす。
「……あれ?」
俺はベッドの上にいた。
窓の外を見ると、それはよく見慣れた景色、ピンドスの屋敷の庭の景色だった。
「屋敷?」
俺は首をかしげた。
いつ戻ってきたんだ?
俺は温泉にいってたはずなんだが……。
なんで戻ってきたのか――って考えようとすると、頭がまたズキズキした。
まるで、二日酔いの時と同じ頭痛だ。
「いつ酒なんて飲んだんだ?」
やっぱり何も思い出せないでいると――
「おはようなのだ」
「うわっ!」
いきなり声をかけられて、飛び上がりそうなくらいびっくりした。
カオリだった。
カオリはベッドの中で、俺に寄り添って寝ていた。
幼い姿で、浴衣姿だったが、何故かちょっとはだけていた。
「甥っ子ちゃんおはよーなのだ!」
「カオリ? どうしたんだここで」
「昨日はたのしかったのだ」
「昨日?」
どういう事だ? と首をかしげる。
次第に、悪い予感がした。
カオリが「たのしかった」っていうときは、大抵やばい事をやらかした「後」。
「そうなのだ。それに格好良かったのだ」
「かっこよかった」
「覚えてないのだ?」
「よし、なかったことにしよう」
「なかったこと?」
「それか時を戻そう」
「甥っ子ちゃん何を言ってるのだ?」
「とにかく――」
「おばさまの力と共鳴して、カルキノスにお手を仕込んだのは格好良かったのだ」
「――って何をやってんの俺は!?」
俺は悲鳴を上げた。
やっぱり、何かをやらかした後みたいだ。
「って、カルキノス?」
「カルキノスなのだ」
「例の討伐の?」
「討伐? そういえば甥っ子ちゃんが躾けてる最中に、なぜか人間の軍隊が周りで見ていたのだ」
「衆目環視でやったのかよ俺は!!」
俺はベッドの上でがっくりきた。
カルキノスと軍隊ってことは、コルキスの軍とうちの軍のどっちか――それか両方とも、ってことだよな。
大軍で討伐しなきゃいけない魔物を、その大軍の目の前で躾けた。
……おっふ。
「さすが甥っ子ちゃんなのだ。そうだ、躾けたからあれもポチって名付けるのだ」
「それだけはやめて本当に……」
そんなことをしたらカオリのペットのドラゴンと繋がってしまう。
これ以上はさすがにやめて、って俺はカオリに懇願したのだった。