135.岩で修行する
とある日の昼下がり、俺はリビングでくつろいでいた。
窓越しのポカポカ陽気にうとうとしながら、たまにくる時の流れが遅い一日を満喫していた。
そんな俺の横でメイドが控えていた。
たまに手を伸ばして紅茶を飲んだりお菓子を摘まんだりすると、メイドはすぐにそれを補充してくれた。
至れり尽くせりでくつろいでいたら、メイドの様子が目に入った。
仕事はそつなくこなしているけど、ちらちらと、何か言いたげに俺を見ていた。
「どうした?」
「あっ……」
「なにかあったのか」
「その……」
メイドはちらっ、と一度窓の外を見てから、意を決した様子で切りだした。
「その、ご主人様には面倒臭い話かもしれないですけど……」
「ん」
「ミデアちゃんのことなんです」
「ミデアがどうかしたのか?」
「実は今朝から様子が変なんです」
「様子が変?」
俺は寝っ転がっているソファーの上で座り直して、メイドを真正面から見つめた。
「どう変なんだ?」
「なんか思い詰めているみたいな感じなんです。全然元気がなくて、話しかけても生返事で」
「ふむ。それはおかしいな」
まったくもってミデアらしくなかった。
ミデアと言えば、あの底なしに元気なのがトレードマークの女の子だ。
猪突猛進過ぎるきらいはあるが、およそ悩みとは無縁な子だ。
そんなミデアが思い詰めている――となると確かに気になる。
「見てこよう。どこにいるんだ?」
「さっき庭の方にいました」
「ん」
なるほどそれでメイドはちらっと窓の外――庭がある方角を見たんだな。
俺は立ち上がって、メイドを置いてリビングを出た。
長い廊下を通って、屋外に出てぐるっと庭に回る。
庭で少し歩くと、ミデアをみつけた。
「……」
メイドの言うとおり、ミデアの様子は確かに変だった。
庭の開けた所で剣を振っているが、明らかに身が入っていない。
普段のハキハキとした様子からは程遠くて、まるで抜け殻のような、あるいは真っ白に燃え尽きた何かの様に感じた。
よほどのことだろうな、そう思いながらミデアに近づいた。
俺が近づくのもまったく気づかないで、ミデアは気の抜けた状態で剣を振りつづけていた。
「ミデア」
「……」
反応がなかった。
数メートルの所まで近づいて、声をかけてもミデアは反応しなかった。
「ミデア」
「……」
「ミーデーアー?」
「……ふっ」
「――っ!」
瞬間、ミデアは顔を強ばらせて、飛びのいてこっちに向かって剣を構えた。
気の抜けたミデアに言葉が届かないとみて、俺は軽く彼女に「殺気」を当ててみた。
さすがにそれには気づいたのか、ミデアはパッとこっちを向いた。
「し、師匠!?」
「気がついたか」
「あれ? でも今のって……」
「気にするな」
我に返ったミデアは、俺に殺気を当てられた事を不思議がった。
普段ならまずあり得ない事だから、不思議がるのは分かる。
「それよりも、何かあったのか?」
「え?」
「元気がないって周りが心配してたぞ」
「あっ……」
ミデアはハッとして、自分の顔をべたべた触ってみた。
「私……そんなに元気がなかったですか?」
「まあな」
殺気を当てないと反応しなかったくらいだしな。
「相談に乗るぞ? なにがあった」
「……」
ミデアはしばらく俺をじっと見つめて、やがて――
「うわーん!」
と、子供の様に泣き出してしまった。
「ちょ、ちょっとちょっと」
さすがにこれには驚いてしまった。
まさかこんな風にいきなり泣かれるなんて思ってもみなかった
「ぴえーん」
「泣くな泣くな、えっと……とにかく泣くな」
俺は慌ててミデアをあやす――が、泣いた女の子のあやし方なんて分からないから、ちょっとパニックになってしまった。
それでも周りをオロオロしてると、次第にミデアは落ち着いてきた。
「ごめんなさいししょー……」
幼い女の子の様に一通り泣きじゃくった後、ミデアはしゅん、と小さくなってしまった。
「いいんだ。それよりも本当に何があったんだ? 話してくれないか」
ミデアはじっと俺を見つめたまま、少しの間迷ってから。
「……たんです」
「ん? なんだって?」
「おばちゃんが、できたんです」
小声で絞り出すように話したのは、ちょっと意味が分からない言葉だった。
「何を言ってるんだお前は」
俺はきょとんとなった。
おばちゃんができたって……どういう事だ?
おばができたってことは、おじの誰かが結婚したってことか?
まああのエロ剣聖なら――って思っていると。
ミデアは懐から一枚の写真を取りだして、俺に見せた。
写真に写っているのはまだ生まれて間もない、手足がぷにっとしてて可愛い赤ん坊だ。
「これです……」
ミデアは相変わらずシュンとなったままそういった。
「へえ、可愛いな。誰の子だ?」
ミデアの落ち込みようから、一瞬だけミデアの子――なんてあり得ない想像が頭をよぎったが、ミデアとはちょこちょこあってるからそれはない。
「おじいちゃんの」
「え?」
「おじいちゃんの、子供です」
「へえ」
あの剣聖じいさんの。
たしかめちゃくちゃ子だくさんだったっけなあのじいさん、その内の誰かってことか。
なんて、のんきな感想をもっていると。
「おじいちゃんの、『新しい』子供なんです」
「ーーなぬ?」
ミデアはがっくりとしたまま、更にもう一枚の写真を取りだした。
今度は登場人物が三人いた。
まず、さっきの赤ん坊。
そして、赤ん坊を抱いている、若くて綺麗な女の人。
最後に、デレデレしている剣聖のじいさん。
「……」
じいさんと、美女と、赤ん坊のスリーショット。
その組み合わせに、俺は一瞬思考が停止した。
それはミデアには通ってきた道のようで、彼女は消沈したまま詳しく説明した。
「おじいちゃんの新しい子供で、年下のおばちゃん、なんです……」
「やりたい放題かよあのじじいは!」
俺は思いっきり突っ込んだ。
まさかまさかの結末だった。
確かにおかしいって気づくべきだった。
ミデアは最初から「おばちゃん」という話で写真を持ち出した。
そして写真は明らかに最近撮られたものですごく新しいものだった。
ヒントはいくらでもあって、普通に気づけるものだったんだが、気づかなかった。
と、というか。
あのじいさん、前に報告書を見た時めちゃくちゃなエロジジイだってのは知ってたけど。
「まだ現役だったのか……」
「おじいちゃんから剣をとったらエロしか残らないから……」
「にしたって限度があるだろ」
老いてますます盛んって言葉があるけど、お盛ん過ぎるだろ。
でも、まあ。
話は分かった。
自分よりも年下のおばちゃん、しかも赤ん坊。
それができてしまって、それで落ち込んでたんだな。
一通り説明し終えたミデアは、また落ち込んでしまった。
あのミデアがこんな風に落ち込んでるのは似合わない。
そういう意味では、俺は頼みごとをしてきたメイドとまったく同じ意見だった。
元気つけてやりたい。
ミデア相手なら……ここは……。
☆
俺は一度野外に飛んで、でっかい岩を持ってきた。
人間よりも遙かに大きくて、小さめの一軒家くらいはある巨大な岩だ。
それを持ってきて、庭に置いた。
言われた通り庭で待っていたミデアは、岩を見て首をかしげた。
「師匠、これは何ですか?」
「新しい修行だ」
「新しい修行!!」
俺の言葉を復唱して、途端に目を輝かすミデア。
うん、やっぱり彼女はこっちの表情をしてる方がずっといい。
「もしかして、岩を切れって事ですか」
「ああ、よく分かったな」
「おじいちゃんから似たような事を聞いたことがありますから!」
「なるほど」
そうだろうな、と俺はおもった。
俺もかつて、これを教わったからな。
誰が一番最初にやり出したのかなんて分からないけど、あっちこっちでやられてる修行法らしい。
「どうすればいいですか、師匠!」
「まずは一回やって見ろ。それでどのレベルから教えた方がいいのかをみる」
「わかりました!!」
ミデアは素直に頷いた。
自分の剣を抜いて構えて、岩と向き合った。
岩は、平面で見てもミデアの3倍くらいはあった。
その巨大な岩に、ミデアは剣を振り抜いた。
岩が切れた――が。
あまりにも岩が大きすぎたため、斬れたといっても、表面に切り傷をつけた程度にとどまった。
「どうですか、師匠!」
「いい感じだ。普段からよく修行してるのが分かる」
「ありがとうございます!」
「これなら最初のをすっ飛ばしていいだろう。岩の呼吸を――岩の呼吸って言ってわかるか?」
「岩の呼吸、ですか」
ミデアは小首を傾げて、思案顔をした。
「おじいちゃんが昔、天地万物にはそれぞれの呼吸がある、っていってたけど、それですか?」
「それだ」
俺は頷いた。
そして、ちょっとホッとした。
剣聖のじいさんも言ってたことなら問題はないな。
「その呼吸を感じてみろ。呼吸ってのは文字通り呼と吸、つまり強弱がある。弱の所を感じ取ってそれを狙うんだ」
「は、はい!」
まずは本質を伝えてから、細かいところを教えてあげた。
ミデアは説明を聞いて少し首を傾げた。
傾げながら、うーんうーんとうなった。
困ってる顔だが、それはさっきまでとちがって、前向きな悩みだったから、思う存分やらせることにした。
「あの……師匠」
「どうした」
「本当に、呼吸を感じ取れるんでしょうか」
「ああ」
「そうですか……」
ミデアはなおも困った顔をしていた。
信じられない様な顔をしている。
ちょっとやってみせるか。
俺は昔のことをおもいだした。
俺にこれを教えてくれた子は、最終的に豆腐で作った剣でドラゴンを切れ、とか無茶ぶりをしてきたが、さすがにそれをミデアにやらせるつもりは無い。
無茶ぶりすぎるし、それだとまた「すごい」に繋がりかねない。
それよりも、剣で普通に岩を斬る、に留めておくべきだ。
俺はそう思って。
「貸してくれ」
「あ、はい!」
ミデアから剣を受け取った。
そして岩の前に立つ。
岩の呼吸を感じる。
呼吸を感じて、剣でたたき割る。
入門書の一ページ目を、ミデアに実演して見せた。
剣をためて、振り下ろすと、巨大な岩は真っ二つに割れた。
「こんな感じだ」
振り向き、ミデアにいう。
ミデアはぽかーんとしていた。
「大丈夫だ、練習すればミデアにも――」
「すごい、おじいちゃんもできなかったのに」
「――できる、んんん?」
今なんて言った?
オジイチャンニモデキナカッタノニ。
……んんん?
「待てミデア。お前さっき、じいさんが同じことを言ってたって言ってなかったか?」
「はい! おじいちゃん言ってました。天地万物にはそれぞれの呼吸があります」
「だよな、なら――」
「その呼吸を感じ取れるようになるのが、剣の到達点である、です」
「――到達点?」
「到達点」
ミデアははっきりと頷いた。
「入り口じゃなくて?」
「違います、到達点です。理想です」
「……りそう」
俺は棒読みでつぶやいた。
待て、って……ことは……。
「すごいです師匠!」
「はうっ!」
「もっと教えて下さい! 今のどうやったんですか、わたしどうすればいいですか?」
どうやら、勘違いがあったようだ。
勘違いで色々見せてしまって、ミデアはますます俺の事を尊敬する目で見つめた。
「おっふ……」
俺はがっくりきたが。
「お願いします! 師匠!!」
ミデアがすっかり元気になったから、しかたないか、って思うことにしたのだった。