133.空気の氷
「ヘルメスちゃん! 一生のお願い!」
「……」
俺はほんわかとした目で、オルティアを見つめた。
いつもの娼館、いつもの部屋。
いつものようにオルティアを指名すると、彼女はこれまたいつもの「一生のお願い」をしてきた。
「おちつくなあ……」
「え? なにが?」
「屋敷で今、大騒ぎになってるんだ」
「あっ、知ってる知ってる。ヘルメスちゃんが王族になったからいろんな人がプレゼントを贈ってきてるんだよね」
「準王族、な。王族だったらエライこっちゃ」
俺は遠い目で窓の外を見た。
窓の外はピンドスの普通の街並みが広がっているだけだが、俺の目にはうっすらと、間の建物が全部半透明になって、その先にある騒ぎが見えたような気がした。
準王族になったって知れ渡った瞬間、俺に取り入ろうとする連中が色々とプレゼントを贈ってきた。
それをいちいち対応するのも面倒臭くて、ミミスに丸投げしてここに避難してきたってわけだ。
「ねえねえ、どんな感じなの?」
「大量にプレゼントがおくられてきた」
「おお」
「プレゼントは全部、牛車か荷馬車に乗せられて送られて来るんだが」
「ふむふむ」
「受け取りとチェックに時間がかかるから、屋敷にまとめて入れられなくて、それで屋敷の周りに列を作ってもらってる」
「おー、行列のできるヘルメスプレゼント所だね」
「その列が丸一日経っても途切れてない」
「何それすっごーい!」
オルティアは目をきらきらさせた。
やっぱり落ち着くなあ、オルティアは。
肩書きが一つ増えただけで態度を変えて一斉にすり寄ってくる連中がいる中で、話を聞いても何も態度を変えないオルティア。
普段と変わらずに「すり寄ってくる」オルティアは一緒にいてホッとした。
「で?」
「え?」
「え? じゃないだろ。今度の一生のお願いはなんだ?」
「え? あーなんだっけ――いたいいたいいひゃひゃひゃひゃ」
オルティアのこめかみをげんこつでグリグリする。
オルティアは涙目になって、足をばたばたさせる。
グリグリをしばらくやった後、解放して。
「で、なんだ?」
「いたた……うん、あのね。新しいお酒が手に入ったの」
「そうか。金は気にするな、出してくれ」
前にもオルティアが酒をおねだりしてきた事があった。
その時の記憶から、また高価な酒なんだろうなと思った。
「あっ、それは大丈夫。前とそんなにかわんないから」
「そうか」
「でもね、ちょっと問題があってね」
「問題?」
「うん、そのお酒。飲み方がすっごく難しいの」
「ふむ」
なるほど、と俺は頷いた。
酒は贅沢品中の贅沢品だ。
高級品にもなると、長い年月をかけて熟成させていくのに、普通の酒と同じように飲んだらなくなってしまう。
物にもよるが、例えばグラス一杯分をこぼすだけで庶民の一ヶ月分の給料が吹っ飛ぶことがある。
それくらいの物だから、高級な酒になればなるほど飲み方にこだわりが出てくる
そういうのを無視して、例えば一気のみとかしたらマニアに撃ち殺されても文句の言えない所業だ。
「で、どう難しいんだ?」
「あのね、まず冷やして飲むの」
「ふむ」
「でねでね、そもそも作る過程でね、20年熟成させて、その後一回蒸留させて、それで新しい原酒をまぜてまた20年熟成させるの」
「そりゃ手間がかかってるな」
「でしょー」
なんとなく自慢げなオルティア。
それだけの酒が手に入れば……そりゃ自慢げにもなるか。
「つまりね、そのお酒ってすごく大雑把に言うと、二種類の年代のお酒が混ざってるって事なの」
「なるほど」
「それが冷やし方によって味がかわるんだよね。だから飲む時って、半分は冷やして、半分は冷やさないで、それで混ぜないで飲むのが一番美味しいの」
「混ぜないのか」
「うん、混ぜないの。問題はね、氷を使うと、氷で薄まっちゃうんだよね。氷だと片方だけ冷えてくれるけどね」
「まあ、それは論外だな」
さすがにそれくらいは俺にも分かる。
せっかくの高級な酒、氷を入れて薄めて飲むのは論外・オブ・論外だ。
昔超高級のぶどう酒に氷を入れて飲む人がいて、その人はいろいろと評判が悪かったなあ……とほとんど関係のないことを思いだした。
「でも、グラスそのものを冷やすと、今度は満遍なく冷えちゃってさ」
「なるほど」
俺は少し考えた。
「要するに、冷やしたいのは冷やしたいけど、同じグラスの中で二段階に冷やしたいって事だな」
「うん! さすがヘルメスちゃん、理解が早い!」
俺は腕を組んで、斜め上を眺める思案顔をした。
「それなら……パッと思いつく限り二つ方法があるな」
「どんな?」
「一つ目は……今すぐには難しいけど、特注のグラスを作る」
「特注の?」
「そうだ、上半分が木製、下半分が石製。そのグラスを冷やしたら――」
「そっか! 木の所はあんまり冷えないけど、石の所はめちゃくちゃ冷えるんだ」
「そういうことだ。でもそれは今すぐ作るのは難しい。飲みたいんだろ? すぐに」
「うん!」
「だったら――」
俺は手をすぅと伸ばした。
二本指をビッと揃えて、突き出した。
指の先に魔力を集めた。
ギュイーン……と、冷気が凝縮される。
指先に突風が巻き起こる中、しばらくすると、その指の先に真っ白な氷ができた。
「これを使えばいい」
「氷? でもこれだと薄まっちゃうよ?」
「これは水の氷じゃない、空気の氷だ」
「空気の氷?」
「そう、空気の氷。ためしになんか安い酒持ってきて」
「うん!」
オルティアはバタバタと出て行って、すぐにバタバタと戻ってきた。
戻ってきたオルティアはグラスに入った酒をさしだしてきた。
「なるほど」
一目見て、そして匂いを嗅いだだけで分かる。
一たるいくら位の、とにかく酔うためだけの安酒だ。
俺はその中に空気の氷をいれた。
「わわっ!」
声にだして驚くオルティア。
空気の氷は、酒に入れ始めた途端溶け始め、白い煙がもうもうとたちこめた。
「すごい! そっか、空気の氷だから煙が溶け出してるんだ」
「まあ、な」
本当はそういう訳でもないんだけど、それでオルティアが納得するならそれでいっかって思った。
「へえ、すごい……あっ、本当だ。冷えるけど薄くならない」
オルティアは未だに白い煙がもうもうと立ちこめる酒に口をつけて、目をきらきらとさせだした。
「すごいねヘルメス。これなら冷やすけど薄くならないね」
「そういうことだ」
「ねえねえヘルメスちゃん、その空気の氷をもっとつくって。二人分」
「ああ」
俺は頷いた、もとよりそのつもりだ。
指を突き出して、空気の氷を追加でつくる。
オルティアはもう一度部屋から飛び出していって、今度は古びた瓶をもって戻ってきた。
おそらくそれが、オルティアが言ってた酒なんだろう。
俺が空気の氷を作っている横で、オルティアは慎重に酒瓶の封を切って、蓋をあけていた。
娼館、それもある程度高級の娼館では、古い酒を提供する時に、客の前で封を切ってみせる事がよくある。
表向きは、ちゃんとした高級の酒をだした、それも混ぜ物をしていないというアピールなんだが、実際にはもうひとつ別の意味が隠されている。
高級な酒の封を切ることを、処女を捧げるメタファーにしているのだ。
俺はその事を気にしないが、このやり方がずっと残っているということは、それが多くの客に好評だってことなんだろうな。
そんなことを思い出している内に、オルティアはグラス二杯分の酒を注いで、こっち持ってきた。
「ヘルメスちゃん」
「ああ」
俺は作りたての空気の氷をグラスに入れた。
たちまち、白い煙が立ちこめる。
「……いいね、なんか」
オルティアはいつもと違って、しっとりとした空気を纏いながら言った。
不思議なことに、さっきと同じ光景だが、高級な酒が白い煙を纏っているだけで、荘厳で美しい光景に見えてくる。
俺はオルティアからグラスを受け取って、アイコンタクトで頷きあってから、同時にその酒をのんだ。
オルティアの言う通り二段階に冷えた酒は、まるで違う酒の様な深い味わいだった。
「……はふぅ」
オルティアは頬に手を当てて、なまめかしい吐息をもらした。
「ヘルメスちゃん、この飲み方いいね」
「ああ」
「ねえ、空気の氷って作るの大変なの?」
「いや? そんなでも無いぞ」
お酒がはいって、ほどよく気分がよくなった俺は、オルティアに空気の氷の造り方を教える事にした。
「普通の魔法で氷を作るのって、ものすごく雑に言うと、魔力で温度を下げて空気の中にある水気を冷やして氷にするんだ。冷えたグラスの周りに水滴をつけるのと同じことだ」
「なるほど! それは知らなかった」
「で、空気の氷ってのは、温度を下げる氷の魔法と、空気の渦を作り出す風の魔法を同時に使うんだ」
「同時に? なんで?」
「空気の渦を作ると、湿った空気と乾いた空気に勝手にわかれてくれるから、後は乾いた空気の中で冷やせば空気の氷ができる」
「そかそか、でもそれ、すごく難しそうだよね。まったく違う魔法を二つも同時に使うなんて」
「二人でやればいいんだよ。一人でやるから難しくなるだけで」
「え? あそっか。一人でやりきる必要ってないんだ」
「そういうことだ」
「そかそか。じゃあ結構簡単にできそうだね」
「ああ、できるはずだ」
うん、そうだな。
酔っ払っててついついやらかしそうになったけど。
それを一人でやったらすごいって言われるかもしれないけど、あらかじめ、今後もやりたがってるオルティアに二人でならっていえば問題ない。
うん、よし。
俺はますます上機嫌になって、オルティアと、よく冷えた高級酒を楽しんだ。
☆
俺の考えは間違ってなかった。
空気の氷の作り方は広まったが、別に俺の発祥で、だから俺がすごいって事には一切ならなかった。
だけど――。
その後しばらく、安酒でも空気の氷を入れて、白い煙と一緒に飲み干すという「ヘルメス飲み」が流行ってしまうことを、この時の俺はまだ想像だにしてなかったのだった。