122.とっくに手遅れかもしれない
「はあ……」
書斎の中で、俺は盛大にため息をついていた。
机に頬杖を突きながら、げんなりしている。
「はあ」
「どうしたのですかヘルメス」
「んあ? 姉さんか……」
顔を上げる。
いつの間にか部屋に入ってきていた姉さん。
彼女は小首を傾げて、不思議そうに俺を見つめている。
「あらあら、本当に元気がないのですねヘルメス。本当に何かあったのですか?」
「それがなあ……」
俺はため息をついた。
このため息の原因なんて、この世で一番姉さんにいってもしょうがない事なんだが、あまりにもげんなりしすぎて、姉さん相手でも愚痴りたくなった。
「最近、なにをやっても評価が上がりっぱなしで、注目を集めすぎててさ。目に見えて面倒ごとがふえたんだ。それでどうしたらいいのかって思ってさ」
「まだそんな事を言っているのです」
姉さんは予想通りの反応をした。
やっぱりな。
姉さんは「ヘルメスはすごい!」って広めたい教の人なんだ。
この愚痴を話したところで呆れられるのは目に見えてたから、姉さんには一番言ってもしょうがないと思った。
「いい加減、諦めてくださいな」
「そうは言ってもなぁ」
俺は机の上に突っ伏した。
顔を机の上に転がして、ひんやりしてるところを転々とする。
まるでひんやりするところが、評価の上がらない安住の地であるかのような錯覚までしてきた。
「もーやだ、評価されない世界に行きたい。やだやだやだー」
「もう、子供ですか」
姉さんは更に呆れた。
ため息をついて、ジト目を向けてきた。
「仮にも私の弟父様である人が」
「それは姉さんが勝手にした事だろ?」
机の上でゴロゴロするのをやめて、姉さんを見あげる。
弟父様。
俺が家を継ぐとき、すんなりいくように、姉さんが王国に届け出を出して、自分を俺の養女にした。
娘なら父親を差し置いて継承する訳にはいかない、という言い訳だ。
俺は弟であり、お父様でもある。
それをくっつけた「弟父様」という呼び方を、姉さんは気に入っているのか、ちょくちょく使ってくる。
「はあ……もう、仕方がないですね」
「なあ?」
「そこまで言うのなら、ちょっとだけ協力をしましょうか」
「協力?」
机から離れて、顔を上げる。
姉さんのいう「協力」が引っかかった。
姉さんがこんなことを言い出すなんて。
ヘルメスすごいです教の姉さんがそんな事を言い出すなんて、あり得ない。
「……なにを企んでいるんだ?」
俺は思いっきり警戒した。
それに対し、姉さんはややあきれ顔をして。
「しょうがないじゃないですか、そこまで駄々をこねられると」
駄々をこねたら叶えてくれるのか?
それならこれからもーー。
「今回だけですから」
「――ちぇっ」
まるで俺の心を見透かしたかのように、姉さんが言ってきた。
このあたりはやっぱり姉さん、さすが姉さんって所だ。
しかし……本当か?
俺はまだ警戒していた。
警戒している目で、姉さんに何か企みはないか、と見逃さないように見つめた。
「そこまで警戒されると傷つきますよ、ヘルメス」
「傷つくって、姉さんに限って」
「ああ、なんと言うこと。ヘルメスにそんな風に思われていたなんて」
姉さんは顔を背け、袖でその顔を隠して「よよよ……」ってなった。
まったく芝居がかったやり方だ。
「はあ……わかった。本当に教えてくれるのか?」
「ええ、今回だけ」
「今回だけ?」
「今回だけ、です」
姉さんはそう強調した。
今回だけか……なら、乗っかってみてもいいか。
姉さんの場合、そういう言い方をしたときは、そこまで何かを企んでるとかあまりない。
少しは、信用できるかもしれない。
とりあえずは、と俺は話を聞いてみることにした。
「本当に、評価下げる方法を教えてくれるのか?」
「ええ、ちゃんと評価が下がる方法です」
「本当に?」
「ヘルメスが変にやらかして失敗するのまでは責任は持てませんよ?」
ちょこん、と小首を傾げながら言う姉さん。
そりゃまあ……俺の失敗まで姉さんのせいにするつもりはないが……。
そういうことなら。
「教えてくれ姉さん」
「簡単な事です。今からこの屋敷にいるメイド達、彼女達全員に、セクハラをしてくればいいのです」
「なに!?」
いきなりなにを言い出すんだ姉さんは。
屋敷のメイド全員にセクハラって。
「そんな事、出来るわけが無いだろ?」
「別にひどいことをしろとは言いません。簡単に、メイド達にすれ違いざま、お尻を揉み拉く、くらいの事でいいのです」
「尻を揉む……」
俺は考えた。
なるほど、そういうことか、と思った。
たしかに、それをやれば評価は下がるかもしれない。
一人とか二人とかじゃなくて、見境無しに全員にやっとけば評価は下がるかもしれない。
かもしれない、のだが……。
「でもなあ……」
俺がまごついていると、姉さんはいつにない厳しい表情で。
「ヘルメス」
と、俺の名前を呼んだ。
「あれもだめ、これもだめ。そんなのはだめな男の言うことですよ」
「うっ……」
姉さんに正論で殴りつけられた。
姉さんの言うとおりだ。
こういう「デモデモダッテ」は男らしくない、かっこ悪い。
ぶっちゃけ、ちょっと嫌い。
「ヘルメスは自分の評価を下げたいのでしょう?」
「ああ」
「だったらこのやり方は?」
「……効果的、だと思う」
「だったら?」
「……そうだな」
俺はちょっとため息をついた。
姉さんの言うとおりだ。
デモデモダッテはやめて、とにかくやってみるか。
「わかった。ありがとう姉さん」
「頑張ってください」
「……笑顔の理由が怖いけど」
「ヘルメスの事ですから、今後も評価あがるし、でしたら一旦下げて反動をつけるのも悪くない、と思っているだけですよ」
「んぐ……」
ぐうの音も出なかった。
なんかそれはすごく簡単に想像できる光景で、なにも言い返せなかった。
言い返せなかったけど、そっちはそっちで、気をつければいいだけの話だ、とおもったのだった。
☆
執務室を出て、屋敷の中をぶらつく。
少し歩いていると、階段の手すりを拭いているメイドを見つけた。
屋敷の階段は、一部銀を使った装飾が施されているから、常に拭いて手入れをしなければならない。
それをメイドがやっていた。
俺はそのメイドに近づき、後ろから声をかけながらお尻を触った。
「よっ、仕事をしてるな」
「きゃっ! なにをするんですか――って、ご主人様!?」
メイドはパッと振り向いて抗議しようとするが、それをやったのが俺だと気づいて、振り上げた拳がそのまま固まって、表情も驚愕に変わった。
「あはは、頑張れよ」
そう言って、驚きすぎて固まったメイドを置いて、つかつかと立ち去った。
今度は柄のついたモップで窓を拭いているメイドを見つけた。
屋敷の窓には、床から天井まである、人間の背丈よりも高いものが多い。
窓拭きも、柄のついた道具じゃないと上まで拭けない所が多い。
それをやっているメイドに近づき、同じように後ろから声をかけて、お尻を触った。
「おっ、仕事してるな」
「ちょっとなにするのよ!」
メイドはびっくりして、振り向きざまモップをぶん回してきた。
それをしゃがんで避ける。
「って、当主様!?」
「仕事頑張れよー」
振り抜いたモップをもったまま固まるメイドを置いて、更に屋敷の中を徘徊。
次のメイドを見つけた。
干したものだろうか、取り込んだばかりのシーツを大量に抱えて、前があまり見えない状況で歩いている。
それに近づき、後ろからお尻を揉む。
「ひゃう! だ、だだだだだれれすか!?」
「仕事頑張ってるかー?」
「へへへへヘルメス様!?」
「頑張れよー」
シーツをぶちまけそうになるメイドを置いて、その場から立ち去った。
その後も、メイド達のお尻を揉んで回った。
「いいケツしとるのう」
「ゲヘヘヘ、やわやわだー」
「ふはははは、良きかな良きかな」
途中から、あえて、ノリノリで揉んで回った。
やるなら、徹底的にだ。
中途半端にやってもしょうがない。
更に遠慮したり、申し訳ない顔をしたらダメだ。
徹底的にやって、なりきらなきゃ意味がない。
そう思って、役になりきって、とにかく尻を揉んで回った。
その日のうちに、屋敷にいるメイド達全員。
全員のお尻を、頑張って制覇した。
☆
次の日、執務室の中。
俺は聞き耳を立てていた。
屋敷の中程度なら、その気になれば、執務室にいながらでもどこで誰がなにを会話しているのかが分かる。
それで聞き耳を立てていると、キッチンあたりで世間話をしているメイド達の会話が耳に入ってきた。
「ええっ! それじゃあなたもご主人様にお尻を触られたってこと?」
「そうなのよ! って、も? もってことは、あなたも?」
「うん、いきなり触られた」
「あ、あの……私も、触られ、ました」
「私も私も」
「あたしもだわ」
その場にいる全員が次々に、たぶん手をあげた感じで名乗り出た。
そりゃそうだ、だって全員触ったんだから。
「もうっ、なにをやってるのよご主人様!」
最初に言い出したメイドがぷんすかって感じで怒った。
お? これはいい流れだぞ。
このままメイド達による愚痴大会に発展するか?
姉さんのアイディア、バッチリだったみたいだな。
「で、でも……あのご主人様、ご主人様らしくなかった、です」
んあ?
なんだ?
なんだこれは。
この感じ、糾弾する感じじゃないぞ。
いやまてまて、まだ慌てるような時間じゃない。
一人くらい、擁護する子も出るさ。
「あー、そうね、確かに普段の当主様らしくないわ」
「ヘルメス様ってそういう事をする人じゃないもんね」
「そういえばお酒は――」
「飲んでなかった」
「うんなかった」
「なかったなかった」
「お酒のせいでもない、っと」
……あれ?
なんか想像してたのと違うぞ。
なんで糾弾大会が始まらないんだ?
「素面で、私達みんなのお尻を触って回ったのか……なにか考えがあっての事かもね」
「そういうより、何か大事な事をしてる最中か、そのカモフラージュ?」
「あり得る、ご主人様なら」
「そっか、そういうことなら、あたし我慢する」
「私も」
「しょうがないから私も我慢するわ」
あれれれー。
なんか納得されたぞ。
いやそんな事はまったくないよ?
単に悪いことして評価下げたかっただけだよ?
もしもしみなさーん。
なんというか、効果が無かったようだ。
これって、無駄骨だったのかな。
なんて思ったが、結論から言うと、無駄骨じゃなかった。
「でも、ご主人様ってすごい」
へ?
「なにをしてるのか分からないけど、それを隠すためにこんな嫌われる事をするなんて」
「ああ、最悪な男を演じてでもやってるって事でしょ。すごいわ」
「やっぱりヘルメス様って素敵なご主人様だね」
メイド達が次々と、勝手に勘違いして、勝手に評価を上げてきた。
え、ええ、えええ!?
セクハラをしただけなのに、深い考えとかまったく無いのに。
本当に悪いことをしても、評価は上がってしまう。
もう俺、どうすればいいのよ。
セクハラをしても、本当に悪いことをしただけでも、評価はあがった。
もう、どうすればいいの。