117.悲劇の喜劇(前編)
あくる日の執務室。
執務室に入って、当主の席に着く俺。
さあ執務開始、と思ったらいつもと様子が違うことに気がついた。
家臣団じゃなくて、ミミスが一人で立っている。
しかもそのミミスが、いつになく真剣な――いや深刻な表情をしている。
いつもは渋い顔だがそれは真剣みが強いだけで、こんなに深刻って顔じゃない。
それに……何ももってない。
普段は大量に報告用の書類を持っているのに、今日は何も持ってない。
他の家臣達も一人もいない。
……なにがあったんだ?
「どうしたミミス」
「緊急事態です、ご当主様」
「緊急事態?」
頭がシャキッとした。
どうやら、今日はのんびり構えて「よしなに」だけ言ってればいいって状況じゃなさそうだ。
ミミスがここまで深刻で、かつ「緊急事態」ってストレートに口にするって事は。
面倒臭い、っていってられるような事態も越えているのかもしれない。
……まさか。
「また隕石が落ちたのか?」
真っ先に、俺はそれを思いついた。
俺が当主になったきっかけ、その後もずっと俺に取り憑いている、謎の隕石落下。
それがまたどこかで起きたのか? と思った。
「いいえ、そうではありません」
ミミスはきっぱり否定した。
「もっと緊急事態です」
「どういうことだ?」
「アクリスの異常繁殖が確認されました」
「アクリス……? なんか聞いたことがあるな。なんだっけ」
俺が聞くと、ミミスは手をあげて合図を送った。
すると、一人のメイドがワゴンを押して執務室に入ってきた。
普段は執務中にここには立ち入らないメイド。
ミミスがあらかじめ待機させたんだろう。
そのメイドが押してきたワゴンの上に、白い皿があって、皿の上にパラパラと黒い豆粒のようなものがあった。
「こちらです」
「それは?」
「これがアクリスでございます」
「ふむ」
俺は立ち上がって、ワゴンに近づいた。
近くよるとはっきり分かる。
黒い豆粒のように見えたのは、ゴマくらいの大きさの虫だった。
虫は皿の上でうごめいている。
「これがどうしたって?」
「異常繁殖でございます」
「異常繁殖って、どれくらいだ?」
「数カ所の被害が出ている村や町からの報告は全て同じものでした」
「ん?」
ミミスの深刻さに、俺も引っ張られた。
直後、更に驚かされることになる。
「空が消えた、と」
「空が消えた……まさか」
俺はハッとした、ミミスは頷いた。
「はい、大量に発生して、空が見えなくなるほどの数になった、ということでございます」
「うわぁ……」
それはまずい、と思った。
「まずいな、そんなに繁殖されると」
「はい。下手をすれば……国が滅びます」
「どういう事だ?」
俺が何も知らないと分かると、ミミスは説明モードに入った。
「このアクリスの真の恐ろしさは数ではありません。いいえ、数も驚異なのですが」
「まさか、人間を食ったりするのか」
「いいえ、このアクリスは肉はおろか、野菜――草木も食べません」
「じゃあなにが恐ろしいんだ?」
「真に恐ろしいのは――これが水を摂取する事です」
「水を?」
「はい、水を摂取し、それだけで繁殖できます」
「水か」
「はい、水のみです」
「水のみか……って水?」
「はい」
ミミスははっきりと頷いた。
「その数で」
もう一度、はっきりと頷くミミス。
俺は驚愕した。
複数の村や町で報告されるほどの、「空が消えた」ほどの数。
それが一斉に、水を摂取して繁殖する。
それは……ヤバすぎる。
川とか池とか、水が根こそぎ持ってかれるぞ。
「なんでまた……」
「わかりません」
ミミスは静かに首を横に振った。
「アクリスは通常時から自然に存在していますが、蠅や蚊と大差ない数で、かつこの図体なのでなにも起きませんが、何かの拍子で異常繁殖します」
「……」
「そうなると大変です、これが通った後は水分が根こそぎ奪われます。既にいくつかの村は砂漠化しているとの報告も」
「砂漠化!?」
俺の予想した物以上にヤバい感じだった。
「はい、土の中の水分も根こそぎ奪っていきますので。動植物からは奪えないので、それが逆に真綿で首をじわじわ絞めるような事に」
「それはヤバいな」
「如何いたしますかご当主様」
前提となる報告が終わって、ミミスは俺に聞いた。
「どうすればいい?」
俺はそのままミミスに投げ返した。
今はこうするしかない。
俺はアクリスについてほとんど何も知らない。
説明を受けても、実態は俺の想像を遙か上を行っていた。
この状態でなにか決断をするのはよくない。
まずは情報を。
徹底的に情報を、と思ってミミスに一旦投げ返した。
「まずは、アクリスの進路の見極め、しかる後にルート上の住民の避難、村や町の放棄」
「放棄?」
ちょっと驚いた。
「はい、あれは紛れもなく天災。どうしようもありません」
「退治は?」
「これが『空が消えた』位繁殖し、それが更に複数箇所ともなると、数は少なく見積もっても数千億という域にあるかと……」
ミミスはため息をついた。
その先の言葉は口にはしなかったが、よく分かる。
退治できるようなレベルじゃない、まずは逃げて、「嵐」が去るのをじっと待つしかないんだ、と。
皿の上に乗っているごま粒のような虫を見た。
たしかに、これが数千億ってレベルなら――ふつうの方法じゃ退治は無理か。
「……わかった、すべて任せる。緊急事態だ、やれることは全部やっておけ」
「かしこまりました」
ミミスは執務室から退出した。
「……しょうがないな」
俺はやれやれとため息をついて、立ち上がった。
☆
空から、地上を見下ろした。
前にも来たことのある草原が、今は真っ黒だ。
この高度、この距離。
ここから見ると、もはや黒いじゅうたん、のような何かにしか見えない。
時々元の草原のように、波打ってうねっているのが、それが黒に染まった大地じゃなく、アクリスの群れである事を主張している。
黒い集団の最後尾を見た。
通った後は、草が散乱している。
草からは水を奪えなかった。
しかし草原の土からは根こそぎ水分を奪っていった。
その結果、草原の至る所が掘り返されたような形になって、掘り返した所は例外なく砂地に変わり果てている。
「ヤバいどころじゃないな」
空の上で、俺は独りごちた。
実際に自分の目で確認してよく分かる。
これは――放っておいていい物じゃない。
すぅ……と息を深く吸い込んで、俺は魔法を唱えた。
詠唱つきの、広範囲を焼く大魔法だ。
あのスライムロードすら焼き尽くした炎の魔法は、アクリスの集団を飲み込んで、完全に焼き尽くして消滅させた。
黒いじゅうたんの上に、煙草を落としたかのように穴が空いた。
しかし――。
「再生に見えるぞちくしょう」
思わず悪態を吐いてしまうほどの事態がおきた。
焼き尽くして穴を開けたアクリスの集団は、すぐさま再生をしたかのように、またびっしりとアクリスで埋め尽くされた。
繁殖しているのか、それとも単に数が多くて「列を作り直した」だけなのか。
「……両方か」
眼をこらすと、はっきりと増えているのが見えた。
土の中から水を摂取しただけで繁殖しているようだ。
これは、放っておけばおくほど、大事になってしまう。
「ちまちまやっててもしょうがない――いくぞ」
カッと目を見開き、魔力を高める。
スライムロードを焼き尽くした時の100倍に及ぶ範囲の炎の魔法で、アクリスを焼いた。
炎の竜巻がアクリスの集団を飲み込んだ。
飲み込んで、焼き尽くしたあと、黒いじゅうたんは再び再生したような光景をするが――。
「ふう、ちゃんと薄まっているな」
空から見下ろしたら、真っ黒じゃなくて、少しは地面が見えるように、まばらになった。
数は着実に減っている。
俺は少しほっとした。
これは要するに、増える以上に減らせばいいって事だ。
「ことわり」が通じない集団だったら困ったが、そういうことならどうとでもなる。
「ちゃちゃっとやるか」
俺は更に、魔力を練って炎の竜巻を放った。
アクリスを次々と焼いていった。
焼くごとにアクリスの集団は「薄く」なっていく。
それだけじゃない。
ある程度の薄さになると、今度は集団の範囲が縮小されていった。
着実に数が減ってる。
それでますますいけると思った俺は、更に数発の炎の竜巻を放った。
合計十数発放って、スライムロードにかかった数百倍の魔力を使って、アクリスの集団を全滅させた。
「よし、ここはこれでいっか」
空から見下ろしながら、額に浮かんだ豆粒大の汗を拭う。
アクリスが見えなくなったから。
「つぎ」
そうつぶやいて、俺は報告を受けた、次の場所に飛んでいった。
☆
一通り焼き尽くした後、屋敷に戻ってくる俺。
リビングの中、夕日の中でぐでっとなった。
疲れた。
久しぶりに疲れた。
こんなに疲れたのは久しぶりだ。
今日はもう……何もしたくない感じだ。
だが。
「ここにおられましたか、ご当主様」
リビングにミミスが飛び込んできた。
彼が執務室じゃなくて、パーソナルなスペースにやってくるのはものすごく珍しいこと。
俺はソファーの上でぐでっとなったまま、聞いた。
「んあ? どうした……」
「大変な事がおきました」
「また?」
「アクリスの件でございます」
「ああ……消えたんだろ、謎の現象で。それは――」
「いいえ、それから再発生したとの報告が」
「なんだと!?」
俺は体を起こした。
ソファーに倒れていたのが起き上がって、ミミスをじっと見つめた。
「状況を追いかけさせている物の報告によれば、原因不明の熱風に次々と飲み込まれましたが、数匹が残っていたようで、そこから倍々ゲームのごとく再生したとのことです」
「なに!?」
「しかも、今度は水を必要としないようです。見ていた者がいうには、まるで進化したようだ、と」
「……種の存亡危機に追い込まれて進化した、ってことか?」
「おそらくは」
「くっ」
☆
夕暮れの中、俺はさっきの草原に飛んできた。
見下ろした先は、アクリスの集団がある。
びっしりと、まるで黒いじゅうたんのように再生している。
夕暮れに照らし出されるそれは、真っ昼間とは違った不気味さを醸し出していた。
「本当に再生してる……」
俺はげんなりした。
空から見下ろしただけで、全滅だと思ったのがまずかったみたいだ。
ちゃんと、全滅させないとダメだったんだ。
「これは疲れるからいやなんだが――しょうがないか」
目を閉じて、詠唱する。
昼間、集団を焼き尽くしたのと同じくらいの魔力を使って、一粒の黒い玉を産み出した。
高い魔力を凝縮させてつくった弾を、アクリスに投げる。
その弾は一匹のアクリスに当った。
飲み込んで、弾が二つに増えた。
二つのが弾がそれぞれまたアクリスに当って、飲み込んだ。
そして、それぞれ分裂して、四つになった。
それが次々とアクリスを飲み込んで、次々と増えていく。
途中で爆発的に増えていき、瞬く間にアクリスを全滅させた。
俺は地上におりた。
増殖した黒い玉が、飲める物がなくなって次々に破裂していく中、目を皿のようにしてまわりを見回す。
今度はちゃんと、アクリスが全滅したのを確認してから、次のポイントに飛んでいった。
この日、あっちこっちに飛んで「ぶらっくほーる」を使って回った俺は。
人生で、一番疲れる一日になった。