116.確定でバレる
昼下がりの屋敷、執務を終えた後のくつろぎタイム。
リビングの中で、俺はくつろぎながら、エリカにべたべたされていた。
もはやなじみとなってしまった、エリカのべたべた。
慣れって怖いもんだ。
今更この程度――と思った俺は彼女の好きなようにさせた。
「……ねえダーリン」
「どうした」
ふと、エリカが思い出したようにきいてきた。
俺にべたべたしていたが、体を離して、まっすぐ見つめてくる。
声のトーンがいつになく真剣だと思えば、見つめてくる目もかなり真剣だ。
何事だ?
「ダーリンって、注目されるのがいやなの?」
「……なんで急にそんな事を?」
「本当にそうなの?」
「まあ、そうだな」
俺は静かにうなずいた。
隠すことじゃないし、むしろエリカくらい俺をずっと見てたらいやでもわかるものだろう。
だから隠し立てしないで普通に頷いた。
「どうして?」
「そりゃあ、注目されて、力があるって分かると面倒臭いじゃないか」
「面倒臭いの?」
「ああ。面倒臭いね」
実に面倒臭い。
これはもう、体験済みだから自信を持ってはっきりと言える。
「というか面倒臭いだけならまだマシな方だ。力があるって分かられて、それで頼られて頼られて、次々と『あんただけが頼りだ』って逃げ場がないようにされて、過労死寸前まで働かされる事もよくある」
「……そうね、そういうケースもあるよね」
エリカはうつむいた。
心なしかシュンとしおれている。
いつもの彼女らしくないと思った。
いつものエリカなら、「それは力ある人の義務だよ!」とか「ダーリンなら小指一つでちょちょいのちょいだから過労死しないよ」とか。
その手の事を言ってくるもんだと思ってた。
だが、エリカはそうは言わなかった。
どうしたんだろうと思っていると、彼女は顔を上げて――悲しんでいるやら誇らしげやらの、とても複雑そうな顔をしていた。
「ねえダーリン知ってる?」
「んあ?」
「リカ様ってね、実は過労死だったんだよ」
「なに」
びっくりした。
思いっきりびっくりして、眼を見開く勢いでエリカを見た。
リカ・カランバ。
エリカが信奉し、名前を「拝借する」ほどの人物。
カランバ王国史上最高の賢王と呼ばれた女だ。
エリカはフッと笑い、さらに複雑になった表情で続ける。
「もちろん、歴史書にはそんな事は書かれないよ。でも、研究を進めていけば行くほど、そうだとしか思えないんだ。豪腕で厳しくて。他人にも自分にも厳しい人。毎日夜遅くまで数百件の政務を自分の目で隅から隅まで目を通して、ご飯は合間に味の濃い物を適当にかきこむだけ」
「……そりゃ早死にするわ」
エリカの話をざっと聞いただけでも、もう早死にするタイプにしか聞こえなかった。
そういうタイプだったのか、リカ・カランバというのは。
「でも、名君が過労死したなんて外聞に悪いから、公式では否定してるの。歴史上最高の名君は神格化しないとダメなのよ」
「だろうな」
「でも状況的にそうとしか思えないし、知ってる人は結局知ってるし、秘密なんて三人知ってれば結局漏れる物だから」
「前も言ってたなそれ」
エリカ一流の表現に、俺は微苦笑した。
だが、まさにそれだ。
力があるって知られると、その人間のところに仕事がつぎつぎと集まる。
この世で一番暇なのは無能な貴族。
そこそこに忙しいのは庶民。
有能な貴族は、朝から晩まで休みなく働かされるもんだ。
だから俺は、力を隠して、ひっそりと生きたかった。
「まあ、それなら話は早い」
俺は微苦笑したまま、肩をすくめて、エリカに言った。
「そういうわけだから、俺は目立ちたくないんだ」
「うん、納得した。なんでだろうって思ってたけど、ダーリンがそういう考えだって知って納得した」
そう言いながら、エリカはうつむき加減で、思案顔をする。
分かってくれたか。
もしそうなら……ありがたい。
生まれて初めて、俺の「本気出したくない」に協力してくれる子になってくれるのかな、エリカは。
そのエリカは、ふっと顔を上げて、満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ……目立たなきゃいいんだよね」
「目立たなきゃいいって――どういう事?」
「待っててダーリン、エリカ頑張ってくるから!」
エリカはそう言って、ぱっと立ち上がって、部屋から出て行った。
「お、おい」
急な事に出遅れた俺。
引き留めようと伸ばした手が空を切る。
……頑張るって、何を?
なにを頑張るっていうんですかエリカさん。
悪い予感がした。
すごく悪い予感がした。
ものすごく悪い予感がした。
どうしようもなく悪い予感がしたけど、こっちから動くのもますます状況を悪化させそうだし、「目立たなきゃいい」っていうエリカの台詞がストッパーになった。
執務と同じで、そのコンセプトを守ってくれたらいい――のか?
と、俺は思ったのだった。
☆
数日経って、執務が終わった後の執務室。
ミミス達と入れ替わりに、姉さんが部屋に入ってきた。
「お疲れみたいね、ヘルメス」
「姉さんか、まあそこそこにな」
俺は椅子に座ったまま、伸びをする。
だらだらとやってても、執務は執務。
結局は疲れて、肩がこってしまう。
俺は伸びをして、ぐるぐると肩やら手首やら、あっちこっちの関節を回して、こりを自分でほぐしていった。
「今日は誰もいないのかしら?」
姉さんはそう言いながら、ニヤニヤしていた。
彼女は俺が、他の女の子と仲良くしてると嬉しがる傾向がある。
ここ最近、ずっとエリカが通い妻状態で俺にべたべたしてたから、それを見てた姉さんはいつ見ても上機嫌だ。
「まあ、そうだな」
「エリカ様はいらっしゃってないのですか?」
「ここ数日みてないな。まあ、彼女も忙しいんだろう」
何せカランバの女王だ。
エリカは俺に入れ込んでいるからと言って、政務をおろそかにするような女じゃない。
そこは彼女が信奉するリカ・カランバと同じで、執務に励んだ、のこったすべての時間を好いた男に捧げる、というやり方をした。
来られないと言うことは、その分忙しいってことなんだろうな。
「そうですか。予想以上に忙しいようですね」
「んあ? なんか知ってるのか姉さん」
「ええ。エリカ様、カケルの儀で忙しくしていると噂で」
「かけるのぎ?」
なんじゃそれは。
「知らないのですかヘルメス」
姉さんはそういう、またちょっと「ニヤッ」とした。
……あっ、悪い予感がする。
数日前に感じたヤツがぶり返してきた。
「待ってくれ姉さん」
俺は手をかざして、もう片方の手でこめかみを押さえた。
「どうしたのヘルメス」
「その、かけるのぎ、ってのは何なんだ?」
「男の人が知らないのも無理はないですね。五大国の貴族――特に王族の間に伝わる儀式よ」
「儀式」
「その家の当主が女性になったとき、様々な事情からお婿さんを公の場に出したくないときにするものなの」
「……へえ」
「みんな事情が色々あるのよ。身分違いの恋だった時とか、ねえ」
「なるほどな」
戯曲なんかによくある話だ。
「そのカケルの儀を行うと、この女の当主には表に出したくないけど伴侶はいるんだ、って事になるの。それは秘密にされる」
「秘密に」
「王族がするとそれはかなり厳しい物になるのよ、漏らした人は下手したら死刑にされる位厳しいのですよ」
「……そうなのか」
俺は頷き、合点がいった。
なるほど、エリカがあの日最後に言ってた「頑張ってくる」ってのはこの事なのか。
漏らした人間が死刑になるくらいの厳しさなら、結構な効力はあるんだろう。
エリカは特に容赦がない。
本気で漏らした人間を死刑にしかねない。
その相手が……まあたぶん俺で、俺を伴侶にするという話はちょっと引っかかるが、これならいっか、と思った。
思ったのだが……姉さんは何故かニヤニヤしていた。
「どうした姉さん。またなんかあるのか?」
「何でも無いですよ。そういえば彼女、こんな事もいってたわね、と思いだしただけ」
「こんなこと?」
「『三人が知っていれば秘密は秘密じゃなくなる』って」
「……あっ」
「うふふ。謙遜に何かを隠そうとした時、バレた時が余計大変になるわね」
俺は頭を抱えた。
そっちは姉さんが前に言ってたことだ、しかも実証済み。
って事は、エリカの言ってたことも……?
ヤバい、ヤバいどころじゃない。
三人どころか、この話は最低でも四、五人、下手したら十人くらい知ってる話だ。
こんなの、広まるに決まってるじゃないか……そしてバレて余計に大変な事になるじゃないか。
「……おっふ」