115.根は真面目
山の中のコテージ。
俺とエリカの二人っきり、着衣に乱れあり。
エリカは赤らんだ顔で、嬉しそうに俺を見つめている。
……。
…………。
………………。
待て、何がどうしてこうなった。
というか、俺は何をした!?
思い出せ、思い出すんだヘルメス。
それはたしか……数時間前の事――。
☆
屋敷からエリカに無理矢理連れ出されて、馬車に乗せられて数時間。
俺達は、山中のコテージのような所にやってきた。
ほどよく辺鄙で、ほどよく雅な環境。
そこで俺達を出迎えてくれたのは、無愛想な格好をした、ヒゲ面の中年男。
俺達を出迎えて、コテージの中の食堂みたいな所に通すと、男はさっさと奥に引っ込んでいった。
残ったのは俺とエリカ。
エリカは俺の横に座って、上機嫌でべたべたしてくる。
「ここはどこだ?」
「料亭だよ」
「料亭?」
「うん! エリカ調べたの。ここ、ダーリンの領内で一番隠れた名店。山の珍味を色々出してくれるところなんだよ」
「へえ……そんなのがあるのか」
俺は室内を見回した。
言われて見れば、それっぽい。
最初は食堂だと思っていたが、そうと分かればなるほど料亭のように見えてくる。
「しかしなんでまた」
「ダーリンとデート」
「あっはい」
その一言で全てを理解した、そしてそれ以上の理由を追及する必要はないしそもそも存在しないだろうとわかった。
エリカにとって、俺と遊ぶ以上の理由はないんだろう。
「ねえダーリン」
「ん?」
「ここ、温泉もあるんだ。後で一緒にはいろ」
「いや温泉は……」
猿が巨大化する恐れもあるし……と一瞬思ったがいわなかった。
そうこうしているうちに、さっきのヒゲ面の男が料理を持ってきた。
芳しいが、複雑な香りだった。
色合いは濃くて、香辛料がたっぷり効いたタイプの料理だった。
「やけに香辛料が使われてるっぽいな」
「うん! エリカも下調べしたときに気になって聞いたんだけどね、野性の獣の肉だから、香辛料をたっぷり使わないと獣臭くて食べれたものじゃないって」
「へえ」
そりゃ……そうか。
そういえば大昔に、何かの本で熊の肉の味について書かれてたのを思い出す。
完全に野生の熊の肉はまずいが、人里に降りて人間が食べてる物を食べた熊の肉は美味い、って。
やっぱり養殖とか家畜は偉大ってことだな。
「はい、ダーリン」
「ん?」
「あーん」
思考から戻ってくると、エリカが料理を一切れつまんで、俺に差し出してきてるのが見えた。
香辛料たっぷりソースたっぷりだからよく分からないが、たぶん何かの肉だろう。
いや、そんな事よりも……あーんだと?
「な、なんだ?」
「あーん」
「いや、それは」
「だめ?」
突き出した料理をちょっと下ろして、しゅん、となってしまうエリカ。
楚々として可憐な様子、そんな感じでしおれられると、極悪人になってしまったかのような気分になる。
すごく……断りにくい。
「そ、そういうのは人の目が」
「うん、エリカもそう思って、だから人が少ない所を選んだの」
「くっ」
思わず声がでた。
そうか、そういうことかエリカ。
なんで人里離れた名店をいきなり選んで連れてきたのかって思ったらそういうことだったのか。
だって、カランバの女王だ。
女王ともなれば、どんなごちそうだって取り寄せられるし、料理人ごと呼びつけるのも普通だ。
こんな山中までくる必要性が一つもない。
それでも来たのは、俺がこのかわしをすると見越してのこと。人気がないから大丈夫だ、と。
くっ、策士だな、エリカ。
「ねえ、ダーリン」
エリカはしっとりといってきた。
俺は小さくため息をついた。
「しょうがないな」
俺は諦めた。
人気がない、つまり他に見てる人がいないっていうのなら、まあそれでいい。
別にあーんは嫌いじゃない。
オルティアの所で毎回の様にしてもらってるしな。
エリカのそれを断るのは、それが悪目立ちするからだ。
娼館で娼婦に「あーん」をしてもらったからと言って目立つ事はない。
ここでも、見てる人がいなければしてもらっても問題はない。
念の為にまわりの気配を探ってみる。
うん、本当に他に人はいない。
さっきの料理人らしき男と、馬車の馬の気配と、後は小さな野生動物らしき気配だけだ。
これならいいだろう。
「あーん」
「やったー。あーん」
エリカは大喜びで、摘まんだままにしてた肉切れを俺に差し出した。
俺はそれはぱくっ、と口にした。
頬張って、咀嚼する。
「ふむふむ」
「どう?」
「脂身はすくないな、野生だからかな。香辛料がたっぷり使われてるように見えるけど、口にしたら丁度いいあんばいだ」
「だよね」
「料理人のスキルの高さと、この人以外が調理したのを食べない方がいいってわかった」
こんなに香辛料つかって丁度いいって事は、元の素材はものすごく獣臭いんだろうな、と想像にかたくない。
「じゃあ次……これもあーん」
「ん、あーん」
「こっちも飲んでみて、この店の手作りのバージンロードよ」
「バージンロード?」
「元々は娘が生まれたときに仕込んで、結婚するときに取り出して振る舞う事からつけられたお酒の名前だよ」
「へえ、ああ、結構いけるじゃないか」
俺はエリカに次々と「あーん」で食べさせてもらった。
うん、最初はどうなのかって思ったけど、美味い。
香辛料がたっぷり効いてる分、次々と入った。
料理も飲み物もすごく進んで、お腹が膨れてきた。
そして……
「ふぇ?」
なんか、世界も、回り出した。
なんで回るんだ? 世界。
また師匠が揺らしてるのか、これ。
「ダーリン? 大丈夫?」
「んあ? らいじょうぶらいじょうぶ。世界がぐるんぐるんしてるらけらから」
「……よし」
エリカは何故か小さくガッツポーズした。
「あえ? なんか……料理の人がどこかいったぞ?」
「行ってもらったの。ここから先は、エリカとダーリンだけの想い出だから」
「んあ?」
どういう事なのか理解するよりも先に、ひっついていたエリカは俺から離れて、目の前で服を脱ぎだした。
みるみるうちに、エリカは素っ裸になった。
「えりか……?」
「今度こそ、エリカをダーリンのものにして」
そして、抱きついてきた。
いや抱きつかれただけじゃない、俺の体に手を回したエリカは、服を脱がしてくる。
体が熱くなる、耳の付け根がカァッってなって、心臓がぱくぱくする。
プッツン。
耳元でその音が聞こえたと同時に、俺の意識が途切れた。
☆
ヘルメスはがっしとエリカの肩をつかんだ。
眼は血走っていて、まっすぐエリカを凝視している。
「やった。さあダーリン。エリカを好きにして」
エリカは眼を閉じた。
これからやってくるであろう、思いを遂げた瞬間の甘美さに思いをはせながら。
が、しかし。
想像していたそれは現実の物にはならなかった。
「エリカ」
「え? ダーリン?」
「そこにせいざ」
「ふぇ?」
「正座すりゅ!」
「は、はひ!」
眼を開けたエリカは、目が据わってるヘルメスの勢いに押されて、椅子の上で正座した。
そのポーズのまま、おそるおそるたずねる。
「ど、どうしたのダーリン。違う意味で怖いよ? どうせ怖いことするならエリカをめちゃくちゃにした方がいいな――」
「それはいかんぞ、いかんぞエリカ!」
「え?」
「おとこを酔わせて、おそわせるとかだめぜったい!」
「……」
エリカはぽかーんとなった。
予想の百八十度正反対の光景に、さしもの賢女王も思考がフリーズする。
「そんなのでうれしいのか!? だめ! もっとじぶんをたいせつにしる!」
ヘルメスはろれつもろくに回らないまま、エリカに説教した。
こんこに……こんこんと。
まるで堅物親父のように、エリカに説教した。
その説教は――
☆
意識が戻る。
目がしょぼしょぼする、頭がズキズキする。
喉の奥もヒリヒリするし、思考がまとまらない。
これは――酒か?
酒なんて、いつ飲んだんだ?
「おはよう、ダーリン」
「……えりか?」
俺はぱっと体をおこした。
気を失っていた俺は、エリカに膝枕をしていたようだ。
それでぱっと弾かれるように起き上がるが――更に驚く。
エリカは裸だった!
「え、えええええりかさん!? って俺も!?」
遅れて気づいたのは、俺も服がはだけていることだ。
俺は青ざめた。
酒、記憶がない、二人とも着衣の乱れ。
それらが意味する物は――。
ま、まままままままままっままま――。
お、おおおおおおおおちつけおれ、おちつくんだだだだだだ。
「大丈夫、ダーリン」
「えええええええりかひゃん!?」
更にパニックになって、声が裏返った。
「なあにダーリン」
「お、おおおおれ、エリカになにか――」
「大丈夫、何もしなかったよ」
「え?」
俺はきょとんとした。
「何もなかったよ」
エリカは同じ言葉をリピートした。
本当に、何もなかったのか?
もしそうなら――と、最低な事をしでかしてなかったことにほっとする俺だったが。
「なにも、しなかった?」
「うん、ダーリンとはまだ何もしてないよ」
「そ、そうか」
「だから、大好き」
エリカはそう言って、キスをしてきた。
俺の顔にキスの雨を降らせてきた。
理解が追いつかなくて、ぽかーんとなってしまう。
何もしてない、だから大好き?
それ……どういう事なんだ?
まったく分からない、分からないが。
「うふふ」
エリカはご満悦な顔をしている。
一体、何がどうなっているんだ?