108.天然シゴロ
「ご主人様、ご来客でございます」
屋敷のリビング、くつろぐ気にはなれなくて、どうにかエリカ・カオリ連合軍をうまくやり過ごせないかと悩んでいた所に、メイドが入ってきた。
「客? 今手が離せないところなんだ――」
「先日おいでになった方のお連れでございます」
「――暇になったぞ、うん。ここに通してくれ」
「かしこまりました」
メイドが恭しく一礼して、リビングから出て行った。
危ない危ない、危うく事態を悪化させる所だった。
先日おいでになった方のつれ……多分エリカの侍女のエレーニだろう。
今このタイミングで、向こうからやってきたエレーニを会わずにいたら、間違いなく事態が悪化するだろうな。
それはもう、コーラを飲んだらゲップが出る位当たり前の事だ。
しかし、この「コーラを飲んだらゲップが出る位当たり前」ってどういう事なんだ。
そもそもコーラってなんだ? 慣用句として存在してるから子供の頃から当たり前の様に使ってるけど、コーラなんて飲み物、一度も見た事ないぞ。
うーん、あれかな。
前に遺跡で発掘された、どらやきとかマヨネーズとか、あの辺と語感が似てる。
昔の人が作ってた飲み物かもしれないな。
俺がそんな、慣用句にちょっと疑問を持っている間に、うちのメイドに案内されて客がリビングに入ってきた。
「こ、こここんにちは」
やっぱりエリカの侍女、エレーニだった。
いつにもまして小動物チックに怯えているその姿は見ていてちょっと和んでしまう。
「えっと、来たのはお前だけなのか?」
「は、はい。エリカ様のお手紙を持ってきました」
「エリカの手紙? なんで? 本人はどうしたんだ?」
「え、エリカ様の言葉を復唱します」
エレーニはそう言って、ビシッと背筋を伸ばし、かかとを揃えて今にも「敬礼!」をし出しそうな感じになった。
そして――。
「本気でダーリンに勝って、ダーリンを手に入れたいから、それまではダーリン断ちするね――で、です」
「お、おう……」
その「ダーリン断ち」に果たして意味があるのかは分からないが、エリカの本気度が伝わってきた。
何かをする前に、一番大事にしてるものを断ってしまうのは、エリカだけじゃなくて普通の人もやってることだ。
願掛け程度の効果しかないって言う人も、ものすごく効果があるって言う人もいる。
それをエリカがやってきたというのは……ちょっと、いやかなりよくなかった。
「……もしかして、カオリもか?」
「は、ははい! 魔王も勝つまでは『甥っ子エナジー断ち』するって言ってました」
「そんなエナジー初耳だけど!?」
「ひぃ!」
というかかなりヤバイ、めちゃくちゃヤバイ。
あのカオリまでもが「俺断ち」するだって?
カオリは結構ノリで生きている。
そういうタイプは、間違いなくこういう「断ち」系が効く。
むしろ今にもカオリに会いに行った方がいいかもしれない、って思ってしまうくらいカオリの「甥っ子エナジー断ち」はヤバく感じた。
「あ、あの」
「え」
「ここ、これを」
エレーニはそう言いながら、ますますおどおどした様子で手紙を差し出してきた。
「ああ、悪い悪い」
俺はエレーニに謝った。
カオリの「甥っ子エナジー断ち」で突っ込んだ瞬間、彼女は悲鳴をあげて小さくなっていた。
元々小動物チックな感じで怯えがちな彼女だ、大声を出して脅かすのはあまりよくないな。
俺は――あまり笑えないけど――笑顔を作って、手紙を受け取った。
カランバ王国の印でされている封を切って、開けて中を取り出す。
中身は、降伏勧告の文書だった。
俺がちょっと前にやってた、正式な用語、正式な書体、正式な署名。
それらを盛り込んだ正式な文書。
降伏すれば悪いようにはしない、しかし抵抗すれば容赦はしない。
という内容を、古式ゆかしい文面で綴られていた。
エリカは本気でここを――いや、俺を狙ってきてるみたいだな。
俺ははあ、とため息をついて、手紙を封筒に戻した。
「ありがとう、読んだよ。えっとエリカには――ってどうしたんだ?」
返事の伝言を頼もうとして、エレーニがものすごく驚いている事に気づいた。
目が普段の倍以上に大きく見開かれて、口も大きく開け放たれてぽかーんとなっている。
「どうした」
「ど、どうして効かないんですか?」
「効かないって――ちょっと待って、これに何か仕込んだのか!?」
普通に持っていた封筒、瞬間、俺は親指と人差し指で摘まむように持ち替えた。
「の、のの呪いです。聖教会の不死の聖女様に頼み込んで、かか、かけてもらった不能の呪いです」
「怖いよ君!? って、さっき怯えてたのそのせいなの!?」
俺が大声を出したからじゃなくて、俺に呪いをかけようとした――いわば暗殺者的な緊張から来る怯えだったのか!
俺は封筒を見た。
確かに、うっすらと呪いの魔力的な物が残留している。
気づかなかったけど、これ、永続系の呪いだ。
「普通にレジストしてて気づかなかった……」
「ええっ……」
「ってか、なんの呪いだったんだこれ?」
「い、いい一生女の人とアレが出来なくなる呪いです」
「こわっ! ストレートに命をとりに来てくれよ頼むから!」
そんな死んだ方がましな呪い、万が一かかってたらシャレにならないぞ。
「し、しし死んでしまったら無敵です。ええ、エリカ様の中に永遠に生き続けます」
「あ、はい」
ものすごく納得出来る理由を言われた。
というか、それがわかるくらいの冷静さがあるのね。
俺はエレーニを見た。
ただ見つめるだけじゃなく、彼女という人間を見さだめるような目で見つめた。
これまで、エリカの侍女――飼っているペットって感じに思ってた。
いつもおどおどしてるし、エリカの命令に従ってばかりいた。
最初に会ったときも、エリカの命令で自爆しようとしてた。
だから、エリカに従うだけの子だと思っていたけど……違ったみたいだ。
少なくとも、今のエリカは彼女にこんな命令はしない。
「なんでこんなことをした――エリカの命令か?」
俺は一瞬考えて、あえてエレーニが怒りそうな聞き方をした。
「違います!」
案の定、彼女は強く否定した。
今までで一番よどみない口調で、全身で怒りを露わにするほどの強い否定だ。
「エリカ様だったら、手紙を届けに来た私を押し倒す様に仕向けます」
「なんでえ!?」
「英雄は色を好むから、エリカ様はそういう方がお好きです!」
「ああ……そうだっけ」
本日二度目の納得だ。
そもそもエリカと知り合ったきっかけが彼女のハーレムがらみだったな。
そのハーレムごと俺に献上しようとしてるから、そういうタイプが好きなのは間違いないだろうなあ。
「わ、私の独断です」
エリカに関係する主張が終わって、エレーニは元の、怯えが多分に混じる口調に戻ってしまった。
「ああ、あなたにエリカ様は相応しくありません。男としてダメになったら、エリカ様も自然と冷めていくはず。そう思って……」
「なるほどな」
まあ、今のエリカの事を考えたら、その呪い……最善とは言えないけど、まあまあ有効な手なのかもな。
呪いのかかり方にもよるけど、男性の機能にかける呪いなんて、発見するまで時間掛かるし、それをとくまでにも時間がかかる。
その間にゆるゆるとエリカが冷めていくのを待つ――ってのがエレーニの描いた絵図だったんだろうな。
「話は分かった」
「――っ!」
エレーニはビクッとして、目をキュッとつむって、小さく縮こまった。
当たり前の反応だ。
命に関わるようなものじゃないけど、これは暗殺と本質がおなじだ。
失敗した暗殺者の処遇なんて相場が決まってる。
エレーニはそれを知って、身がすくんでいるのだ。
「前も言ったけど、お前はもっと自分を大事にしろ」
「え?」
「今やってるの自爆と一緒だろ? 死を覚悟してこんなことをやってるんだから」
「それは……」
「お前は賢いいい女なんだから、こういう暴走はもうやめて、自分を大事にした方がいい。もったいなさ過ぎる」
「――っ!」
ズキューン!
「へ? 何今の音」
なんか変な音が聞こえた。
なんというか、ものすごく不吉な感じがする音。
ふと、エレーニの表情が目に入った。
「……」
「な、なんで顔赤くなってんの?」
俺はおそるおそる聞いてみた。
「あ、ああ赤くなんかなななななってないですすすすす!」
「分かった分かった、分かったから落ち着いて」
「ないですううううう!!」
まるで捨て台詞の様に言って、エレーニは脱兎の如く逃げ出してしまった。
意外な俊足に、俺はあっけにとられて、呆然と彼女を見送ってしまう形になった。
彼女がいなくなった後のリビングで、俺は。
「ま、まあ。赤くなんかなってないし、別に意味はないよな、うん」
と、今の事を忘れようとしたのだが。
「んふふ……見ましたよヘルメス」
「どわっ! ね、姉さんいつからそこに?」
いつの間にか現われた姉さんが、ニヤニヤして俺を見ていた。
俺は察した、姉さんが何を言おうとしているのか。
「待って、待ってくれ姉さん、アレは――」
「好かれちゃいましたね」
「ぐはっ!」
言葉にすると、本当になるような気がして。
それで強引にでも目をそらしていたのが――姉さんにはっきりと言葉にされてしまって。
俺は、がっくりと地面に崩れ落ちたのだった。