107.あなた疲れているのよ
執務室の中、俺は正式な文書用の羊皮紙にペンを走らせていた。
貴族としての正式な言葉使い、正式な書体、そして正式な署名。
それら全てを兼ね備えた、効力のある文書に仕上がった。
最後にそれを一通り頭から尻までチェックして、「よし」とつぶやいた。
そこにコンコン、とドアがノックされた。
「誰だ?」
「私です」
「姉さん?」
ドアが開き、姉さんが現われた。
彼女はニコニコしていて、両手で封筒を持っている。
「みて下さい弟父様」
「その呼び方はやめてくれと何回言えば――」
「これ、もらってしまいました」
「なにそれ?」
「エリカちゃんからのお手紙です、急に目の前に現われました」
「へ?」
ポカンヌ、って擬音が聞こえてくるくらい、俺は綺麗にポカーンとなった。
姉さんはそんな俺に向かって、封筒を開けて中を取りだし、読みあげた。
聞いた事のある文面だ。
一言一句、リナがもらっていた物と変わらない文面だ。
「どうしましょう弟父様、私弟父様のお嫁さんにされてしまいますわ」
読み終えた後、姉さんは演劇口調でそう言った。
ついでにニヤニヤしている。
俺は立ち上がって、姉さんに向かって行き、封筒ごと手紙を取り上げた。
「あら」
「そーい!」
そのまま窓を開けて、大空に向かって投げ捨てる。
それだけじゃ足りなくて、両手を星になりかけてる手紙に向かって交互に突き出して。
「あたたたたた!」
と、魔力弾を連射した。
明らかなオーバーキル、手紙は空中で跡形もなく消し飛んだ。
「おー」
姉さんはそれを見て、ぱちぱちぱち、と小さく手をならした。
「やりますね、ヘルメス。でも、それはいけませんよ」
「この手紙を姉さんが受け取る方がいけないと思う」
「いえそうではなく、そのやり方です」
「そーい?」
「いえ、あたたたの方」
「へ?」
どういう事だ? と姉さんを見る。
「初代様が御先祖様から聞いた話によると、魔力を無軌道に連射する攻撃は『負けふらぐ』というものらしいです」
「訳が分からない。ふらぐってなんだ?」
「約束された敗北の戦法、とも言うらしいですね」
「わけわからんものをちょくちょく残してるな初代は」
俺ははあ、とため息をついて、再び椅子に戻った。
最後にもう一度書き終えた文面をチェックして、封をしようとする。
「何をかいてたのですかヘルメス」
「これか? 家督を譲る文書だ」
「え?」
「姉さんに家督をゆずって俺は旅にでる――」
「そーい!」
姉さんは俺の手からそれをひったくって、豪快なフォームで窓から投げ捨てた。
重量感のある羊皮紙の文章は、あっという間に星になった。
「ああっ、せっかく書いたのに。何をするんだ姉さんは」
「それはこっちの台詞です。ヘルメスこそ何をしているのですか?」
「いやだって、このままじゃ大きな戦いが起きるだろ? 原因は俺で、俺がここにいなければそれは回避出来るだろ?」
「ヘルメス、あなた疲れているのよ」
「そうかな」
「そんな理由で、国王陛下が認めるはずがないわ」
「うっ……」
多分、間違いなく姉さんのいうとおりだろう。
あの国王陛下なら、こんな理由で俺の――隠居を認めるはずがない。
むしろ――。
「ヘルメスを追いだしたという理由で、カランバと正式に開戦するかもしれないですね」
「うっ……」
なんか、それは普通に想像出来てしまう光景だった。
普通なら「んな馬鹿な」って一蹴する程度の話だけど、あの国王陛下だ。
本当にそうしてもおかしくない、そう思わせるほどの出来事が、今までの積み重ねがある。
「そうだ、ヘルメス、旅行に行きましょう。例の温泉がいいかもしれません」
「旅行?」
「温泉に浸かって、リフレッシュするのです」
「そんな事で」
「ヘルメスあなたは疲れているのよ」
姉さんは同じ台詞を二度口にした。
「陛下がそのような事で家督を譲るのをみとめないのは、普段のヘルメスならすぐに分かったはずです。あんな面倒臭い物を書く前に」
「そう……かもしれない」
羊皮紙を使った効力のある文書。
正式な言葉使いに、正式な書体に、正式な署名。
それはどれも面倒臭かった。
姉さんのいうとおり、普段の俺だったらやる前に面倒臭いとか無理だとか思っているはずだ。
「今のヘルメスは判断力が落ちています。ここから少し離れて、温泉とかでリフレッシュするのが良いでしょう」
「だが、俺が今ここを離れて、もしその間攻め込まれたら?」
「やはりヘルメスは疲れていますね。ヘルメスがいなければ魔王は動けませんよ。なんの脅威にもなりません」
「うっ……たしかに」
カオリは地上最強の生物、本来なら恐れられる存在だ。
しかしカオリには鎖がつけられている、互角以上の相手じゃないと戦っちゃいけないという、前魔王のつけた鎖が。
俺がここからいなくなれば、たしかにカオリは何も出来なくなる。
それを姉さんに指摘されて、思わず呻いてしまった。
「そ、それでもエリカがいる。彼女の目的はここをせめ落とすこと。カオリが動けなくても彼女は動ける」
「それこそ簡単ですよ。立て札一枚ですみます」
「立て札?」
姉さんは無言で微笑み、執務机に近づいてきて、紙の上にさらさらとペンを走らせた。
「これを、エリカちゃんの進軍するって予想したルート上に建てておけばいいのです」
「なになに? 『留守を襲ったらきらいになる』……これでいいのか?」
「今のエリカちゃんは何より、ヘルメスに嫌われる事を怖がるはずです」
「そうなのか?」
「そうなのです。それが乙女心です、お姉さんが保証します」
姉さんはそう言って、文字通り胸を張った。
よく分からないが、ものすごい自信だ。
まるで実体験から来る言葉のようで、説得力があった。
「だから、これを立てておけば、ヘルメスがいなくても大丈夫ですよ」
「そうか……いや、それでもまずい」
「何がですか?」
「こんなのを立てたら、世界中に俺がエリカに好かれてるって認めたようなもんじゃないか」
「もうあんな手紙が出回ってるのにですか?」
「うっ」
またまた呻いてしまう。
姉さんのいうとおりだ、いうとおりなのだが。
「それでも、俺の方から認めるのはダメだ。それをやっちゃうと本当に既成事実化してしまう」
「なるほど、それも一理あります」
「だろ?」
「でしたら、エリカちゃんだけに分かるようにすれば良いのですよ」
「……なるほど、立て札に書いてる文字をエリカだけに見られるようにすれば良いんだな?」
「え?」
「え?」
なんだ? いまの「え?」は。
俺何か変な事をいったか?
姉さんは驚きながら、ちらっと窓の外を見た。
窓の外……何かあるか?
「いえ、なんでもありません。そうですね、その方がいいでしょう」
「よし……だったらエリカがやってたあの変装の魔法。アレをアレンジして――」
俺は新しい紙をとって、ペンを走らせた。
文面を書き上げてから、魔法をかけて、姉さんに見せる。
「どうだ姉さん」
「『姉さんだけが見える』……ですか?」
「その横にも字を書いてる」
「見えませんね」
「よし」
「ちなみに何を描いたのですか?」
「エリカだけが見える、だ」
「なるほど」
変装魔法の応用。
力の大きさで見える事ができるんじゃなくて、その人の力の波長に合わせて、見ることが出来るようにする。
力の強さだけなら、もしかして破られるかもしれない。
でも相手を指定する魔法なら他の誰にも見れない。
俺は立て札を手配した。
その立て札の上に、姉さんのアドバイス通りエリカに手紙を書いて、魔法をかけて彼女だけに見えるようにした。
立て札は効果を発揮した。
それを見たエリカが率いるカランバ軍は、すぐさまに引き返した。
そして――カノー領の民は俺を称えてしまった。
なにも書かれていない立て札一枚で、カランバ女王が直率する軍を退けた事が評判になった。
何も分からない民の間で、憶測が憶測を呼んで、あの立て札は一軍を壊滅する何かがしかけられていると噂になった。
後からそれを知った俺は頭を抱えたが、姉さんは一言。
「本当に疲れていたのねヘルメス。普通に手紙をだせばよかったのに」
と、かわいそうな人を見るような目でいったのだった。