106.異次元でご休憩
「ヘルメスちゃん、一生のお願い!」
「……」
娼館の中、部屋に入るなり、目の前で俺に拝み倒すオルティア。
そんなオルティアを、俺は優しい目で見つめた。
「オルティア」
「え? なに、どうしたのヘルメスちゃんそんなお父さんみたいな顔をして」
「いつまでも変わらない君でいて」
「いきなり何を言ってるのかわからないよ!?」
おっといかんいかん、最近の展開にすっかり心が荒みきって、オルティアの「一生のお願い」にものすごく安らぎを感じてしまった。
「……」
「ん? どうした俺をじっと見つめて」
「んーん、なんでもない」
オルティアは穏やかに微笑みながら、ゆっくりと首を振った。
「変なの。それより、今回の一生のお願いはなんだ?」
「そうだったそうだった。ねえねえヘルメスちゃん――いたたたたた」
俺はオルティアをそっと引き寄せて、彼女のこめかみに両手でグリグリした。
「痛い痛い! どうして?」
「今回の一生のお願いに突っ込めよ、それかもうちょっと申し訳ない顔しなよ」
俺はそう言いながら、彼女にグリグリするのをやめた。
「えー、だってもう今更じゃん?」
「お前確信犯かよ」
「あはは、それよりも、お願いいーい?」
「ああ」
俺は小さく頷いた。
「あのね、あたし最近、ちょっとオーバーワーク気味なのね」
「オーバーワーク?」
「働きすぎってこと」
「いやそれは分かるけど――」
改めてオルティアを見る。
彼女がいう「働きすぎ」な娼婦を何人か見てきたけど、今のオルティアはまったくそんなに風には見えない。
いやまあ……そう見えないだけなのかもしれないか。
「それで?」
「働きすぎでつかれてるんだ、ヘルメスちゃん、誰もいないでゆっくり休めるところにつれてって――あいたたたた」
もう一度、彼女のこめかみをグリグリした。
「ひぃーん、今度はなによ」
「あのな……俺、客。お前今仕事中」
「うん」
「どこの世界に、客に向かって『働かないように済む所につれてって』っていう娼婦がいるんだよ。それじゃまるで――」
言いかけて、俺はハッとする。
「お前……身請けしろって事なのか?」
「へ?」
真顔で聞くおれに対して、オルティアはキョトンと、虚を突かれた様な顔になった。
そんな事を聞かれるとはまったく思ってもいなかった、って顔だ。
そして、反応もそうだった。
「あははははは、ちがうちがう。そんなんじゃないよ」
オルティアは声を上げて、ゲラゲラと笑った。
「違うのか?」
「あたし、娼婦って仕事に誇りを持ってるの。あたしを必要としてくれるお客さんがいる限りやめる気はまったくないから」
「そう……だったな」
今までの彼女との付き合いのエピソードを思い出した。
何かある度に、彼女が口にする「娼婦の誇り」。
娼婦以外の事で報酬はもらわないし、それをやめるとも思っていない。
この事に関しては、彼女はずっと昔から――出会った時からずっと、一徹している。
「悪かった、変な事を聞いちゃって」
「ううん。それよりお願いのほう、いいかな」
「ああ、続けてくれ」
何度も中断された今度の「一生のお願い」を再開するオルティア。
「疲れたから、誰にも邪魔されないでゴロゴロ出来る所につれてってよヘルメスちゃん。ヘルメスちゃんはそういうの、詳しいんでしょ」
「ふむ」
そういうことならば、何も問題はなかった。
オルティアがいう「そういうのに詳しい」というのも、まさにその通りだった。
「そうだな……今だとカオリの邪魔も入るかも知れないから、あれがいいな」
「え? なんていった?」
「いやなんでもない」
最後らへんのつぶやきが聞き取れなかった様子のオルティアに首を振ってから、彼女にいう。
「じゃあ俺につかまれ、移動するぞ」
「うん」
オルティアはそっとしなだれかかってきた。
男のプライドをほどよくくすぐるような、娼婦特有の甘えた仕草。
そんなオルティアの腰に手を回して――部屋から飛び出した。
窓から、文字通り「飛び出した」。
飛行魔法でまずは急上昇、ピンドスの街が地図くらいに見えるほどの上空まで上昇してから、まわりをぐるっと見回して、ほどよい開けた場所を探す。
高高度からだからそれはすぐに見つかった。
今度は斜め下の角度で、目的の草原に向かって飛んでいく。
鳥と同じで、まずは急降下、その後地面に近くなってきたところに減速して、最後に地面で一浮きして、それから着地する。
「ここ?」
「いや、もうちょっと待ってくれ」
「うん」
オルティアをそっと離して、俺は数歩、前に進み出た。
そのまま腰の剣に手をかける。
「久しぶりだから……上手く行くかな」
アレは疲れるから、どうか一発で成功してくれよと、そう願いながら、俺は剣を抜き放ち虚空を斬った。
音はなかった。
風圧もなかった。
刃が通ったという事実すらもなかった。
それは――成功だった。
振り抜いた切っ先は、空中に何かの亀裂の様なものを作り出した。
「な、なにそれ」
「次元の亀裂――って、教えてくれた人が呼んでた」
「じげんのきれつ?」
「いくぞ」
きょとんとしていたオルティアの手を引いて、一緒に亀裂の向こうに入った。
「うわー、なんかふしぎー」
亀裂の中は暗かった。
暗いが、暗くはないという、不思議な暗さだった。
まわりは漆黒とか暗闇とか、そう表現するべき暗さなのに、中で二メートルくらいの距離が離れた俺とオルティアはお互いの事がはっきりと見えていた。
それに不思議がっているオルティアを置いて、俺は亀裂を閉じた。
「あっ、ここが誰も来られないところ?」
「そうだ。多分な」
「多分?」
「俺にこれを教えてくれた――師匠、っていうのかな。その人なら入れる。だけど多分大丈夫」
あの黒い服の子とは、十年以上もあってないからな。
「へえー……うん、わかった」
話を聞いて、感嘆していたオルティアだったけど、さっと表情を変えた。
「つまり、ここで好きなだけごろごろしてて良いんだよね」
「そういうことだ」
「やったー。ありがとうヘルメスちゃん!」
オルティアは俺に抱きついてきた。
豊かな胸が腕に当って――悪い気はしなかった。
「そうと決まったら――こっち来てヘルメスちゃん」
「うん?」
まだ何をしてもらいたいのかな? と思って手を引かれるままついて行くと、オルティアはその場に座って、俺を寝かせた。
彼女の膝の上に、俺の頭をのっけてくれた。
「膝枕?」
「うん」
「お前、休みたかったんじゃないのか?」
「こらこら起きない」
起きようとする俺を、押しとどめて膝枕の姿勢を保つオルティア。
「いや……」
「あたし、プロだから」
「うん?」
「こうして男とふれあってた方が休まるの」
「いやだったら仕事してても――んぐ」
オルティアの人差し指が唇に押し当ててきた。
「いいの」
「……そうか」
もしかして、オルティアは俺のために……?
いや、考えるのはよそう。
それ考えたら顔に出そうだ。
気づかないまま、このまま彼女の言うとおりにしとくのが、ベストな選択なのかもしれない。
俺は何もせず、オルティアの膝の上でくつろいだ。
オルティアはそれ以上何もしなかった。
俺の頭を撫でて、髪を手で梳いて、たまに子守歌のような歌を歌った。
何もしないで――とにかく何もしなかった。
それがありがたくて、俺はいつの間にか寝入ってしまった。
久しぶりに、休まる一時だった。
☆
翌日。
「ありがとうヘルメスちゃん」
「ちゃんと休めたか?」
俺がそう聞くと、オルティアは「うん!」と満面の笑顔で頷いた。
これでいっか――と改めて思いながら、俺は剣の柄に手をかけて、昨日と同じように、虚空を斬って次元の亀裂を作り出した。
「えっ!?」
「どうしたのヘルメスちゃん」
「この魔力――まさか!」
俺は慌てて外に飛び出した、オルティアはちょっと遅れてついて来た。
「あっ! おいっこちゃんなのだ」
「ダーリンだ!」
外は、元々の草原にはとんでもない光景が広がっていた。
まずカオリが一人で、空を丸ごと覆い尽くすほどの巨大な魔法陣を広げていた。
次にエリカが、数百人はあろうかという魔道士? を引き連れて、集団詠唱で大地に広がる魔法陣を広げていた。
そして、草原は草原じゃなくなっていた。
あっちこっちに爆発の後があり、黒い煙がくすぶっている。
「何をしてるんだお前らは」
「甥っ子ちゃん大丈夫なのだ? 誘拐じゃないのだ?」
「えーん、エリカ心配したんだからねダーリン」
「……どゆこと?」
キョトンとなる俺、その俺に、カオリが説明する。
「昨日おかしな波動を感じたのだ。それでここにくると、甥っ子ちゃんの魔力があり得ない感じで途切れてたのだ」
「……あっ」
なんとなく、昔見た話で、殺人現場で犯人の足跡が途中で綺麗に消えてる、そんなシーンとトリックを思い出した。
「魔王がいうにはね、次元のかべが開いちゃって、ダーリンが飲み込まれたかもしれないって。それで助けようって思って」
「……それでこの大騒ぎか」
俺はまわりをみまわした。
魔王であるカオリに、エリカの……多分カランバの精鋭の魔術師が数百人。
それらが力を合わせて|俺を助けようとしていた《、、、、、、、、、、、》。
「わるい、自分から入ったんだ」
「そうなのだ!?」
「自分から?」
驚くカオリとエリカ。
……あっ。
俺ははっとした、これ、言っちゃいけなかったやつだ。
「そんなのあり得ないのだ。でも、おいっこちゃんが自分から普通にでてきたのだ」
「魔王やエリカたちが一晩かけても開けなかった次元の壁を……ダーリンやっぱりすごい!」
「すごいのだ! お父様とお姉様以外それができる人はじめて見たのだ」
カオリとエリカ、同盟を結成した二人が、俺に迫って眼を輝かせていた。
うっかりまた、やらかしてしまったらしい。
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