103.紛争地域へ
「はあ……疲れた……」
湯気が立ちこめる大浴場に、俺は一人で湯船に浸かっていた。
色々あって精神的に疲れた、その疲れを癒やすために、鼻先が「ぷくぷく」と空気を出すくらい、頭の半分まで湯船の中に浸かっていた。
今日一日で、ものすごく疲れた。
理由は――エリカだ。
彼女のストレートで飾らない好意は――嬉しいのは嬉しいけど、ストレート過ぎて気圧されてしまう。
綺麗だし可愛いし、有能だし、好意は本物だしで、普通に考えれば疲れる理由なんてないはずなんだけど……。
ああ、なるほど。
年寄りがいい肉を食べ過ぎると胃もたれするっていってるのと同じことなんだな。
なんとなく、その気持ちが分かってきた様な気がする。
好意もそうだけど、彼女と一緒にいると、色々とやらかしてしまう。
やらかす度にエリカの好感度があがって、まわりが俺を「すげえ」って目でみてしまう。
あまり目立ちたくない俺としては、ちょっとつらい流れだ。
そんなこんなで、たまっていた疲れを癒していたのだが。
「ダーリン――きゃっ」
ガラガラガラ、と引き戸の音を立てて、エリカが大浴場に入ってきた。
入ってくるなり、エリカは手で顔を覆って、わざとらしい悲鳴を上げた。
「ちょっ! なんで入ってくるんだ?」
「もう、ダーリンのえっち。こんな所で裸になってるなんて」
「こんな所ってここ風呂場だよ!? というかエリカこそなんで裸なんだよ!」
悲鳴を上げたいのはこっちの方だった。
肩まで完全に湯船の中に浸かっている俺と、タオルすら巻いてなくて完全に裸のエリカ。
悲鳴を上げるのはこっちだ。
「ダーリンってば変なの。ここはお風呂だよ? 裸になる当たり前じゃない」
「その台詞をついさっきまでのお前にそっくりそのままかえすよ!?」
声が裏返ってしまうほどのツッコミをしてしまう。
よく見たら、エリカの背中に隠れるようにして、エレーニがいた。
真っ裸なのに堂々として何も隠していないエリカとは対照的に、エレーニも裸だが両手で胸と股の大事な所を隠している。
それをみて、対照的にほっとする俺だった。
そうそう、普通はこうだよな――って思っていたところに。
「むぅ……ダーリン!」
「え? な、なんだ?」
呼ばれて、ハッとして振り向くと、エリカが何故かふくれっ面をしているのが見えた。
「エレーニが欲しいならダーリンにあげるけど、今はエリカの方を見て」
「いやいやいや、そういうことじゃなくて」
どうやら、俺がエレーニを気に入ったと勘違いされてしまったみたいだ。
「だってぇ……この子をみるの時のダーリンの顔、すっごい笑顔だったし……」
「ほっとしたんだよ! っていうかいい加減前隠してくれ」
「どうして?」
「どうしてって、見られるのはずかしいだろ普通」
「あ、あの……」
エリカの後ろから、エレーニがおずおずと発言した。
「え、エリカ様はお生まれになった時からエリカ様だったから、お風呂で隠す、という事はなさったことがないんです」
「ああ……いやいやいや!」
一瞬納得しかけたが、すぐに否定する俺。
たしかに、女王――王女クラスの貴人だと、着替えや入浴は産まれてからずっと使用人任せ、裸になってしかるべきの風呂場で、他人に対して羞恥心を抱かないのは理屈としては通っている。
「今は俺がいるんだぞ」
「大丈夫! ダーリンはダーリンだから。エリカの全部ダーリンのものだから、隠す所なんてないの」
「えー……」
そこまではっきり言い切られてしまうとこっちの方が間違っているって感覚になってくる。
「それよりダーリン。エリカが背中を流したげる」
「へ? いやいいよ」
「したいの! ねっ、お願い」
エリカはうるうると、湯船の俺にむけて上目遣いで見つめてきた。
俺は「うっ」ってなった。
まだエリカに慣れていないせいで、こういう「おねだり」には弱い。
どうする? 逃げ出すか?
このまま風呂水をゼリーみたいに固めれば、入り口を塞いでる状態のエリカのところを通らなくても、背後の窓からでれる。
「……だめだ」
そう、これは勘だ。
今までの勘が働いた。
力を使って、水を体のまわりに固めたまま脱出するってのはきっと出来るが、こういう時力を使うと絶対に事態が悪い方に転がる。
それをするくらいなら……まだ、素直に背中を流してもらった方がいいかもしれない。
「……はあ、わかった」
俺は諦めて、湯船の中で立ち上がった。
ザバーン、と水音とともに立ち上がった俺に――
「きゃっ!」
エリカは再び悲鳴を上げた。
さっきより小さめの悲鳴、しかし本気度の高い悲鳴。
「な、なんだ?」
「お、おっきい……」
「へ?」
「エレーニ! こ、こんなに大きいものなの男の人のあれって!?」
初めてなんじゃないだろうか。
出会ってから初めて、エリカが動揺しているのを見るのは。
彼女は振り向き、慌てたようすでエレーニに聞いた。
「……」
「エレーニ?」
「…………きゅう」
なんと、エレーニは気絶してしまった。
床に倒れて、目をぐるぐる回している。
エリカ以上にパニックになって、それがあっさり限界を超えたみたいだ。
「エレーニを……す、すごい……」
「そこですごいはやめて!」
☆
風呂椅子に座って、エリカに背中を流させていた。
あの後、俺は全力で前を隠した。
もう勘なんて気にしてる余裕がなくて、風呂場にある湯気を集めて、雲――わたあめにするかのように、それで股間を隠した。
そうしてエリカを落ち着かせて、エレーニを起こして、背中を流させた。
「これでいいの? エレーニ」
「は、はい。でも殿方はもう少し強くした方が喜ぶとか。わわ、私達より体のつくりが丈夫ですから」
「そうなのダーリン!?」
「うん? まあ……そうだな。もうちょっと強めだといいかもしれない」
純粋な背中を流す力加減の話で、俺は普通に答えた。
意外にも、エリカは真面目に背中を流してくれていた。
手つきは拙いものの、その都度その都度エレーニにアドバイスを求めて、(多分)初めてなりに一生懸命俺の背中を流していた。
その姿がすごく健気で、可愛らしく見えた。
「……いかん」
「どうしたのダーリン、エリカなにか間違えた?」
慌てるエリカ、俺も慌てた。
「いやなんでもない、こっちのことだ」
「ほんとう?」
「ああ、このままやっててくれ」
「……うん! わかった」
笑顔で背中をゴシゴシするエリカ。
一方で、俺は昂ぶりを落ち着かせていた。
気を抜けばわたあめを貫通しかねない状況になっていた。
気を逸らすために、俺は話題をまったく関係ない方向に変えた。
「そういえばエリカ、ずっとここにいていいのか?」
「……」
「エリカ?」
「……ダーリン。ダーリンは……エリカに会いに来てくれる?」
一生懸命流す手つきは変わらないが、エリカの言葉のトーンが明らかに下がった。
「エリカ、もうちょっとしたらカランバに帰らなきゃいけないの。あっ、もちろんまた来るよ? でも、エリカは女王だから、いつも来てる訳にはいかないの」
「……」
俺はちょっと驚いた。
俺が知っているエリカ、今まで見てきたエリカだったら、「ダーリンのために女王なんて辞める」とか、言い出しかねない感じだった。
それが、こんな真面目に返されるとは。
結果的にわたあめの中は落ち着いたが、ちょっと違う感情が芽生えそうになった。
背中を流しているのも、女王としての自覚も。
エリカは、俺が思っているよりもずっと真面目な子なのかもしれない。
なら――
「そうだ、良いことを思いついた」
「え?」
俺の後ろでポン、と手を叩く音が聞こえた。
「いいことって?」
「エリカがここを攻め落とせば良いんだ」
「なにいってんの!?」
声が盛大に裏返った。
「ここを落として、離宮にしてしまえばいいんだ。うん、それがいいそうしよう」
「そうしようじゃない! そんな事で戦争をするな!」
「だって……」
「だってじゃない。というか、ここにそんな事をしたら、カオリが黙ってないぞ」
「うーん、魔王か……ちょっとやっかいかも……」
「真剣に考え込むな!」
またまた大声をだして突っ込んだ。
エリカが本気で考えているように見えたからだ。
このまま放っておけば本気で――そうならないために話をそらさなきゃ。
「そんな事で戦争しかけるのはやめろって。そんな事になったら、俺国王の命令でエリカと戦わないといけなくなるぞ」
「ダーリンと? それは困っちゃう……」
「だろ? だから、な」
「わかった」
俺はほっとした。
どうやら、ちゃんと止められたみたいだ。
「はあ……女王の発想は怖いな。土地の話なんて、普通の人だったら買うとか借りるとかってレベルなのに」
「……借りる?」
「へ?」
エリカの手が再び止まった。
どうしたんだろうって肩ごしにちらっと見ると。
「そっか、借りればいんだ。ありがとうダーリン! ダーリンすごい!」
「……なにをいってるの?」
「ダーリンの領地ごと、アイギナからレンタルするの」
「いやいや、そんな事出来るはずが――」
「か、かか可能です。アイギナはかつて、土地をホメーロスという商人に長く貸し出していたことがあります」
「へ?」
「前例があればいける! きなさいエレーニ、その辺の事を調べるわよ」
「は、はい!」
エリカは俺を置いて、エレーニを連れて大浴場から出て行った。
俺……なんか余計なこといっちゃった?