102.オルティアの喜び
俺を一通り持ち上げた所で、エリカは再び執務に戻った。
相変わらずというか。
何度見ても、惚れ惚れするようなオン・オフの切り替えだ。
直前まで知力が3くらいに低下した様な勢いで俺に「すごいすごい」っていってたのが嘘かのように、エレーニから上がってきた政務を次々と片付けていった。
「つ、次。サラミス男爵の追加予算の申請です」
「サラミス? 確か王都の外壁の修繕をしてる……何度目なのこれ?」
「え? ええ、えっと……」
エレーニがあわあわと資料をひっくり返して探しものをする。
「エリカの記憶が正しかったら、確かこれで四度目。しかも最初は東側、次が西側、その次が東側に戻って、今度も西側」
エリカは手元の書類を読みながら、形のいい眉をひそめていた。
「……追加予算を承認。デオドロスに調べさせなさい」
「で、デオドロス様? そそ、それは不正があったって事ですか?」
「十中八九、ね」
「わわ、分かりました!」
よどみなく、命令を下していくエリカ。
その話、俺もなんとなく分かる。
補修工事系にたまにあるパターンだ。
二カ所の工事をまず請け負う。
片方をまず普通にこなしてから、もう片方に着手する。
その際、使う資材などは、最初の現場から引っぺがして来る。
そうして、まず現場一つ分の資材の差額が懐に入る。
そして二つ目の現場が仕上がる頃には、最初の現場が何故かまた修繕が必要になる。
そうして新しい予算を申請しつつ、前の現場から資材を引っぺがしてくる――という。
ある種の錬金術の様なものだ。
このやり方の肝は、小さい現場を複数回していくこと。
為政者にとって、公共施設やら道路やらの補修は、国中で日常茶飯事の様におこなわれている。
ある程度小さい現場なんて、気にも留めないし新しく補修が必要なのが報告で上がってきても何も疑問に感じない。
(ああ、そうか)
エリカはそれに加えて、一人で全て決めてるんだったな。
そうなると一人で処理しなきゃいけないことも増えるから、つけ込まれたんだな。
その事を思ったが、俺は何もいわなかった。
エリカが適切に処理しているのがあるし、俺がここで口をだすと「やっぱりダーリンってすごい!」ってなるのが目に見えている。
くわばらくわばら、余計な事はしないでおこう。
「つ、次。ハグノン様。来年の――」
「それはいいわ。あの男はなんでもかんでもエリカの顔色をうかがってくるだけ。今回も――このタイミングだから収穫祭の事でしょ」
「お、おっしゃる通りです」
「任せる。それだけでいいわ」
「わかりました」
「まったく、なんでもかんでもエリカの意見を聞くだけのダメ男は。あれが婚約者候補だって思うと虫酸が走るわ」
へえ、そういうダメ男が嫌いなのか。
そう思いながらも、俺は介入は絶対にしないと決めて、黙ってエリカの政務を眺めていた。
何があっても介入はしない、何があってもだ。
ここでダメ男を演じたら逆効果になる。
今までの経験からそれが見えている。
絶対に、やっちゃダメだ。
「次……あっ、これ、エリカ様?」
「なに?」
「薔薇の園の解体……これは?」
「ああ、それはエリカがやらせたものよ。今の薔薇の園は一旦全解体。女の子は全員それなりの金を与えて故郷に帰すわ」
「ど、どうしてですか?」
驚くエレーニ、俺も同じように驚いていた。
えっ? って口に出すのをすんでのところで止めた位、びっくりした。
「だって、今の薔薇の園って、エリカの趣味で選んだ子達だもん」
エリカの口調が砕けた、ちらっとこっちを見てきた。
「一旦まっさらにして、ダーリンの好みの子を集める。当たり前の事でしょ」
「な、なるほど。分かりました」
「分かりましたなのかよ!」
決意が瓦解した。
彼女の政務には関わらないという決意が、自分が関わっているという事で、いともあっさり崩れさった。
「当たり前だよダーリン。見ててダーリン、エリカ、ちゃんとダーリンの好きな子を集めるから」
「いやいや、それは――」
「カランバにいる『オルティア』はもう、全員スカウトに走らせてるからね」
「――………………いやいやいや」
「すごい間があったです……」
か細い声で、小さく突っ込むエレーニ。
俺自身、これには突っ込まなきゃと思ってしまう反応だった。
カランバにいるオルティア達っていうと、写真集でしか見た事の無いあの子たちも来るって事だよな。
それは……心が揺れる。
「……いやいや。そもそも、オルティアを女王のハーレムにいれていいのか? ハーレムと娼婦って相性悪いんじゃないのか?」
「跡継ぎとかの話? そんなの、ハーレムにいれてから一年待てばいいだけじゃない」
「……なるほど」
思わず、頷いてしまう俺だった。
王のハーレムは、血統の純粋さを守るため、普通は男を知らない処女が集められる。
そういう意味では娼婦なんてもってのほかだ。
だけど、そんな事もハーレムで一年間隔離すれば良いだけの事だ。
だからそれを聞いて、思わず納得してしまった。
「うふふ、やっぱりダーリンはオルティアが好きなんだ」
「いやまあ、うん」
「あのオルティアさん、紹介したげよっか」
「あのって、あの!?」
「うん」
「是非お願いします!!」
俺はエリカに掴みかかった。
彼女の小さな手をつかんで迫った。
大賢者オルティア。
大賢者という称号の通り、世界中のあらゆる知識を持っていると言われている。
それだけではなく、絶世の美女としても知られて、娼婦達の「オルティアブーム」の大本となった人でもある。
そんな人に会えるなんて……夢のようだ。
「エリカでもちょっとむずかしいから……あっ、でも、絶対になんとかするから、待っててねダーリン」
「うん、いくらでも待つ」
オリジナル・オルティアに会えるなんて、待てば良いだけならいくらでも待つさ。
俺はワクワクした。
ワクワクしすぎて何かを忘れているような、そんな気がした。
それを思い出す間もなく、ノックの音がして、ミミスが入ってきた。
ミミスはちらっとエリカ達を見て。
「ここにいらっしゃいましたかご当主。女遊びをうるさくいいませんが、町娘より後腐れのない娼婦などにして頂きたい」
「え? ああ、うん」
そういえばエリカ達変装の魔法してたっけな。
「それより、なんか用なのか?」
「はい、こちらです」
ミミスが俺に近づき、書類を手渡してきた。
「これは?」
「商人からの直訴状です。ご当主様に処理していただきたい案件でございます」
「直訴かあ……ああ」
俺はポン、と手を叩いた。
何か忘れている、と思っていたのを思い出した。
ダメ男が嫌いだったんだっけ。
それを思い出した俺は、直訴書をエリカに渡した。
ミミスから渡されたものを、素通りでエリカに渡した。
「ダーリン?」
「これどう思う? エリカだったらどうする?」
「エリカだったら?」
「ああ。言ってみろ、その通りにするから」
「なっ、ご当主!?」
驚くミミス、それを無視する。
一方で、エリカも驚きを見せるが――すぐに感動した。
直訴書を持って、プルプルと震え、感激していた。
「嬉しい!」
「え?」
「さすがダーリン! こんな大事な事をエリカに任せてくれるなんて」
「え? え? え?」
どういう事? なんでこういう反応になるの?
俺……またなんかやっちゃった?
「あっ……」
冷静になった頭が、それに気づく。
俺が忘れていたのは、その事じゃない。
何があっても、エリカの政務に口出しをしないって事だ。
なのに、オルティアを紹介されるという喜びに頭をやられて、政務に口だし――どころか、彼女にこっちの政務を投げてしまった。
「ダーリン、器すっごくおっきくて素敵!」
「おっふ……」
我に返った俺は、その場で崩れ落ちるのだった……。