101.先祖の遺産
屋敷にあるリビングの一つで、俺はいつものようにくつろいでいた。
が、心の底からくつろげなかった。
「つ、次はこれです」
「……来年の学生たちの給料ね」
「はい! その予算案です」
「……今年の民間の成長率は?」
「しし、試算では2.4%です」
「なら一律で3%アップ」
「分かりました」
その理由が、俺の横のテーブルを陣取って、何故かこの屋敷で執務を行っているエリカと、その側近のエレーニ。
エレーニがところどころ小動物チックにビクビクしながらエリカに書類を差し出しては、エリカがそれを読み、場合によっては追加の情報を求めたりして、決裁を行っていく。
彼女との出会いから今日で七日がたった。
今日もエリカは、こんな感じでカノーの屋敷に入り浸っていた。
「あの……」
「なあにダーリン」
おそるおそる声をかける俺。
それに振り向いたエリカ、表情が一変していた。
執務をしていた時の凜然とした表情は跡形もなく消え去り、稚気が強めに残る世間知らずの令嬢のように見えてしまう。
その変貌に複雑な想いを抱きつつ、聞いてみた。
「なんで今日も来てるんだ?」
「それは、だって……」
エリカはもじもじし、体をクネクネさせてから――
「ダーリンの家に通い妻、きゃは」
「いや、きゃはじゃなくて」
俺は複雑な表情をしながら、まずは正論をぶつけた。
「お前がここにいるのはまずいんじゃないのか? 仮にも――いや仮とかじゃなくて、カランバの女王様なんだろ?」
俺は言い換えた。
実際、俺に向かってもじもじクネクネしている時はともかく、政務と向き合っている彼女の姿を見ていると、「仮にも」という言葉を自然と引っ込めざるをえない。
むしろ「賢女王」とか「豪腕」とか、そういう形容がしっくりくる為政者だった。
俺なんかよりも、よっぽど真面目に執務に励んでいる。仮にもとか失礼過ぎて言えない。
「嬉しい!」
が、今の彼女は俺と向き合っている……良くも悪くも脳天気なモード。
俺にそう言われて、ガバッと抱きついてきた。
「えへへ……ダーリンに認められちゃった」
「いやまあ……」
「ダーリンは、ちゃんと仕事をしてる子が好きなんだね」
「それは……まあ……」
素直に頷くのにちょっと罪悪感を感じないでもなかった。
ちゃんと仕事をしている相手がいい、というのはその通りだ。
ただし理由は、相手が仕事をして俺がサボる――という、とても口にだして言えないものだ。
それがちょっと申し訳なくて、俺は話を逸らした。
エリカに抱きつかれたまま、彼女が今まで処理してきた、積み上げてきた書類を山の方を見た。
「それよりもびっくりしたよ。すごいテキパキにぱっぱって決めるんだな。こういうのって普通は側近とか、大臣達とはかって決めるもんなんじゃないのか?」
「そんなの必要ないよダーリン」
エリカは俺に抱きついてニコニコしたまま、しかしきっぱりとした口調で言い切った。
有能と色ぼけの中間くらいの感じだ。
「王がちゃんとしてたらね、全部王だけで決めてしまった方が効率がいいの。シラクーザなんか双女王以来何を決めるにも協議をするんだけど、あれ効率が悪すぎるのよね。五大国の内唯一衰退し続けてるのそのせいだよ」
「ふむ、なるほど」
その話、前半の部分は分からなくはない。
側近とか大臣とかが無能だったり、腹に一物抱えてたりすると、相談するのって時間を食うだけで何も生まれないもんな。
こっちがズパッと決めてしまった方がいい時が多い。
それを、何度も経験してきた。
「そうか、すごいな、お前は」
「そう? えへへ……」
表情が再び色ぼけの方に振り切って、恥じらって顔を伏せ、上目遣いで俺を見るエリカ。
「ダーリンがこういうのが好きなのは嬉しいな。エリカ、もっともっと頑張って仕事しちゃうね」
「いや、まあ……」
俺は口籠もった。
他国でも、女王としての仕事をちゃんとすることを止める立場にないし、さっきの話を聞いてても止める理由はないと思った。
学生の給料。
カランバを強国たらしめる最大の理由だ。
エリカが信奉するリカ・カランバが始めたとされている、学生の給料制。
通常、例えば農村とかだと、子供はそのまま労働力だ。
成長して動けるようになったら、少しずつできる農作業をやらされるのが一般的だ。
大昔、6歳の子供だけで牛の出産をやりきったのを見たときはいろんな意味でショックだった。
その分、子供が普通の教育をうける機会が少ない。
それを解決したのが、子供の給料制。
子供が行く学校では、学校や教師に謝礼を払うのではなく、通う子供に給料を出す。
その給料の設定が、普通に子供を働かせるよりも割が良いように設定される。
その結果、子供が労働力だけで終わることは少なくなって、人減らしも五大国のうちもっとも低い水準になった。
子供のころから教育を受けさせることで、他の国じゃすくい上げられなかったであろう家柄の才能まで発掘されるようになった。
さらにその制度が、親に安心して子供を産ませることにつながった。
それらの好循環が、カランバを強国たらしめていた。
それをちゃんとやっているエリカ。そんなのを止めさせるわけにはいかなかった。
……。
…………。
………………。
「いやあるわ!?」
図らずも一人ノリツッコミな形になってしまった俺。
エリカはえ? って感じで驚いて俺を見あげた。
「どうしたのダーリン?」
「普通にダメだろ。カランバ女王のお前がここにいちゃダメだって」
「なんで?」
「なんでって、ここアイギナ!」
「なんだ、その事か」
けろっと言い放つエリカ。
「いやいや、その事かじゃなくて」
「だって、ダーリンの所にコモトリアの魔王、よく来てるじゃない」
「うっ!」
俺は言葉につまった、それを言われるとつらい。
七日前の出会いからして、カオリが好きなときにやってきてパッと立ち去るのをエリカの目の前でされている。
コモトリアの王がよくて、カランバの王がだめっていう根拠が、パッと思いつかなかった。
俺は口籠もったあげく、苦し紛れに。
「か、カオリは魔王だし、止めても無駄っていうか。その点エリカは普通の人間、女王っていったって、やり過ぎると臣下の反乱もあるだろ?」
言っていくうちに、うんそうだって思えてきた。
カオリは普通の王じゃない、魔王だ。
彼女にクーデターを起こせる人間なんてこの世に果たしているのか、っていうくらい超越した生物だ。
でもエリカはそうじゃない。
うん、この理屈、とおるぞ――
「それなら大丈夫だよダーリン。エリカ、ちゃんと変装してるから」
「え? 変装?」
「うん! ダーリンとエリカの御先祖様が編み出した方法でね、すっごくバレにくいんだよ」
「俺とおまえの……それってカオリの父親の事?」
「そうそう、魔王の父親」
コクコクと、笑顔で頷くエリカ。
俺達の先祖、カオリの父親。
何かある度にちょこちょこと話に出てくる人だけど、ここでもまた出てきた。
一体どういう人なんだろう……。
「そういうことなら……でも、どういう変装をしてたんだ?」
俺は首をかしげて、思い出そうと試みる。
今日、彼女がやってきた時どういう格好をしてるのかな、って思い出そうとした――のだが。
「え?」
「え?」
エリカがきょとんとした。
「どうした」
「ダーリン……もしかして……見えてる?」
「見えてるって、なにが?」
「ねえダーリン、エリカって、今どんな格好に見える?」
「どんなって、普通に女王というか、王女というか、高そうな白いドレスを着てるだろ? だから変装した方がいいって――」
「ああん! やっぱりダーリンってすごい!」
エリカは再び俺に飛びつき、首に抱きついてきた。
その勢いで俺は彼女に押し倒されてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。というかすごいって何が?」
「えへへ、エリカ、普通に見えてるんだよね?」
「見えてるっていうか普通に――ちょっと待って」
さあ、と血の気が引いていくのを感じた。
また、このパターンか? って気づかされてしまった。
「この変装ね、エリカ達の御先祖様が開発したものは、術者の力を上回ってないと見破れないって代物なんだよ」
「……おぅ」
「テクニック関係無しに、純粋な力」
「で、でもお前の魔力はそんなに――」
「エリカはちゃんと、カランバ一の魔力を持つ宮廷魔術師にやってもらったんだ。ダーリン、変装してないように見えるんだよね」
「おっふぅ!」
「ってことはダーリン、あの子よりも魔力が高いんだよね! すごい! やっぱりダーリンって最高!」
がーん、となってしまった。
その話を聞いて、改めてエリカを見る。
たしかにそれはあった。
イメージ的には、透明の何かを纏っている。
集中してようやく、その「透明」のものが見えた。
俺はこっそり、いつも持ち歩いている力を押さえるための指輪を、ポケットの中で嵌めてみた。
すると、エリカの姿が変わった。
女王とも王女とも取れる姿から、まったく違う見た目の、普通の少女になった。
気づかなかったけどエリカは確かに変装していて。
俺は、宮廷魔術師がやったそれを見破ってしまっていた……。