99.女王の変貌
「カランバの女王だって!?」
カランバ王国。
大陸五大国のうちの一つで、代々女王が即位している国だ。
五大国の中でも特に国力が強く、その気になれば一国で他の四カ国と渡り合えるとまで言われている。
もちろんその話は、コモトリアの魔王アウラが動かない、という前提の上に成り立っているものだが、それでもなおカランバの国力のすごさがうかがいしれる。
そのカランバの……女王だって?
この少女が?
「エレーニ!」
「は、はい」
「なんとかしなさい」
女王エリカは再び、御者をやっていた自分の部下に命令をする。
御者は懐から儀礼用の短刀をとりだすやいなや、それを構えて魔法の詠唱を始めた。
短刀を媒介に魔法陣がうまれて、御者の魔力が高まっていく。
パチン。
俺は指をならして、衝撃波で短刀を飛ばした。
それがはじかれると、魔法の詠唱は魔法陣と共に跡形もなくはじけ飛んだ。
その余波で、御者が全身をすっぽりと被せていたフードもはじけ飛んだ。
「女の子?」
現われたのは、エリカよりも一回り幼い女の子だった。
顔も体つきも、明らかに幼さを残している女の子。
そんな彼女が驚きとともに怯えを顔に出している。
「エレーニ。エリカ様とともに育てられた、もっとも近しい存在の侍女ですわ」
俺が驚いたのを受けてか、横からヘスティアが説明をしてくれた。
王族や貴族にはよくそういうことがある。
赤ん坊の時から、忠誠心を育てる為に一緒にする存在が。
時には、姉妹同然に育つはずのその相手――エレーニに向かって。
「エレーニ! わたくしを逃がしなさい」
「で、でも」
「あれをやりなさい」
「――っ! は、はい!」
驚いたあと、エレーニは決意の表情で――涙目ながらして俺を睨みつけた。
驚きと決意の間に一瞬、怯えが挟まったのが気になった。
それがなんなのかと不思議がったが、すぐに分かった。
エレーニは俺に飛び込んできた。
攻撃するそぶりはなく、武器も持ってない。
だから反応が一瞬遅れた。
その遅れの間に、エレーニに抱きつかれた。
ぎゅっと、幼い少女が必死に抱きついてきた。
すぐに振りほどけるし、ここに至ってもまだ攻撃するそぶりがないから、更に対処が遅れた。
直後、エレーニの体の中から魔力が高まる。
体の中で魔力が渦巻き、徐々に高まっていく。
「こ、これは……っ」
ヘスティアの顔が強ばった。
直接ふれあっていない彼女にも感じるくらい、不吉な予兆を強く孕んだ魔力の高まりだ。
接触している俺はなおのこと、魔力の質から、エレーニがしようとしている事を理解した。
「お前自爆するつもりか?」
「自爆ですって!? エリカ様!」
ヘスティアは明白な非難の色をエリカに向けた。
エリカは一瞬だけたじろいだ。
アイギナの王と同じで、ヘスティアも「父の女」という認識があるんだろうか。
一方で、エレーニはますます腕のしがみつく力を強くさせた。
「こ、こうすればエリカ様は」
「馬鹿な真似はよせ!」
「――っ!」
俺に怒鳴られて、一瞬ビクッとしたが、その後悲しげな顔をした。
だがやめる事はなくて、よりぎゅっ、って感じで俺にしがみついて、顔を見られない様に俺の胸に顔を埋めた。
その姿はまるで恋人同士の逢瀬だが、状況はそんな甘ったるい物じゃない。
「わるいが、その自爆はやめさせる」
幼い少女の腕力はいつでも引き剥がせるが、暴れさせないために抱きつかれたままにさせて、エレーニの背中に手を当てた。
体の中に埋まっている自爆の魔力を解除するために、俺の魔力を潜り込ませた。
すぐに魔法の核にたどりつき、それを解除しようとしたが。
「なっ、これは!」
「どうしたのですか?」
俺が声を上げたので、ヘスティアが聞いてきた。
「魔法が二つ……これは……瞬間移動系?」
「瞬間移動……エリカ様を逃がすため?」
「そうなのか?」
「……」
エレーニはもう答えなかった。
そのかわり更にぎゅっと俺にしがみついて、そういうことだと強く主張した。
自爆して目の前の相手を始末しつつ、主を瞬間移動で逃がす。
それはやっかいだった。
二種類の魔法、つまり魔力が彼女の身体の中で渦巻いている。
外からじゃ気づかなかった瞬間移動の魔力は、自爆のそれに複雑に絡みついている。
どちらかを無理矢理解除しようとすると、かさぶたを強引に剥がしたみたいに、それが「爆発」する。
「……外からじゃ手の施しようがないか」
一瞬、俺の顔が歪んだ。
そうしている間にも渦巻く魔力が勢いを増して高まっている。
迷っている分、次も手遅れになる。
「すまん」
俺はそう言って、エレーニの肩をつかんで引き剥がした。
彼女は一瞬「えっ」って顔をした。
それも無視して、彼女の唇に唇を重ねる。
「――っ!」
至近距離で目を瞠るエレーニの反応も無視して、重ねた唇から魔力を潜り込ませる。
キスは、体の内部に一番深く干渉できるつながりの一つだ。
俺は魔力を潜り込ませた。
渦巻いている魔力の場所にすぐにたどりついた。
その二種類の魔力を、急いで慎重に剥がしていく。
時間はかけられない、今でも自爆の方は膨れ上がっていってる。
その二種類の魔力を慎重にはがしつつ、それぞれに相反する質の魔力をぶつけて「溶かす」。
剥がす、溶かす、暴れるエレーニを押さえる。
その三つを同時に行うのは神経が削られるが――俺はそれをやりきった。
目の前の幼い少女の命がかかっていたから、真剣にやってそれを止めた。
「はうぅ……」
繋がった唇が離れて、エレーニはふにゃ、としてその場にへたり込んだ。
「ど、どういうことなの? なんで何もおきませんの!?」
上半分が切り離された馬車の上で、エリカは驚愕顔でわめいていた。
「二つの魔法とも、俺が解除した」
「なんですって」
「これさ、お前が仕込んだやつか? 明らかにこの子の魔力だけじゃなかったんだけど」
「当たり前でしょ、いざという時のために必要な事ですわ」
「……何が起きるのか分かっているのか?」
「当然ですわ。道具の性能を――」
パーン。
気がつけば、俺は馬車に迫って、無表情で右手を振り抜いた。
平手がエリカの横顔を振り抜き、彼女は呆然としてしまう。
ビンタに撃ち抜かれて横を向いた顔が、錆びた蝶番のようにぎぎぎ、って感じで再び正面を向く。
「わたくしに……わたくしになにを」
「自分が何をしてるのかわかってるのか? この子、赤ん坊の頃から一緒に育った子なんだろ」
「わたくしを誰だと、カランバの女王、エリカ――」
「そんなの関係ない」
一喝して、エリカを止めた。
「――え?」
「人としての話をしてるんだ、俺は」
「ひと、として?」
まるで幼い子供の様に、俺の言葉を舌の上に転がすかのようにおうむ返しにするエリカ。
「そ、そんなこと――」
「まだ言うか」
言い訳を続けるエリカに腹が立った。
この程度の話に反論する彼女は、わがままな子供に見えてきた。
そう見えた俺は、彼女の肩をつかみながら馬車にあがった。
そのままひょいっと持ち上げて、ぐるっと半周させて、俺の膝の上に腹ばいに乗せる。
「な、何をなさいますの!?」
「お仕置だ」
俺は手をあげて、エリカの尻めがけて思いっきり振り下ろした。
お尻叩き。
駄々っ子に見えたエリカの尻を思いっきり叩いた。
「まあ……」
「エリカ様!」
ヘスティアとエレーニがそれぞれ反応をした。
「痛っ! な、何をする――ひゃん!」
声を上げて、ジタバタするエリカ。
俺は構わず、服の上からでも結構いい音がするくらい、彼女の尻を叩いた。
最初は抗議だったが、やがて啜り泣きに変わっていく。
10――いや考え直して20叩いた所で、彼女を解放する。
「反省したか?」
「はんせい……?」
「あんな風に近しい人の命を使い捨てにするな。またやったらまた尻叩くからな」
「また……たたいてくれるの?」
「ああ、何度でもな」
「わたくし……女王なのですわよ」
「そんなの関係ないな」
まだちょっと、怒りが残っていた。
駄々っ子のくせに人の命を使い捨てにする彼女の振るまいがまだちょっと不快だった。
だから、またそうなったら尻を叩きに行く、と言う意味で頷いた。
これで反省するか、あるいは更に反発するか。
エリカの反応をみてこの先の対処を決めよう――と、思ったのだが。
エリカは俺からそっと離れた。
うつむき加減で、顔を赤く染めて、上目遣いで俺を見た。
どういう顔だ? と首をかしげる俺。
反省でも、反発でもない。
エリカが見せるその顔は、俺のどの予想にもなかった顔だった。
「あなたの……お名前は?」
「ヘルメス、ヘルメス・カノーだ」
「ヘルメス……ううん」
エリカは俺の名前を一度呼んでから、それを振り払う様に首を大きく振って。
「ダーリン」
「へ? 今なんて?」
「ありがとうダーリン、本気で叱ってくれて」
「あ、ありがとう?」
「こんなの初めて、嬉しかった」
「え? え? えええ!?」
いきなりのエリカの豹変、俺はその変化について行けなかった。
助けを求めて視線をさまよわせると、ヘスティアと目があって。
「本気で叱ったので、好かれたのですわね」
「えええええ!?」
そんなのありなのか!?