プロローグ.四男貴族、家を継ぐ
カノー男爵家四男、ヘルメス・カノー。
一族の落ちこぼれ、面汚し。
そう呼ばれ続けてきた俺は、今日も庭でひなたぼっこをしていた。
家を継がない四男坊に与えられた郊外の一軒家。
広いだけでやたらと不便だけど、これも住めば都だ。
俺は日にあたりながら、新しく取り寄せたエロ本をパラパラめくっていた。
「ほうほう……これこれは……」
最新の写影魔法を駆使して作られたエロ本の中では、グラマーなおねーちゃん達が競うように色っぽいポーズをしている。
「……うむ」
「うむ、じゃありません!」
後頭部をいきなりはたかれた。
頭を抑えて振り向く、そこにドレス姿の貴婦人がいた。
姿こそ貴婦人風だが、実際の年齢は俺より少し年上なだけ。
二十歳にもなってないから、顔にまだ少女臭さが残っている。
ソーラ・カノー。
名前からも分かる通り、俺の――
「何するんだ姉さん」
「何するんだ、じゃありません。またそんなものを見て」
「大丈夫大丈夫、もう見ないから。写影魔法のエロ本はダメだよな。これ絶対修正入ってるぜ。ほら、この顔のあたりとかさ――」
「ていっ!」
エロ本を広げて姉さんに見せるが、手首をはたかれてエロ本は地面におちた。
「そういうことではありません。私が言いたいのはヘルメス、あなた、もっとちゃんと本気を出しなさいということです」
「本気?」
「そうです、あなたはやれば出来る子ではありませんか。それをこんな所で人生を無駄にして」
「んなあこたあない。俺はいつでも本気だぜ」
「ヘルメス!」
「そうだ姉さん、これ見てこれ」
俺はポケットからある物を取り出して、姉さんに手渡した。
それを受け取って、マジマジと見つめた姉さん。
「何ですかこれは」
「媚薬、男女共用で一粒につき半日は持つから、姉さん嫁に行く時ダースでプレゼント――」
「そーい!」
姉さんはドレス姿にまったくふさわしくない、豪快なフォームで俺が渡した媚薬を投げ捨てた。
「おー、結構飛んだなー」
「こんな物ばかり作ってないで、もっと貴族の男としてちゃんと――」
「あっ、それ都から取り寄せた最新の商品」
「――作ってもいないのですか!」
ぷんぷん怒る姉さん。
「俺は知ってるぞ姉さん、それってノリツッコミっていうやつだろ」
「誰がそんなことをしますか!」
姉さんの勢いはそこがピークだった。
膨らみすぎて穴が空いた紙袋のように、みるみるうちに怒りがしぼんでいった。
「もう、お願いヘルメス。私は知ってるの、あなたは出来る子なのよ。だからカノー家のためにも――」
そう言いかけた姉さんだったが。
「こんな所にいらっしゃいましたか」
男の声がして、すぐに姿が見えた。
背が高くて痩せぎすで、立派なヒゲをしてる中年男の名前はミミス。
ミミス・コラース。
カノー家に仕えるいわゆる家臣団のボス格のヤツだ。
そいつは俺じゃなく、姉さんを見ている。
「ミミス、どうかしたのですか?」
「ご当主様がお呼びでございます」
「お兄様が? 分かりました、案内して」
「はっ」
よしよし、これで口やかましいのはいなくなるぞ――って思ったが。
「私の言ったこと、ちゃんと考えるのですよ、ヘルメス」
「ほーい」
適当に返事すると、姉さんは形のいい眉をひそめながら立ち去った。
いつもの事。
姉ちゃんはちょこちょこ俺の所にやってきては、ノリツッコミと発破をかけていく。
いつもの事だから、普通にスルーした。
姉さんは立ち去ったが、案内しなきゃいけないはずのミミスは残っていた。
「どうした、姉さんを追いかけなくていいのか」
「ヘルメス様」
ミミスの声はとげとげしさがあった、いやとげとげしさしかない。
様付けで呼んではいるが、見下し感ありありの口調だ。
「ご当主様への金の無心はもう少し控えて頂きたく」
「そりゃ聞けねえ相談だ。弟がアニキにお小遣いをおねだりして何が悪い。それをあんたにとがめられる筋合いはない」
「そうではありません。ご当主様はカノー家にとって必要なお方、なにより今が大事な時期。その程度の事で煩わせるのは控えて頂きたいと申し上げておるのです」
「じゃああんたがくれるのか?」
「おっしゃって頂ければ」
「お、まじか。じゃあ銀貨を100枚くれよ。お前も男なら聞いてるだろ? 都から来た綺麗な娼婦の噂、一回遊んでみたくてさ」
「……後ほど届けさせます」
「おっ、やった」
軽くガッツポーズする俺。
それを見て、ますます見下した顔をするミミス。
しまいには。
「部屋住みが」
って、聞こえるほどの声で悪態を吐き捨ててから、姉さんを追いかけて立ち去った。
残ったのは俺だけ。
郊外で四男坊を押し込めるために作られた家に、俺だけが残った。
「……ふっ」
二人ともいなくなった後、俺は鼻で笑った。
四男坊としての分はわきまえるさ。
それに。
「本気出すなんてメンドイ事、誰がやるかってんだ」
俺は、今くらいで丁度いい。
そう思って、今日中に届く資金と、美貌で有名な娼婦に思いをはせた。
貴族の四男坊、責任とか無くて気ままな日々。
そんな日々の終わりが、知らないうちにもうそこまで来ていた。
☆
「……もっかい言ってくれ姉さん」
「あなたがカノー家を継ぐのよ。そう言いました」
あくる日、いつも通りにやってきた姉さんがいきなりそんなことを言ってきた。
昨日と同じように庭で向き合う俺と姉さん。
俺はひなたぼっこ用の安楽椅子に座ったままで、姉さんは相変わらずの貴婦人の格好で立っている。
ドレス姿もそうだけど、たたずまいも完璧だ。
そんな姉さんを、座ったまま見あげる。
「なんかの冗談?」
「いいえ」
「いや冗談だろ、四男だぜ俺は。カノー家を継ぐとかあり得ないだろ」
「ミロスお兄様、メロスお兄様、コロスお兄様」
長男、次男、三男。
姉さんは、俺よりも先に生まれた三人の男の名前を数えるように読みあげた。
「昨晩、死亡が確認されました」
「はあ!?」
ガタッ! と椅子を倒して立ち上がった。
「死んだ? 三人とも?」
「ええ」
「どういう事だ?」
「昨晩、国王陛下主催のパーティーがありました。三人のお兄様はそこに出席しました」
「そんなのがあったのか、知らなかった」
「そこに隕石が落ちました」
「……なんかの冗談?」
もし鏡があったら、自分がいかにポカーンと間抜け面になってるのが見えるだろうな。
それくらい、突拍子もない話だった。
「いいえ。戦争が起きるかも知れません」
「……暗殺か、何処の国だ?」
聞き返した俺に、姉さんは何故か微笑み返した。
しまった。
「ほら、言った通りでしょ。あなたはやれば出来る子だとずっと思っていました」
「はめたな姉さん」
「頭の回転が速すぎるのですよあなたは。ついでに言えば諦めも早すぎます」
俺はため息をついた。
幸いここには姉さんしかいない。
うかつな反応をしたとしても、姉さんがむやみに俺を買ってるのは前からで、今更このエピソードを誰かにいっても誰も信用しない。
だから問題はない――って事で姉さんと真面目な話をした。
「つまり、上の三人がいなくなったから、姉さんは俺に家を継げって言いに来た、そういうことだな」
「ええ、そういうことです」
「残念だったな、カノー家の血はまだ上が残ってる。正妻の娘である姉さん、あんただ」
「それならもう解決してます」
「……出家するなら頭を丸めるもんだぜ」
俺は知ってる、姉さんは自分の艶やかで長い髪が好きなことを。
出家すれば家を継がない、継げない様になるが、姉さんは絶対にそれをしない。
死んでもしない。
「はいこれ」
姉さんは笑顔のまま封書を取り出す。
受け取ったそれは、王家の封がされてあるものだった。
姉さんを見る、目線で封を切って中を見ろと促される。
言われたとおり封を切って、中の文書を取り出して広げる。
俺は驚愕した。
「こ、これは」
「既に王家に届け出を出しています。私はヘルメス、あなたの養女になります」
「姉さんが俺の養女だってぇ?」
「これで継承権は自動的にあなたの下。というよりヘルメス、あなたが一番上ですよ」
「……やるな姉さん」
というかやられた気分だ。
さっそく許可をとってきたのはさすが姉さんだな。
こういう手は普通思いつかないものなんだが。
だが、お願いしている内容は詰まるどころ「男子に家を継がせたい」という事だから、王室の許可はあっさり下りたんだろうな。
俺は更にため息をついた。
姉さんがいつになく真面目な顔をした。
「本気を出して、ヘルメス」
「……はあ」
俺はもう一度ため息をつく。
どうやら逃げ道が塞がってるな、下手に拒否するとここはかえって面倒。
「分かった、家を継ぐ」
本気は出さないがな、と。
言いたいけど今は言わないことにした。