20.尽くすということ
前回までのあらすじ
ヤンデレにだって色々ある。無害なやつだっているさ、オレは詳しいんだ。(カヤノ談)
「かーわー!」
川をバックにドヤ顔でこちらを見やる少女。
あえてそれを視界から切ると、僕は道中で見かけた農作物の種類、灌漑なんかの設備を思い返す。
大きな川があると踏んでいたが、そこは期待以上に澄んだ清流があった。
水浴びの時間だ。
ベルトを外しポーチを、上着を、ズボンを、肌着……に手をかけたところで手を止める。少女がしっかりとこちらを凝視していた。故に。
「君は案外、えっちな子だなぁ」
「~~~っ!! しょーにんさん、へんたい、あほ、ばか!」
「さすがに脱がない。脱がないから……」
少女の罵倒が飛ぶ。
僕は肌着から手を離すと、肩をすくめてやれやれといった様子で嘆息する。
少女の危機は過ぎ去ったはずなのに、挙動はすっかりおかしくなったまま。いまも両手で顔を覆ったまま蹲って唸っている。
さりとて、僕に取りうる手段もない。
少女のことは脇に置いておいて、川へ入る。派手にドボンとはいかないが、無遠慮にじゃぶじゃぶと、水面が腰に迫るくらいの深さまで移動する。
午前中の川は思ったよりも冷えていた。けれど、炎天下の中、村の端っこまでという距離を歩き、火照ったからだには、それくらいが心地よかった。
「ねぇ! 君は入らない? 涼しくて気持ちいいよ」
せっかく案内して貰って、自分だけがいい思いをするのも気が引ける。
振り返って少女に声をかけてみたが返答はない。
少々、からかい過ぎたのかもしれないと、少し反省しながら水面へ頭を突っ込む。冷水が染みてくるような錯覚が爽快感を助長する。
「くはっ。あぶっ」
息が続かなくなって顔を上げる。その瞬間を見計らったように大量の水しぶきが僕の顔面を襲った。酸素を求めて精一杯開いた口が、無防備な各種器官が、盛大に水攻めにあう。
「しょーにんさん、きもちいい?」
げほげほと、むせる僕を尻目に少女がけらけらと笑う。
少女はワンピースの裾が濡れることなど気にも留めず、膝丈まで水に浸かった状態でこちらを見て腹を抱えていた。
「そこに立ってるってことは、仕返しされても文句はないんだろうね?」
「え、ちょっと。いやいや、ダメだって。ダメだからー」
両手で水をすくい、少女を正面に捉え腰だめに構える。警告の意味を正確に受け取った少女は、僕から背中を向けて頭を抱えて川辺に向かって一直線。
思いっきり水を跳ね上げ、空に虹をかける。空に散った水は雨のように散り散りになって僕と少女に降りかかる。少女の嬌声が舞い、いい気味だと僕はけらけら笑う。
そんな風にひとしきりじゃれあって、ようやく僕は陸へ上がる。脱ぎ捨てた衣服を拾い上げ、川辺に置くと、ポーチから取り出した石鹸を手に取り川辺に腰を据えた。
「しょーにんさん、なに? せんたくー? それなにー?」
「はい、うん。これは石鹸。あとサイスさん」
「せっけん……。ママが触らせてくれないきちょーひんだ。アレくさいよねー」
すっかり懐いたのか、体重を預け、背中越しに顔をのぞかせる少女が僕の手元を覗き込んで鼻を鳴らす。そして首をかしげ、もう一度、鼻をすんすんと鳴らし、あれ? と声を漏らす。
「少しあげるよ」
苦笑する。
旅人、ましてや商人の訪れなど無いと聞き及んでいる。石鹸も手作りだし、街中で普通に売っているようなものでも少女の想像もつかないような逸品であるらしい。
僕は小さくなった石鹸を半分に割ると、少女に差し出した。
「うわー。いい匂いがする。すごい、石鹸なのにすごい!」
僕が期待していたよりもずっと興奮して、少女は小さな石鹸を手にくるくると踊る。
僕はそんな少女の驚嘆をBGMにささっと洗濯を済ませて、近くの低木に衣服をかけた。
☆
翌朝、眩しさにサイスが目を覚ます。
見渡せば、焚火は鎮まり、サクはカヤノにひざまくらしたまま、こっくりこっくりと舟をこいでいる。カヤノもすやすやと夢の中だ。
いい機会だと言わんばかりに、サイスは服を脱ぎ捨て肌着になると、濡れタオルでからだを拭き始めた。しかし、頻繁に濡れタオルへシースの魔術をかける必要もあり、効率はそれほど良くない。
サイスがもたもたしているうちに、サクの獣耳がピクリピクリと不規則な動きをし始めた。サイスはこれがサクが目を覚ます兆候だとよく知っている。
「湯を沸かしたらカヤノさんも起こすかな」
服を着なおし、一度灰を脇に寄せる。
予め用意してあった薪を組んで、火をおこす。
慣れた手つきだった。鍋を火にかけると、カバンの中からごそごそと漁り、思い出したように手を止める。普段は干した芋の出番だが、ここは森だ。昨日の探索がてら、果実などの青果を回収してある。
「……おはよ」
お茶が飲み頃になると、サクが不機嫌そうな目を向けたまま、低い声を出した。サイスが苦笑して手に持ったカップを差し出すと、それを素直に受け取り一口含む。
「……! どこの茶葉?」
サクは驚いたように目を見開く。次いで出たのは疑問の声。
だが、サイスはそれを待っていましたと言わんばかりに、機嫌よさげに笑顔を浮かべる。
「ペリアーノからの輸入品」
「南の……。懐かしい」
サクが香りを楽しむように目を閉じる。
もう一杯、いれるかとサイスが腰を上げたところで、サクの動きがぴたりと止まった。何事かと注視すれば、彼女の膝下がガサゴソと物音をたてていた。
「うー、なぁ……」
カヤノが開ききらない瞼をこすりながら、ゆっくりと体を起こした。サクは動きの妨げにならないように、カップごと手を挙げて避け、じいとカヤノの様子を見守っている。
「朝か」
「おはよう、カヤノちゃん」
サクの挨拶に、カヤノが満足げに頷いた。そして大きく伸びをすると、再びこてりとサクの膝へ頭を転がす。寝た時と違い、今度は仰向けでだ。
「うん、いいな。膝枕は気力がすごく回復する」
「あー……」
ふへへ、と他意無く笑うカヤノの姿に、サクが照れたように悶えた声を漏らす。
カヤノはしばらくサクの照れ顔を堪能し、思い出したようにそこから視線を外す。その先にはちょうどお茶を入れなおしたサイスの姿があって、そのカップに視線が留まる。
「熱いですよ?」
「熱いのはダメだな」
カヤノはそう言って跳ね起きると、サクの手首を握ってそのまま自分の口元に寄せる。サクのカップから一口啜ると、眉間に皺を寄せ、非難するような視線をサイスに向けてそのまま嚥下する。
「葉っぱくさ」
「カヤノさんはそういうと思ってました」
「醗酵が足りないんだろうな。香りが尖りすぎてる」
あぐらにたてひじ、カヤノは不機嫌そうに愚痴を漏らす。しかし、サイスが謝罪代わりに果実を放り投げれば、カヤノはこれを嬉し気に受け取った。
「鹿の解体で魔法の新しい可能性を見たからな。ディヴュ」
基礎魔術を行使すれば、硬い果皮がつるりと向けて、柔らかい果肉だけが手元に残る。カヤノはその出来栄えに口笛で応えると、そのままがぶりと噛り付いた。
「それで、今日はどうしましょう? もう少しモンスターの様子を調べてみるのも……」
「村に戻る。野宿は飽き飽きだ。膝枕も悪くは無かったが、やはりふかふかのお布団の誘惑には逆らえん」
にべもない。
カヤノはぴしゃりと言い切って、口答えは許さないという表情でサイスを睨んだ。
「うーん。サクもそれでいいかな? その、おじさんの事とか」
それまでずっと、サクは熱に浮かされたように手元のカップを見入っていた。サイスに名前を呼ばれ、我に返ると、慌てて取り繕ったように、にこりと笑顔を浮かべ小首をかしげる。
「なんの話だっけ?」
「いや、君のお父さんの話だよ。書置きはあったし、このままここにいれば合流は出来るよ」
「カヤノちゃ……、いえ、お父さんの無事を確認したいのは私の我儘。村では一刻も早い吉報を待っているはず、村の存亡がかかっているもの。今は村の代表としてここにいる、我欲に流されて行動を選んだりは出来ない。なるべく早く村へ戻りましょう」
きりりと表情を引き締めて、サクはやや早口でそう言い切ると、カップを一気に呷った。
「いいけどさあ」
「これで二対一だな。さっさと準備して村に戻るぞ、サイスくん」
含んだ種を吐き捨てて、カヤノが立ち上がる。
「……カヤノさんはカヤノさんで見えてないものが多すぎる」
柔軟を始めたカヤノの背中に向けて、サイスがぼそりと愚痴を漏らす。
「じゃ、私も支度する。荷物は……」
「まて、サク。そのカップは返せ」
さりげなく、カップを持ち去ろうとしたサクにサイスが釘をさした。
ギギギと錆びた鉄扉のようにぎこちなくサクが振り返る。サイスは手元には隠すようにカップを抱え、涙目で訴えかけてくる彼女の姿に、小さくため息を吐いた。
村への道中、カヤノは目に余るレベルの悪路にとうとう音を上げた。
崖とも呼べるほどの勾配の坂や、大岩で足元が安定しない砂利道、気を抜けば膝下まで埋まりそうな泥沼、ゲームで言えばどれも進入禁止エリアに指定されるために用意された障害物だ。
それを現地人二人は、事も無げに進む。カヤノの感覚からすれば、迂回一択のはずなのに、魔術で道を加工して、無理やりどうにか踏破可能なレベルに仕上げるのだ。
「もう、ダメだ。休む」
カヤノはだらしなく地面に座り込み、天を仰いで浅く呼吸を繰り返す。
先を進んでいたサイスが困り顔で振り返り、カヤノの姿を目にすると、眩暈でもするように頭を抱えた。
「またですか? 急げって言われたから、こうして村との最短距離をとってるのに」
「あほか。サイスくんはオレのからだがいたいけな童女であることを忘れてるだろう。歩幅も体力も一回り二回り少ないんだぞ。気を遣え」
「忘れてはいないんですが……」
サイスは言葉を濁して露骨に視線を逸らす。
そんな彼をカヤノはじいと睨んで圧迫していると、背後から声がかかる。サクだった。
「よかったら、私がおんぶしようか?」
「されるー」
「よしよし、ちょっと準備するよ。このままだと、色々じゃまだから」
サクは纏っていた旅具を脱ぎ、まとめてサイスへ投げ渡すと、すっかり薄着になった。
不満げにサクの荷物を抱えるサイスを一顧だにせず、彼女は後ろ髪を束ねて肩へと流すと、そのままカヤノに背を向けて腰を落とす。
「脱ぐ必要性」
「必要なことだから」
きっぱりと言い返すサクの剣幕に押し切られ、サイスはそれ以上何も言えない。
カヤノはそんな二人のやり取りを不思議そうに見ながら、大して深く考えることなく、そのままサクの背中に身を預ける。
「おおー、らくちん」
サクが立ち上がる。一気に高くなった視点に、カヤノが飛び上がる様に背を伸ばしてはしゃぐ。
すると、子供とはいえ、急な重心移動を負担を感じたか、サクが小さく声を漏らしてたたらを踏んだ。
「おっと、大丈夫か?」
「いえ、ううん。大丈夫。このくらい、うん。大丈夫」
サクが荒げた息を押し殺すように、訥々と言葉を返す。
「ほんとに、だいじょう……」
カヤノが背中越しにサクの表情を覗き込まんと、彼女の首筋にぴたりと顔を貼りつける。そして、何を思ったのか、そのまま鼻をくんくんと鳴らす。
「む! 若い女の子特有の甘い匂い」
「な、な、な……!」
サクが急発進した。
その反動でカヤノが背中から引きはがされて、大きく体を反った状態のまま、悪路を進むサクに連動して上下に揺さぶられる。
引き離され、ようやく追いついたサイスが横に並ぶと、カヤノは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「ふへへ。どうだ、サイスくんには羨ましかろう?」
「案外余裕なんですね。助け起こそうと思ったのに」
サイスは言葉とは裏腹に、そのままでは地面に落ちかねないカヤノを支え、サクの方へ押し戻した。
背中に感じた重みで我に返ったのか、サクは歩く速度を落としながら、一度カヤノを背負いなおす。
「あーびっくりした。急に驚かさないでね、落っことすところだったよ」
「匂いくらいで……。カヤノさんはオンナノコダヨ?」
「え、なんで棒読み? それに年頃だから恥じらいはあるの。誰が相手だって驚くよ」
口を尖らせ、サクが分かりやすく拗ねると、サイスも宥めるように苦笑して肩を揺らす。
二人のやり取りを黙って見守っていたカヤノだったが、突如思い出したかのように、サイスの方へ首を伸ばして鼻をならす。
「う……む? 野郎なんざ、臭かろうと罵ってやるつもりだったけど、石鹸の匂いがする」
「朝に体を拭いたので。その時のかな」
自身の二の腕を嗅ぎながら、サイスが首をひねる。
「ひとりだけいい思いしやがって」
「サクも僕らが寝た後に清拭くらいやったと思いますけど」
「むむむ」
「一日中歩いたし、焚火にもあたってたし……。まあ、我慢できずに」
行動を見抜かれ、サクが少し恥ずかしがって白状した。
「ずるい、ずるい。サクちゃんは罰としてオレと一緒にお風呂の刑」
「えええ!?」
サクはサイスを牽制するようにちらちらと視線を向けた。サイスは何故、幼馴染がそんな風にこちらへ許可を取ろうとしているのか、一片も理解できずに頭を悩ませる。
しかも、サイスが悩んでいる間に、カヤノがサクにべったりと体を密着させてからだを預けたものだから、サクは再び思考迷子になってしまい、この件は有耶無耶にする他なくなる。
「しかし、石鹸が石鹸の匂いをするとは思わなかったな。異世界なら獣臭いのが普通だと思ってた」
そんなことには気づかず、カヤノはサクの肩口に顎を押し当て、唇を尖らせながら不満を漏らす。
「……ああ。そういう地域だってありますよ」
「そっかー。文明格差というやつか。悲惨だな、そいつら」
「そーですね。気づかなければ悲惨だとさえ思わないでしょうが」
やや早足になったサクに続いてサイスが歩く。
既に村は小さいながら視界に収まっており、到着までは時間の問題だった。




