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秘匿

「何も、本当に焼く必要はなかったのでは?」

 部下の吐く息が白い。その色を見て、冬が来たことを思い出した。戦場は数あれど、いつもどこか寒々しい。軍略のため暦は把握しているものの、気候の変動くらいしか、季節を感じる瞬間はなかった。そこでようやく、質問の意図に気付く。忠実な側近である彼は、どうやら自分の傷が寒さで疼いていないか慮ったらしい。

「何を今更。それに、謁見の時は実際に外す機会があっただろう」

「それは、そうですが……何も本当に焼かずとも、傷痕を演出する方法はいくらでもありました」

「偽装に金や時間をかけるほど、当時の物資は潤沢だったか?」

 彼は、にべもなく言い放つ。部下は唇をなめてから、ずっと心に引っ掛かっていた疑問を口にした。

「あなたの顔を見て、陛下はどう思われたのでしょう?」

 部下の覚悟とは裏腹に、男はつまらなそうに、仮面の上から顔を撫でただけだった。

「どうも何も、俺を次々に戦場に送ることからでも明白だろう。きらびやかな宮廷には不似合いな顔だ。ちょうどいいことに、俺には軍師という絶好の使い道があるからな」

「いえ、……いえ、そういうことではなく」

 部下は、首を横に振った。空気が、僅かに険しいものに変わる。

「……シモン、何が言いたい」

 それは疑問ではなく、命令だった。仮面の隙間から覗く茶色の目に見据えられ、部下――シモンは、ごくりと息を飲んだ。

「陛下は、あなたに気付いたのでしょうか?」

 ザヴェニエムの英雄、“仮面の軍師”。

 名前も記憶も、顔すら失った男。

 彼が、本当は何者か。

 それは、一部の者だけが知っていることだ。先の戦いで、図らずもその一部の者に加わり、今や片腕としてその側に仕えているシモンは、目の前の英雄が、本当は誰なのかを多くの人々が知らない事実に、密かに憤っていた。そしてまた、彼がそのことについてどう思っているか、気になっている。それは彼が活躍の割に合わない待遇を幾度となく受け、それでも淡々と働き、より見事な武功をあげるにつれ、その疑問は膨らんでいった。

 彼は、一体何のために戦っているのだろう。

「表向きのあなたは、“仮面の軍師”として、数々の戦場に赴き、勝利をおさめている。それの見返りは、形ばかりの勲章と、いつ渡されるか分からない領地。おまけに国の大事だからと、ろくに休息する暇も与えられぬまま、戦い詰めの毎日を送られています」

 シモンは男の表情を窺った。男はシモンの言葉に耳を傾けているようだったが、これと言って目立った反応はない。仮面で半分覆っているとはいえ、彼の真意が読みづらいのは、権謀術数を生業としている老獪な輩で溢れている宮廷でも、知れ渡っている。

 シモンは、ぐっと拳を握った。

「俺は、それが許せない。あなたの功績を正当に評価しない……しようとしない、国が! あなたの本当の身分を知れば、誰もこんな風にあなたを粗雑には扱えないはずだ!」

 徐々に声を荒げるシモンだが、男は特に諫めることはない。ただ、ちらりと周囲に視線を巡らせ、人気がないことを確認しただけだった。

「そうでしょう、ベルンハルト・リヴィウス様……いえ、ベルンハルト殿下!」

 男――“仮面の軍師”は、その名を呼ばれても、動揺はしなかった。いや、よしんば動揺しているとしても、シモンに気取られるほど、生易しい男ではない。それでも、波風ひとつ立たない彼の表情を見て、シモンは唇を噛む。

 “仮面の軍師”は、巷でささやかれているように、もちろん本当に名前や記憶を喪失しているわけではない。失ったということにしなければならない理由があった。

 “仮面の軍師”の本来の素性。それは、現国王の私生児にして、明かされるはずのなかった第一子である。現国王は王太子時代、戯れに侍女に手を出した。それだけならばよくある話だが、時期が悪かった。当時、ザヴェニエムは隣国の姫を王妃に迎えることを条件に同盟関係を結ぼうとしていたのだ。ただでさえ王太子の女癖の悪さからなかなか話がまとまらなかったというのに、このことが姫の母国に伝われば、苦心して築き上げていた同盟関係に罅を入れかねない。上層部は侍女に金を握らせて口封じをし、実家に帰らせた。上層部はこれで問題を片付けたつもりだったが、何と侍女は子を孕んでいた。幸い、侍女は産後すぐに亡くなり、また父親が誰なのか周囲の者に語っていなかったため、出生の秘密が明かされることはなかった。生まれた子供は、侍女の弟であるリヴィウス伯爵によって実子として育てられた。このまま、彼は表舞台に姿を現すことなく、田舎の一貴族としてその一生を終えるはずだった。

 ――フィノイス戦役が起き、上層部の一員であったエルドラク将軍が、フィノイス戦役に参加する彼を発見するまでは。

 彼は、恐ろしいほど若い頃の国王に瓜二つだった。ザヴェニエム人に多い茶髪に茶色い瞳も、それに拍車をかけた。年老い、長年の不摂生で容貌の衰えた現国王から彼との繋がりを推測する者は無きに等しいが、エルドラクのように若き日の王を知る者であれば、一目で分かっただろう。それだけならば、彼がただの一兵卒として戦争を終えたのなら、何も問題はなかった。しかし、ザヴェニエムの戦況はお世辞にも芳しくなく、なまじ彼には類稀な戦術の才があった。王の秘密を隠し通すか、ザヴェニエムの勝利を取るか。エルドラクら上層部は苦渋の選択の末、“仮面の軍師”という突拍子もない話をでっち上げ、彼に仮面を被らせて指揮をとらせた。その結果、彼は着実に勝利を重ね、ザヴェニエムは危機を脱した。栄光の勝利が誰の手によるものなのは、誰も疑いようはないまでに、彼は鮮やかに国を救ってしまった。今、公式に王には三人の子供がいるが、どれも可もなく不可もなく、といった平々凡々とした才しか持ち合わせていない。そんな彼らと、華々しい逆転劇を作り出したベルンハルト。民が彼の本当の出自を知れば、どうなるか。また彼の人気を利用してのしあがろうと、彼を王位争いに加わらせようとする者が現れたら――ようやく戦を終えたばかりのこの国は、内側から分裂してしまう。一応勝利をおさめはしたものの、この時点で上層部は敗走したフィノイスの王子が隣国ワーテルフに亡命した情報――この情報自体、彼がワーテルフとフィノイスの動きをいち早く察知し、間者に探らせていたため分かったことだ――をつかんでおり、安定とはほど遠い情勢だった。“仮面の軍師”の軍略なくして、ザヴェニエムが次の戦に勝てる見込みはない。そういった諸々の状況を鑑み、エルドラクら上層部は、彼を“軍人”として使い続けることに決めた。王の子であるベルンハルトに繋がる全ての情報を闇に葬った上で。その情報には、彼の“顔”も含まれていた。それを指示したのは、エルドラクら上層部ではなく王家からの密使だったという。全てを失いながら、国を救った英雄。そんな歪な役回りが、彼が勝利をもたらした結果だった。

 身代わり、という方法も考えなかったわけではない。

 しかし、その選択肢を潰したのは、他ならぬ彼本人だった。

“腕や足なら多少迷いもするが、面の皮一枚ならば、どうということはない。身代わり作りに手間取る時間も無駄だ”

 彼は異議を唱えることはなく、全てを受け入れ、“仮面の軍師”となった。

 シモンは、それを歯痒い思いで見てきた。どうしていちばんの功労者が、全てを捨て去る選択をせねばならない。

 もちろんシモンとて、内乱を危惧する上層部の主張が分からないでもない。だが、これではあんまりではないか。身を粉にしてザヴェニエムに勝利をもたらしたにもかかわらず、奪われるばかりの彼が、いつまでもザヴェニエムにつき従うなんて、どうして思えよう。

 彼は、何も望まない。

 シモンははじめ、ただ軍師としての力を奮うことが、彼の望みなのかと思っていた。

 しかし、長く彼の傍らにいて、それは違うと悟っていた。

 彼が軍を動かす時、ただ最善、最良の一手を淡々と選び取るのみで、そこに策士特有の奇策を思いついた陶酔や策が決まった時の達成感・喜色など、一切ない。

 ましてやザヴェニエム王国自体への忠誠など、彼に対する王家の仕打ちを考えれば、以ての外だ。

 彼は常に、そう求められているから、そのように動いているようにしかみえなかった。

 そんな彼は今こそ、ザヴェニエムの軍師としての自分を選び取っているが、――もし、それ以外の役割を――例えば、ザヴェニエムと敵対するような役割を求められたとき、彼がザヴェニエムの軍師でいる確率は、いかほどなのか。

 シモンは、それを密かに危惧している。

 シモンが決定的な言葉を口にしてから幾ばくかの後、彼はようやく口を開いた。

「改まって何かと思えば、そのことか。俺が納得して捨てたものを、いちいち掘り起こして、お前に何の得がある?」

「私は、あなたが正当に評価されないのが、我慢ならないのです!」

「お前の言う正当な評価、とは何だ? 俺の力が必要な場所で使われている最善の現況以上のものがあるか? それなりに頭の回転が速いお前のことだ、まさかあの宮廷で下らない駆け引きをやれと言うわけでもあるまい?」

 分かったなら、以後口を慎み、眼前のことに集中しろ。

 そう話を切り上げ、地図を広げた彼に、シモンはぽつりと呟いた。 

「あなたが戦う理由は、やはりノーラ様、ですか?」

 母親の名を出されても、男は特に変わった様子は見せなかった。もどかしさにかられながら、シモンは言葉を紡ぐ。

「それとも、あなたを育てたセレスト・リヴィウス伯爵? 確か、最期まであなたを待っていた婚約者の方もいらっしゃ」

「シモン」

 男は静かに名を呼んだ。怒りも、悲しみも、いかなる感情もその声には込められていないというのに、シモンの口は縫い付けられたかのように動かなくなった。

 押し黙ったシモンに、男はいっそ静かな声音で聞いた。

「宮廷の連中か、王家の者か」

「え?」

 戸惑うシモンに、男は視線を向ける。

 ぞくりと、シモンの皮膚が泡立った。

 仮面の隙間から覗く視線は冷たい。喉を締め付けられるような錯覚を覚えるほど圧迫感を感じるのに、なぜか目を離せない。

「上は俺に戦う理由がなければ、裏切るかもしれないと不安がっているのか?」

 ここにきてようやく、シモンの頭が回り始めた。彼は自分を、宮廷や王家の手先ではないかと、疑っているのだ。

「いえ、違います! ……ただ、私が」

「私が、聞きたかっただけです」

「……」

「すみません、出過ぎた真似をしました。……この罰は、如何様にも」

 シモンは敬礼し、首を差し出した。そんなシモンにかまわず、男は地図に目を戻す。

「俺は誰だ、シモン」

 短い問いに、間違えるほどシモンは愚かではなかった。

「は、“仮面の軍師”閣下です」

「ならば俺は、その与えられた役をこなすだけだ」

 彼はそれ以上、部下を咎めることはなかった。



「若人よ、悩んでおるようじゃな」

「……エルドラク将軍! これは失礼いたしました」

 のほほんとした好々爺。ザヴェニエムの将軍、エルドラクを一言で表すなら、それが相応しい。

 敬礼しようとしたシモンを、エルドラクは片手で制した。

「生真面目で勘の鋭い君が、儂が近寄ったのにも気付かないとは、よっぽど深刻なものかのう?」

「……いえ、閣下のお手を煩わせるようなものではございません」

「そうか……それならよい」

 ところで、とエルドラクは話を切り出す。

「君、散歩は好きかね?」

「散歩、ですか? 特に好きでも、嫌いでもありませんが」

「それなら、護衛として、少し儂の散歩につきあってくれんかね?」

「はい、承知いたしました」

「すまんなあ、周りがうるさくてのう。この儂が、そうおめおめと不覚を取るわけなかろうに。のう、そう思うじゃろ?」

 シモンは曖昧に笑うにとどめた。将軍は、若いころ、一人で千人屠ったという武勇伝を持っている実力者だが、だからといって要人である彼を一人で歩かせるわけにもいかない。

「いやあ、やはり体を動かすのはよい。一日中机にかじりついては、体が凝り固まって浮かぶものも浮かばぬからのう」

「そうですね」

 シモンは、適度に相槌を打った。周囲に人影はない。ざくざくと地面をける二人分の足音が、やけに耳にこびりついた。

「そういえば、気になることがあっての」

「何です?」

 何気なく聞いたシモンは、次の瞬間、身を固くした。

「斥候の数が、多いんじゃ」

「……斥候?」

 問い返した返した声が震えなかったのは、奇跡に近い。

「そうじゃ。まあ今は戦中、儂もワーテルフへいくつか送っているが、どうも、そちらの方面に儂が送ったやつとは違うやつが紛れ込んでいるらしくての」

「それは」

「君じゃろう」

「……何のことでしょう?」

「弁明も、謝罪もいらん」

 エルドラクは、ばっさり切り捨てる。必死に平静を保とうとするシモンを見ながら、エルドラクは言った。

「これ以上亡霊を追うのは、やめよ」

「俺は」

「シモン」

 エルドラクは立ち止まる。

「君の危惧していることは分かる。しかし、彼はもう腹をくくっておる」

「何を根拠に、そう思われるのですか?」

「一週間じゃ」

「……はい?」

 要領のつかめないシモンに、エルドラクは笑う。

「あやつが顔を焼く前に、一週間だけ猶予を、と望んだのじゃ」

「……知りませんでした」

「まあフィノイスを落とした直後じゃったから、君は戦後処理で忙しかったからの」

 エルドラクの瞳が、どこか遠いものを見るように眇められる。

「あやつは、約定通り戻って来た。その間、あやつが、どこで何をしていたか、儂らにはさっぱりわからん。儂らの目でも痕跡を見つけられんとは、あやつ、宮廷でも充分やっていけるじゃろうよ!」

 ほっほっほ、と軽快に笑ったエルドラクの瞳が、鋭くなった。

「じゃから、これは儂の推測になるが、それが彼が全てと決別し、軍師として生きていくのに必要だった――仮面の軍師としての生を送る覚悟を決める時間だったと、儂は思っている。……老人の、たわいない戯言かと思うかね?」

 黙り込んでいるシモンの肩をぽんと叩きつつ、エルドラクは笑みを浮かべた。

「だからもう、あそこには、何もない。……何もないことになっている。賢い君なら、この意味は分かるじゃろ?」

 シモンははっとする。エルドラクは軽く頷いた。

「彼はまだ、完全に孤独というわけではない。軍には君のような若い者も大勢いる。だからな、シモン。君は片腕として、彼を支えてやってくれ。利用し、奪ってきた我々と、同じになる必要性はない」

 そう言ってシモンの肩を軽く叩いた後、エルドラクは立ち去った。

 密かに人をやって、彼の――ベルンハルト・リヴィウスの足跡を探っていたが、エルドラクに命令されてしまえば、もう手を引かざるを得ない。いや、とっくに、調べる気は失せていた。このまま自分が調査を続け、もし、探していた何かを見つけたとする。それが毒にも薬にもならない、どうでもよいものであったなら、何も問題はない。しかし、それがそうではなかったら。それを、上層部も知ってしまったら。

 彼はまた、奪われねばならない。

 シモンは、瞳を閉じた。今までに集めた情報が、シモンの頭をめぐっていく。

 ベルンハルト・リヴィウス。

 公的には、ワーテルフとの戦いがはじまってすぐ、戦死したことになっている。

 実母は、そもそも彼を生んではいないことになっていた。実家とされているリヴィウス伯爵家と彼は折り合いが悪く、姿絵の一枚も残っていない。唯一、彼を待ち続けた元婚約者は、ワーテルフとの戦が始まってすぐ、再会することなく病で世を去った。跡継ぎの途絶えたフォルネ伯爵家は、遠縁の子を養子として迎え入れ、かろうじて存続したという。

 そこに、彼と繋がる痕跡はない。

 シモンは、そう結論付けるしかなかった。

 


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