正史
現在、大陸の大部分を領土とする強国・ザヴェニエム帝国が、まだ辺境の一王国に過ぎなかった頃。
仮面の軍師、と呼ばれた人物がいた。
彼の名は未詳、これは数百年の歴史のうちに散佚してしまったのではなく、当時から不明であったと伝えられる。
彼が見出だされたのは、今ではザヴェニエム興隆のきっかけとも言われているフィノイス帝国(現フィノイス地方)との戦・フィノイス戦役である。
当時、帝国として圧倒的な国力を誇っていたフィノイス帝国はザヴェニエムを併呑せんと戦争をしかけ、ザヴェニエムはあわや滅亡の危機に陥っていた。戦役の序盤から中盤にかけて、ザヴェニエムは敗戦が続き、たくさんの軍人が命を落とした。軍事の要として、現在も宮廷で絶対的な地位を築いているハルトヴェイル公爵家の祖にあたるエルドラクも将軍として参加していた。彼はとある戦場から撤退する最中、折り重なる味方の死体の中に奇跡的に生存者がいるのを発見する。生存者の顔は上半分がひどく焼け爛れており、外見から個人を特定するのは不可能であった。加えて、重大な怪我を負った衝撃でか、生存者は自らの名前、出自等の記憶を完全に喪失していた。時は国の存亡がかかった戦の真っ只中にあり、エルドラクは彼の傷が完治すると、いくら補充しても足りない一兵卒の一人として彼を軍に加えた。その際、彼が敵国の密偵である可能性も考慮し、部隊長にあたるのちのカタリヤ辺境伯シモンに監視を命じた。なお、彼の傷は癒えたものの、戦場に慣れた兵士たちでさえ顔をひきつらせる醜い傷痕が残ったため、即席で作成した簡素な白い無地の仮面をつけさせた。余談だが、後に彼が当時の国王・レオンハルト3世に拝謁した際、とある貴族が彼の身分を疑い仮面を取って素顔を見せるよう言い立てたため、彼が仮面を外したところ、その傷跡の酷さに周囲は一斉に色を失い、心の弱い貴婦人の何人かが卒倒したという。この時以外、公式の場で彼が仮面を外したという記録は残っていない。
軍に復帰した彼は、その特異な風貌から“仮面の”と周囲に呼ばれるようになっていった。
彼が軍に入って間もなく、シモンはある事をエルドラクに上申した。エルドラク軍がいかなる敗戦を喫しようとも、彼の周囲――一兵士である彼の手が届く範囲では生存率が異様に高く、また時に相手軍を押し返しかけることもあった。エルドラクは報告を聞き、しばらく思案した後に彼を軍議に呼びつけた。彼が敵国の密偵であり、母国から情報を受け取り意図的に活躍し、軍の方針を決定する軍議に紛れ込むことを目的としていたとすれば、その目論見は達成されてしまうかもしれない。逆に、そのような見方もできるほど、彼の功績は異様かつ非凡だった。それでもなお、エルドラクは彼の知恵を使うことに決めた。翻って言えば、それほどザヴェニエム軍は劣勢にたたされており、まさしく猫の手も借りたい状況であった。
幸いにもエルドラクの杞憂は杞憂で終わり――そればかりか、それ以後のエルドラク軍は連戦連勝、彼が遂にザヴェニエム軍全体の指揮を任されたイルトナの戦いでは、フィノイス帝国軍を降伏させ、ザヴェニエムを勝利に導いた。
5年に渡るフィノイス戦役で、彼が指揮をとったのは僅か1年、すなわち4年も苦杯をなめさせられてきたザヴェニェムをたった1年で戦勝国に押し上げた。
この驚異的かつ天才的な彼の手腕から、彼はいつしか“仮面の軍師”と讃えられるようになった。
彼はその後、フィノイス戦役終結から数ヵ月を経て開戦した隣国ワーテルフとフィノイスの生き残りが手を組んで仕掛けてきたワーテルフの戦い以降、常に戦場に身を置いた。彼の存在は、数百年経った今でも、ザヴェニエムの軍事大国への歴史を語る上で欠かせない。
彼は例えどんな苦境にたたされても常に冷徹であり、その茶色の瞳で静かに勝利の機を見据えていた。
そんな諸々の戦で指揮を取ってきた彼だが、一つ不可解な点がある。それは学説と呼ぶにはあまりにも不確かで頼りない噂話の類であり、ほとんど取り上げられることのない事柄だ。それは、彼がフィノイス戦役後、ワーテルフの戦いまでの間、一週間ほど表舞台に出てこなかった、というものだ。そもそもそんな記録が残っている事実はどの資料にも記載されておらず、ごく一部の者がよくある都市伝説のように伝えているに過ぎない。とある説ではこの期間、彼はフィノイスとワーテルフの連合を見据え、裏工作に奔走していたと唱えられているが、推測の域を出ない。
俗説ではこれを、“冷徹軍人の空白”と呼ぶ。