焦り Ⅰ
僕の頬に伝うのは汗なのか、それとも僕を責めるように叩きつけるうっとおしいこの雨なのか、分からなかった。いや、考える余裕がなかった。
「まっ、待ってよ」
うざったいなあ。君のことなんか考えている暇はないんだ。
彼には見えていないはずなのに、僕は血相を変えて足を速める。
「待ってってば…」
「うるさいって言ってんだよ!!」
ひどく怯えた表情をしていた。うちで飼っているハムスターのように縮こまって、上目遣いで僕に視線を向けている。
「チッ」と舌打ちして、彼を少しびびらせて一言。
「…うるさいって言ったら、しゃべんじゃねえよ」
それだけ告げると、僕は踵を返した。
足が痛い、痛い、痛いと叫んでいる。もう1時間ほど走り続けているだろうか。疲労と悲しみで足が折れそうだ。
「…ダメだ。止まっちゃダメだ。 早く探さないと……。」
太陽を遮り視界を奪う「夜」。
怒りと叱責を乗せて僕を打つ「雨」。
そして、体温と意識をジワジワと奪う「冬」。
Tシャツに短パンの僕からすれば地獄のような環境だ。鼻水と雨と汗で顔がグシャグシャになり、少しでも熱を発生させようと脳が体を震わせるよう指示を出している。
だが、彼女が居なくなるほうが、もっと地獄だ。
「僕が…… 僕が全部悪いんだ。 だから僕が見つけないと。」
今更こんなこと言ってももう遅いかもしれない。彼女に許してもらえないかもしれない。けど、これしかすることがないんだ。会って、彼女の無事をこの目で見て、またあの頃みたいな関係に戻りたい。
「あの頃の関係って、関係を崩したのは君じゃないか。」
ああ、そうだ。あの関係を崩したのは、紛れもない僕だ。
そんなこと分かりきっている。他人に言われなくたって―。
そこまで来てようやく自分の身に起こった事態に気づく。
「……誰だ。」
今、確かに声がした。太く重く、しかし大人のもののような太さではない、僕の心を見透かすように嘲笑う黒い声。
「おい、ミズキ。 お前か。」
振り返ると、僕の怒っている態度に驚いたのか、それとも僕の言葉の趣旨を理解していないのか、ミズキがキョトンとした表情でこちらを見ていた。
「……え?」
「てか、着いてきてたんだな、うっとおしいやつだ。」
「あ、うん…。それよりも、君✕✕✕を探してるんでしょ? 僕にも手伝わせてよ!」
ミズキはやけに強気だった。それよりも、
先程の青ざめ、怯えた表情とは一変し、ミズキは真剣な眼差しでこちらをうかがう。いや、彼は前髪が長くて目を完璧に確認することはできないのだが、彼の中で何かしらの覚悟が出来ているのは事実だ。ミズキらしくないが、この状況で頼れる人が現れたのは実に頼もしかった。
「……そっか。分かった。……頼む。」
「……うん。頼ってくれて、ありがとう。」
どうして僕はこう、単純なのだろう。彼の、ミズキの優しさに頼って、一人で何も出来なくて。
でも、二人も案外悪くないな、と僕はミズキに薄汚れた顔ではにかんでみせた。
―夜に潜むあの黒い声を忘れて。